第27話 彩葉の思惑


 尋常でない様子の千晴から連絡を受け、鈴加は東と顔を見合わせた。すぐに電話を切り、待ち合わせ場所へ急行する。青ざめた顔の千晴を見つけ手を振ると、人目を避けるように物陰へ引っ張り込まれた。


 「わわっ! ど、どうしたの? 何があったの?」


 緊張気味に問えば、千晴の表情が強張る。一瞬の躊躇いの後、千晴は声を潜めて事情を話し出した。それは鈴加にとって寝耳に水もいいところで、とんでもない事件だった。


 「え、彩葉さんが襲われそうになって、あたしがそれを仕向けた犯人になってる……!?」

 「あんたのアカウントで学内掲示板にあの女の誹謗中傷を書き込んだ奴がいるみたいなの。それであんたが疑われてる。何より彩葉本人が言ってるらしいのよ。前から脅迫されてたとかなんとか。私もさっき知ったところだけど、すごい速さで噂が拡散してる」

 「きょ、きょきょ脅迫ってあたしが!? なんで!!」

 「しーっ! 声がでかい!」


 どうやら彩葉の親衛隊達が鈴加を探し回っているらしい。捕まれば何をされるか分かったもんじゃないと鈴加は身震いした。普段の取り巻きは女生徒だが、彩葉を崇拝する熱心なファンは男も多い。彩葉の名誉に傷を付けたと知れば、ただでは済まないだろう。何しろ相手は学園のアイドルで、おまけに理事長とも縁の深いお金持ちのご令嬢だ。


 「で、でもそんなの嘘だよ……」

 「そんなことは分かってるわよ。真偽を確かめるために呼んだんじゃないわ。あの女がここまでやるからには何か理由があると思ったの。それが分かれば打つ手があるはず。何か心当たりは?」


 ドクン、と心臓が高鳴る。東から手を引けと警告されたあの日、親衛隊に袋叩きにされそうになった鈴加を庇い、確かに彩葉は言い放った――『天罰を受ける覚悟があるようだ』――と。


 みるみる血色を失っていく鈴加の肩に手を回し、東は気遣うように抱き寄せた。千晴が驚いて目を丸くすると、軽く会釈し口を挟む。


 「僕は彼女と同じ学部の同級生で、東と言います。貴女も彼女の友人ですよね。もし詳しい事情を知っているなら、僕にも話してもらえないだろうか? 彼女は誰かに目をつけられていて、何度も危険な目に遭っている。それと関係があるのなら、解決する力になりたい」

 「危険な目に、ってどういうこと?」


 千晴がギクリとした鈴加を見遣る。心配をかけまいと、図書館で男に襲われたことや親衛隊に呼び出されたこと等は黙っていたのだ。隠していたとバレれば確実に雷が落ちるので、鈴加は居心地が悪そうにごにょごにょ口ごもった。


 「鈴加、どういうことなの? 前から目をつけられてたって本当?」

 「そ、それは、」


 困って東をチラリと見上げると、真剣な表情だった。が、幾分か纏う空気を和らげ、励ますように背中を押してくれた。優しくて、大きな温かい手がふんわりと添えられ、不思議と勇気が湧いてきた。


 「実は――……」



 *



 これまでに起きた出来事をかいつまんで話す間、千晴は一言も発しなかった。図書館で襲われた件では息を呑んで怯えたが、それからは表情を崩すことなく静かに聞いていた。一通り話し終えると、重い空気が漂う。それを払拭したのは、意外なことに千晴自身だった。すぐ側にいた鈴加をおもむろに抱き締め、ギュウと両腕に力を込めたのだ。


 「ち、千晴?」

 「無事で良かった。あんたに何かあったら、私……」

 「……!」


 涙声の千晴の華奢な肩を抱き締め返し、鈴加は穏やかに微笑んだ。


 「大丈夫だよ。ピンチの時はいつも、東くんが助けてくれたんだ。怖い思いはしたけど、平気だよ。それより千晴は大丈夫だった? 前に一度、彩葉さん相手に喧嘩しかけたから、ずっと心配だった」

 「あんたはこんな時にまで人の心配? らしいっちゃらしいけど、感心しないわ」  


 ずびっと大きく鼻水をすすり、千晴は体を離した。大きな瞳は充血していたものの、涙は浮かんでいなかった。気丈なところは昔から変わらないなと、思わず笑ってしまった。


 「君は良い友人に恵まれたようだね」

 「うん。自慢の親友だよ」


 東に対しにっこりする鈴加の前で、呆れたように鼻をかむ千晴。場の空気が和んだところで、キャンパスに放送が流れた。全員がその場に凍り付く。


 『経済学部三年の高橋鈴加さん。至急、理事長室までお越し下さい。繰り返します。経済学部三年の――』


 携帯が鳴り、鈴加はいよいよ逃げ場を失った。学校から電話がかかってきたとなれば、無視はできない。しかもあらぬ噂が広まっているとなれば、なおさら。急激に胃が萎んでいくのを感じながら、震えそうになる唇を噛みしめ、鈴加は二人と距離を取って向かい合う。


 「あたし、行ってくるよ」

 「それなら私も」

 「だめだよ」


 ぴしゃりと否定され、千晴は目を瞠った。臆病で、自分に自信のない鈴加がこんなふうにきっぱりと意見を言うのは、本当に譲れない時だけなのだ。まっすぐに見据える瞳に宿る決意の固さを感じ、千晴は黙った。


 「もう授業がないなら、千晴は帰って。無事でいてくれるって思う方が落ち着いていられるから」

 「でも、」

 「お願い。こんなことで千晴を巻き込んで、万一何かあったら、あたし、もう二度と顔向けできないよ」

 「鈴加……」

 「案ずることはない。彼女の身の安全は僕が保障する」


 ごく自然に割って入った東は、すかさず抗議しようと顔を見上げた鈴加を遮り、凛然と告げる。


 「目の前に守りたい人がいて、危険に晒されている。その瞬間、ただ何もせずに見ていろというのはあまりに酷だ。信じて待つのもひとつの選択だが、共に戦いたいと願う友の想いに応えるのもまたひとつの選択。君の場合、相手を大切にするあまり自らを犠牲にしかねない、無謀な行動を取るだろう。それではだめだ。もう少し人に頼ることを覚えた方がいい」

 「あたしはただ、千晴に、東くんに無事でいてほしくて――」

 「それは僕と彼女も同じことだ」

 「うう……」


 大丈夫だ、と。東は鈴加の頭を撫でた。本当は不安でたまらない、その気持ちごと受け止めるような温かい手だった。ゆっくり視線を合わせると、静かに誓いを燃やす双眸に射抜かれる。


 「約束しよう。僕は必ず、君と君の大切な人を守る。だから一人で戦おうとするのはやめてくれ」

 「東くん……」

 「あー、コホン!」


 二人の間に濃密な空気が漂い、千晴は咳払いした。この緊急事態にイチャイチャするなんていい度胸じゃない――といわんばかりに両目を眇めた千晴だったが、次の瞬間にため息を吐く。


 「気が変わったわ。理事長室へは二人で行ってきて。私はここで、私にできることをやる」

 「え? 千晴にできることって――」

 「掲示板の書き込みの件よ。ちょっとした心当たりがあってね。助っ人を呼ぶわ」

 「うーん、よく分からないけど、無理は絶対しないでね」

 「はいはい。あんたは王子様と二人でちゃっちゃとラスボス倒してきなさい」


 再度校内アナウンスが入り、三人は頷き合って別れた。鈴加が東と共に理事長室へ向かうのを見届け、千晴はスマホに視線を落とす。『助っ人』に連絡を取るためだ。


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