第25話 近付く距離
面接当日、アラームが鳴る前に目覚めた鈴加はひどい緊張で吐き気がした。水を飲むのがやっとで、朝食には手が付けられない。「少しでも何かお腹に入れないと」――心配する春子と対照的に、鈴加の前に座った律は冷たい視線を送った。
「おい。着信。つーかこれから面接だろ? マナーモードにしとけよ」
そんくらい常識だろと窘められ、春子がすかさず「こら! お姉ちゃんのニート回避がかかってるんだから優しくしなさい!」という超プレッシャーなフォローを付け足す。鈴加は椅子の上で縮こまってスマホを見た。早朝からメールなんて、一体誰だろう。
『高橋さん
おはよう。今日はいよいよ面接だね。弓弦から君が頑張っていると聞いて、僕も何かしたくて連絡しました。初めての面接、きっとすごく緊張してると思う。だけど大丈夫。上手な回答ができなくてもいいんだ。普通に会話するつもりで臨んでみて。それでも頭の中が真っ白になったら、焦らず深呼吸だよ。君の素敵なところに気付いてくれる人は、必ずいます。 N』
「N様ぁ!!」
「はぁっ!?」
神すぎるタイミングに感涙し、鈴加は勢いよく立ち上がった。困惑気味の律をスルーし、気合いを入れる。面接本番まであと数時間。千晴や弓弦のアドバイスを踏まえ、できるだけ復習しよう。頑張った分だけ自信につながる。たとえすぐ結果に結び付かなかったとしても、次へのステップになる。今日のチャンスを無駄にはしない。
しゃきーんと背筋を伸ばし、意気揚々と支度を始めた鈴加を横目に、春子はくすりと微笑んだ。
* * *
どうにか面接を終え、数日後。
手応えがあったか微妙なところだが、話している間は終始和やかな雰囲気だった。合格していれば次は最終面接だ。鈴加が受けたのは加工食品や健康食品を製造・販売している中小企業だ。いわゆるネームバリューは薄いが、アットホームな社風の優良企業だ。できれば次のステップに進みたい。僅かな可能性に賭け、面接後からスマホを肌身離さずにいる。
「ま、まさかサイレントお祈りか……! いや、でもっ」
マイナスに傾きそうになる思考を無理やりプラスに引き戻す。一人でブツブツ呟きながら学校に向かっていると、突然、着信があった。しかもディスプレイに表示された番号は――面接結果待ちの企業だ。
「た、高橋ですっ」
「こんにちは。わたくしは株式会社LECの坂本と申します。先日はお足元の悪い中、弊社の面接にお越し頂きありがとうございました。今少しお時間よろしいでしょうか?」
「は、ははははいっ!」
「ふふっ、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよー。選考の結果ですが、高橋様には最終面接に進んで頂くことになりました。日時は後日メールで調整することになりますが、現時点で不都合ございませんか?」
「大丈夫です! ご連絡お待ちしてます!」
「よかったです。それではまた――」
「ありがとうございました!」
通話後、震える手でスマホを握り締め、胸に抱き締めた。内心「やった!」と叫んで涙ぐむ。これまで何通エントリーシートを送ってもダメだったのに、初めての面接で次のステップに進ませてもらえるなんて――。
「奇跡だ……!」
喜びで胸が打ち震え、じーんと熱くなった。感動を噛み締めるようにその場に佇んでいると、空から小雨がぱらつき始め、あっという間に本降りになった。あいにく傘がなかったので慌てて軒下に移動し、ハンカチを取り出す。
「そうだ! まず弓弦くんに連絡しなきゃ」
濡れた髪を拭きながら、弓弦に電話しようとして躊躇う。もしかしたら仕事中かもしれない。それに、この間別れた時は体調が悪そうだった。メールが無難かも。
――本当は直接、顔を見てお礼を言いたいけど、迷惑だよね……。
ふっと昨晩の弓弦を思い出した。合格したら好きな男に祝ってもらえと背中を押してくれた時の優しい表情を。N様や千晴、早紀に連絡すれば絶対に喜ぶと笑ってくれた。ただ、弓弦の考えは分からなかった。澄ました横顔は大人びて、自分の知っている弓弦とは違って見えた。10年の間に変わってしまったのだろうか。
「ふぉおお!?」
不意に着信があり、心臓が跳ねた。たった今考えていた人物からの電話だった。
「も、もしもし?」
『ああ、よかった。少し時間ができてな。お前、今どうしてる?』
「学校に行く途中だよ。急に雨が降ってきて、雨宿りしてる」
『はあ? 今日は天気予報で午後から雨だったろ。傘忘れたのか?』
「う……。だってそれどころじゃなかったし」
言い訳がましく返事をすると、弓弦の呆れたようなため息が漏れる。
「相変わらず鈍くさい奴。ま、コンビニかどっかで傘買えよ。大事な時期に風邪でも引いたらまずいだろ。じゃあな」
「え!? あ、ちょっと待って! あたし面接受かったの! お礼を言いたくて、ちょうど今連絡しようと――」
「へぇ。受かったって、お前の妄想とかではなく?」
「もうっ、意地悪言わないでよ~! なんか不安になってきた……さっきのは幻だったのかも」
「バーカ。真に受けてんじゃねぇよ、小心者。よかったじゃねーか。次に進めるんだろ」
「お、驚かないの?」
「お前が頑張ってたの知ってるから」
さらりと告げられた台詞に、特別な意図はなかった。それでも鈴加は、そんなふうに労われることに慣れておらず、言葉に詰まる。
「……奇跡が起きたんだよ。弓弦くんやみんなが応援してくれたから」
「何寝ぼけたこと言ってんだ。奇跡なんかじゃない。今回のチャンスはお前自身の力で掴みとったものだ。周りの人間は励まして、背中を押すことはできても、お前の代わりにはなれないからな。ちゃんと成果が出たなら、まっすぐ受け止めろ。そして自分を褒めてやれ。――――高橋。よく頑張ったな」
「……っ!」
「あー、呼ばれてるみたいだからもう切るぞ。いいか、ケチって傘買いそびれるなよ。体調管理は大前提だからな」
一方的に通話が途切れ、鈴加はしばらく動けなかった。耳の奥に残った柔らかな声。
『お前、今どうしてる?』
気を遣われたのか、面接のことには触れられなかった。こちらから報告しなければそのまま切られてしまっただろう。弓弦がどんな仕事に携わっているかとか、何も知らない。一緒にいても長居できないし、頻繁に会社から連絡があることから察するに、とても忙しいのは分かる。ただ、いつも涼しい顔をしているから、この間のようにふらつくまで不調に気付いてあげられない。
「分かりにくいよ、弓弦くん……」
もどかしくて、つい非難めいた口調になる。鈴加は無意識にギュッとスマホを握り締めた。時計を見ると、既に講義が始まっている時間だ。あまり遅刻すると出席とみなされない場合がある。雨はまだ強い。迷ったが、単位を落としたくない一心で鈴加は軒下から飛び出した。
「ひゃああ、びしょ濡れになる――! まずはコンビニで傘を、きゃああああ!?」
突然のことだった。
ヒールがポッキリ折れて派手に転んだ鈴加は、周囲の注目を集め、羞恥心で爆発しそうになった。すりむいた膝が痛い。ストッキングが伝線してしまった。せっかく早紀に選んでもらった服も、汚れて台無しだ。
「やだー、あの子かわいそ~」
くすくす忍び笑いが聞こえて、体温が一気に上昇した。たぶん、顔は真っ赤。駅から大学までの大通りは学生でいっぱいだ。気分は最悪だった。こんなひどい格好じゃ、授業に出れそうにない。
『高橋、また転んだのか? 鈍くせーなあ』
ふと脳裏に浮かぶ弓弦少年の顔。文句を言いつつ手を差し伸べ、起こしてくれた。素っ気無い態度だったが、触れる手はいつも優しかった。ちゃんと注意していないと見落としてしまう、そんな温もりだった。
「――大丈夫ですか?」
頭上から声がしてハッとした。声の主を振り仰いだ次の瞬間、全ての音が掻き消える。景色が遠くなり、雨が止んだように錯覚した。自分の肩が濡れるのも厭わず、気遣わしげに傘を差し掛けてくれた人物。それは――
「東くん……!」
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