第22話 降ってきた幸せ

 『高橋さん


  連絡ありがとう。さっそくプロジェクトの成果があったみたいだね。君が少しでも前向きな気持ちになれて、とても嬉しいです。僕は遠くから応援することしかできないけれど、君が共にありたいと望む大切な人と幸せになれることを願っています。 N』



 ♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢



 「うへへ~~~♡」


 N様の返信に思わず顔が緩む。ニヤニヤしてスマホの画面に映り込む自分キモ!!とか考える余裕もないくらい、嬉しくてたまらない。東くんと仲直り(?)できたばかりか、ぐっと距離が縮まった気がする。その上、憧れのN様がメンタル面をサポートしてくれるなら、こんなに心強いことはない。――もしかしたら今、人生で一番幸せかも! まさに僥倖、降ってきた幸せである。


 「ホブゥッ!?」


 背後からスパァンと頭をしばかれ、鼻水が出た。涙目で見上げると、スリッパ片手に呆れ顔をしていたのは天敵・The☆魔王である。


 「締まりのない顔しやがって。そんなにNからの連絡が嬉しいか?」

 「な、ななな何言ってるの? 意味わかんないなぁ~」

 「俺に隠し事できると思うなよ。しかしお前、着信音を初コレ☆和馬のbgmに設定するあたり重度のキモオタだな」

 「グフォオ!!」


 Critical Hit!! HPバーが一気にゼロになりかけ、鈴加はお腹を抱えて俯いた。弓弦はガキ大将のような意地の悪い笑みを浮かべる。だが今日の鈴加は一味違った。


 「そ、そんなこと言って弓弦くんだって乙女ゲーオタクじゃん! しかも『ゆずソーダ』ってハンドルネーム、どう考えても女の子にしか思えないよ! 男の人がネットで女のフリすること、「ネカマ」って言うって千晴が――」

 「だ・れ・が・ネカマだって?」

 「ギャアアア! い、痛い痛いやめて暴力反対ー!」


 頭を左右からグリグリげんこつされてなけなしの反抗心が砕け散る。平凡だった少女が人類の生き残りをかけて魔王に立ち向かう新シリーズ、進撃の鈴加はボツですね。スマセン。


 「それより、俺が渡したWebテスト対策本はちゃんと読んでるんだろうな。崖っぷちの自覚あんのか?」

 「も、もちろん……」

 「だったら頭に花咲かせてないでしゃんとしろ。Nに良い報告したいんだろ」

 「はうぅうう」


 糖度ゼロの氷結魔王を前に萎縮していると、机上にドサッと追加の対策本を投げ出される。ものすごく久しぶりに家に呼ばれたと思ったら、対☆就活勉強会が始まった。しかも超超スパルタ仕様である。ちょっとくらい東くんの余韻に浸らせて~! とは口が裂けても言えないので、鈴加は大人しく従った。



 *



 ――『webテストはテクニック、コツを掴めば簡単』――千晴はそんなふうに言ってたけど、それって地頭のいい人だからできる芸当だよね……。


 苦行のような座学の後、実際にパソコンと睨めっこしつつweb問題集を始めたものの、初歩的な問題に躓き、その都度説明をされ、なかなか進まない。物覚えの悪さでは小学校の頃から先生達を悩ませてきた。長時間、一対一で教えるのは相当ストレスが溜まるだろう。さすがに申し訳なくて、自然と質問するのが億劫になってきた。


 「――で、こうなる。ここまでは分かるか?」

 「うん。アブシッ!? スリッパはやめてよぉ!」

 「うるせー、嘘ついたからペナルティーだ! あのなあ、なんのためにわざわざ勉強会してんだ。お前だけじゃどうにもならんから来てるんだろうが。だったら開き直って聞けよ!」

 「だ、だって~~~」


 盛大にため息を吐かれて身じろぎする。呆れられるのはいつものことだけど、「もう帰れ」って見放されたらどうしよう? 


 不安になって、傍らの弓弦を盗み見た。難しい表情で黙り込んでいる。あ。ヤバイ。これけっこう凹むかも。泣きそうになり、慌ててパソコンの画面に視線を戻す。すると、フワッと爽やかな香りがした。前屈みになった弓弦がパソコンの画面を覗き込んできたのだ。


 「……っ」


 鈴加は緊張で体が強張った。背後から抱き締められるような体勢で、パソコンと弓弦に挟まれている。すぐ側に弓弦がいて、少しでも動いたら体が触れてしまいそうだ。


 「ゆ、弓弦くん、何してるの?」

 「んー? どうしたら理解してもらえるか、考えてた」

 「え……」

 「俺の説明の仕方が悪いのかもな。もっと噛み砕いて基本から――」

 「弓弦くんは悪くないよっ!」


 はたと顔を見合わせ、近すぎる距離に鼓動が跳ねた。目前に迫った弓弦の顔は、ゾクッとするほど綺麗だ。東も相当な美形で神々しく、直視すると目が潰れそうになるが、彼の場合は思わず触れてみたくなる温かみがある。他方、弓弦は硬質な金属のようで、気軽に触れることを躊躇わずにはいられない、そんな美形だ。


 「ご、ごめん!!」


 ――眩しすぎて存在が消されるうぅううう!


 強烈な光を遮るように急いで俯くと、気配が離れていく。張り詰めた空気が緩み、ホッとした。弓弦がどんな表情をしているのかまで気にかける余裕がなかったが、「少し休憩にしよう」――そう告げた彼の声は落ち着いていて、怒ってないと分かればそれで十分だった。



 *



 「こ、これは! 伝説の彩子(弓弦ママ)スペシャル!!」

 「お前が来るって伝えたら妙に張り切っちまってな。ま、せっかくだから食ってけ」


 弓弦が部屋に戻った時、紅茶とパンケーキがテーブルに並べられた。まだホカホカしている三段重ねのパンケーキには、生クリームにマカデミアナッツソース、季節のフルーツがたっぷり乗せられている。


 「おぉおおお~♡ 彩子さんの手作りスイーツ久しぶりだよぉ~♡」


 シャキーン☆ とスマホを出して色んな角度から写メり、ハッとした。――完全に弓弦くんを無視してはしゃいでしまった! これは絶対、子供っぽいってバカにされる……! 


 「ははっ、お前いくつだよ」


 向かいに座って頬杖をつく弓弦に視線を奪われた。無邪気に笑う姿を見たのは何年ぶりだろう。


 「? 何ボーっとしてんだ?」 

 「う、ううん! ではさっそくいただきます♪」


 ハムスターそっくりにもきゅもきゅ食べる鈴加の前で、優雅に紅茶を口に運ぶ弓弦。――同じ空間にいても別次元の人みたいだなあ。無造作に足を組む仕草だけで絵になるなんて。


 「そういえば、今日待ち合わせしたときよくあたしだって分かったね? 早紀さんマジックの効果絶大で、千晴でさえすぐ気付かなかったのに」


 えへへと頬を掻くと、突如吹きすさぶブリザード。あれ、なんだかご立腹でいらっしゃる。もしかして地雷踏んじゃった感じでしょうか??


 「少しくらい見てくれが変わったからって調子のんなよ。中身はバカ橋のままなんだから」

 「ぐおぉぉ、厳しい……!」


 みぞおちにパンチを食らったようによろけると、「フン!」と鼻を鳴らされた。それからは余計なことを言うまいと、黙々食べ進める。急に胃が重くなってきた。鈴加がしょんぼり項垂れている間に立ち上がり、弓弦は渋い顔をした。


 「それ食ったら勉強再開だからな」

 「はい……」

 「……アホめ。何年一緒にいたと思ってるんだ」

 「へっ? 何か言った?」

 「何も」

 「???」


 なぜか不満そうな弓弦だが、機嫌を損ねた理由が分からない。考え事をしながらケーキを頬ばり、一気に飲み込もうとしたのがまずかった。


 「ゲホゴホグフォッ!!」

 「何やってんだ!? 水飲め水!」

 「ぜー、はー、ぜー、はー。あ~窒息するかと思った…。ありがと弓弦くん」

 「誰も取らないから欲張って頬張るなよ。ったく、口の周りクリームだらけにしやがって。小学生かお前は」

 「むぐっ」


 やや乱暴にティッシュで拭かれ、唇がヒリヒリする。完全に子供扱いだ。あのー、これでもハタチ過ぎてるんですけど? 文句を言おうとしたが上手い反論が思い浮かばなかった。青くなったり赤くなったり、くるくる表情を変える鈴加を前に、弓弦はふっと頬を緩めて笑った。


 「バーカ」


 ――それは信じられないくらい、優しい眼差しで。自分は嫌われてないんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。子供の頃は、ドジをして泣いた鈴加の側で、泣き止むまで辛抱強く待っていてくれた。笑ってみせれば、からかい口調で慰めてくれた。長年開かなかったアルバムを捲るように懐かしさが湧き上がる。


 ――いつもの弓弦くんだ。


 肩の力が抜け、ふにゃりと笑ってしまう。警戒を解いた鈴加の無防備な笑顔に、弓弦はハッと我に返った。そして手近な本をばふっと鈴加の顔面に押し付け、舌打ちをする。


 「わぷっ!? ま、前が見えないよ~!」

 「こっち見んなバカ。とてつもなく不愉快だ」

 「えー!!」


 ガクリ。冷たい。やっぱり魔王は通常営業でした……。

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