第20話 勇気を出して
彩葉の言葉は正鵠を得ていた。東と自分では天と地ほどに差があることは疑いようのない事実だ。本来なら、挨拶さえまともに交わせるか怪しい。だって彼はみんなの王子様で、自分はよくて脇役、悪ければモブだ。だけど――
『もう、下を向いて歩きたくない。面白くもないのに、笑うのをやめたい。胸を張って、好きなものを堂々と好きと言いたい。友達に助けてもらうばかりじゃなくて、相手の力になりたい……!』
早紀に告げた心の声は。偽りのない、鈴加の本心だった。
「……石ころは、宝石を素敵だと思うことさえ許されないんですか?」
掠れた声でどうにか返事をすると、彩葉はすっと眉を寄せた。気圧され、振り絞った勇気が今にも萎みそうだ。だが、ここで引き下がることはできない。
「確かにあたしは彩葉さんみたいに美人じゃないです。これといった取り柄もありません。だから周りから見てあたしが東くんに近付くのは不愉快だっていうのは分かります。図々しい自覚もあります」
「だったら素直に身を引いたらいかが?」
「嫌です。だって東くんはあたしと友達になりたいと言ってくれた。あたしも東くんの友達になりたいと思ってます。だから東くんに近付かないなんて約束できません」
「こいつ、黙って聞いてれば彩葉様に向かって偉そうに!」
――ぶたれる!
親衛隊が叫んだ瞬間、反射的に目を瞑り、歯を食いしばった。一瞬遅れて右頬に響く衝撃。乾いた音と共に、焼け付くような痛みが走った。じんじん頬が痛み、気を抜くと涙が出そうになる。続けて他の親衛隊が前に進み出たので、袋叩きにされるのかと身震いした。だけど、
「おやめなさい。彼女は天罰を受ける覚悟がおありのようですわ。――行きましょう、みなさん」
底冷えするような彩葉の声音がそれを制止し、親衛隊と共に去って行った。
♢♢♢ ♢♢♢
「あいたっ、あたた……」
彩葉に解放された後、女子トイレへ直行した鈴加はぶたれた頬に濡れたハンカチを当てた。容赦なく振りかざされた手は、思った以上の攻撃力だ。腫れが引くのを待っていたらあっという間に講義が始まる時間になり、慌てて教室へ駆け込む。
――げっ。彩葉さんもいる……!
窓際に座っていた彩葉は何事もなかったかのように談笑していた。男の子達に囲まれ、楽しそうだ。親衛隊は邪魔にならないよう後方の席に控えている。ふと、彼女たちのひとりと目が合い、慌てて逸らす。
――できるだけ離れて座ろ。
後方出入り口の付近に席を確保し、鈴加はきょろきょろした。この講義は東も取っているはずだから、上手くいけば後で話すチャンスがあるかもしれない。できれば今、どの辺りにいるか確認しておきたい。
「……いた!」
思わず口に出し、隣の学生が不思議そうに鈴加を見た。恥ずかしくて俯き、膝の上に組んだ手をもじもじさせる。深呼吸し、もう一度前を見た。東はどこにいても一際目立つ。教壇のすぐ側にいた。どうやら友達と一緒のようだ。
*
講義後、鈴加はまっすぐ東の方へ向かった。たくさんの友達と親しげに話す彼に声をかけるのは、鈴加にしてみればとても勇気のいることで、一瞬、躊躇った後に声を上げた。
「東くん!」
くるりと彼が振り向き、心臓がドッと高鳴る。彼の表情を見る限り、千晴と同じく鈴加が誰だか分からない様子だ。
「あの、あたし高橋です」
「え……、高橋さん!?」
東は大きく瞳を見開き、鈴加を見つめた。
「おい亮太、誰だよこの可愛い子。友達? 紹介して~」
「バ、バカ言うな。僕は彼女と話があるから先に行ってくれ」
「えー! 独り占めかよー! つーかこれから部活だろ? 部長が遅れちゃマズイだろ。俺が代わりに相手するからさ」
「ふざけるな。いい加減にしないと怒るぞ」
鈴加の肩に触れようとした青年の手を払い、東は声を低めた。いつのまにか好奇の視線を遮るように、鈴加を隠す壁となってくれている。
「東くん、部活なの? だったらあたし、終わるまで待っててもいいかなあ?」
「しかし、君を一人で待たせるのは悪い」
「いいの。あたしが待ってたいんだ。迷惑かもしれないけど、どうしても今日、話がしたくて」
「迷惑なものか!」
とんでもない、と振り返った東と顔が近付き、耳が熱くなる。心なしか東も頬が赤い。さっと節度ある距離を取ると、東は突然表情を曇らせた。不審げに瞳を細め、鈴加の頬にそっと手を伸ばす。
「――この頬はどうした?」
「え、あ……」
しまったと思った時には遅かった。頬を隠そうとしたが、既に見られてしまったのだから仕方ない。腫れはだいぶ引いたが、まだ赤みが差していた。
「何かあったのか? 僕には話せないこと?」
「これは、」
「目の前にいるのに、君の力になれない。それが何より悔しい。君を守りたいのに――」
「東くん……」
硝子細工に触れるように、腫れた頬を撫でる指先。苦しげな東を前に、胸の奥がギュウっと締め付けられる。
「おーい。お二人さん、いつまでそうしてるの? めっちゃ注目浴びてますよ~」
東を見上げた格好で頬に触れられていれば、まるで恋人同士が見つめ合っているようだ。東の友人のツッコミで我に返り、慌てて離れた。鞄を胸に抱いて顔の下半分を隠す。四方八方から注がれる羨望の眼差しが痛すぎる!
「何もやましいことはしていないだろう」
「そういう問題じゃないってー。東はもっと周りに気を配るべきだよー」
人気者はどこでも注目されるんだから、と忠告され、東は渋い顔をした。好き好んで騒がれているわけではないのだ。
「ね、東に用事なら部活見にこない? 柔道だから女の子には暑苦しいかもだけど」
「いいんですか!?」
「何を言ってる。そんなのダメに決まってるだろう!」
「え……」
「あ、いや。君が悪いんじゃないんだ。ただ、あそこは男ばかりで――」
「ううん、あたしの方こそごめんなさい。部外者が立ち入るのはダメだよね。あたしカフェテリアで待ってる。東くん、部活がんばってね!」
内心がっかりしたのを気取られないよう、精一杯の笑顔を浮かべた。すると、「うっ」と明らかに困った様子で言葉に詰まり、東は諦めたようにため息を吐く。
「退屈かもしれないが、君が練習に興味があるなら案内しよう。ただし、僕の目が届く場所にいてくれ」
「ほえ? いいの?」
「高橋さんならかまわない」
「ありがとう! すっごく嬉しい! 邪魔にならないよう、心の中でたくさん応援するね!」
子供みたいにはじゃぐ鈴加と微笑む東を交互に見比べ、友人は目を丸くした。武道一筋で、どんな美人にも見向きもしなかった東が、部室に女子を招待することなど前代未聞だったのだ。
♢♢♢ ♢♢♢
「ねー、君って何者? 東の彼女、ではないか。でも特別っぽかったし、彼女候補?」
柔道部の道場の隅で練習風景を見守っていた鈴加に、そっと声をかけたのは先ほど東と一緒にいた青年だ。鈴加は瞳をパチクリさせ、それから「まさか!」と大げさに否定した。
「そうなの? 俺はてっきり……ま、いいか。東の彼女じゃないならさ、どう? 今度俺と遊ばない?」
「え……!」
「おおっ赤くなった。これは脈ありかなー?」
「ち、ちちちち違います! きちんとした男性にお誘いされるのは初めてで、びっくりして」
「うあ、意外にハッキリ言うねぇ。俺は圏外かー、残念」
ははっと愉快そうに笑い飛ばされ、ちっとも残念がってないのが分かり、鈴加は内心ホッとした。
「それにしても、『きちんとした男性』なんて初めて言われたなー。いつも軽そーって言われるし」
「そうですか? そんな風には見えないです」
「マジ? ちなみにどの辺が?」
「東くんに『周りに気を配るべき』って言ったところです。あれは気が利かないって窘めたんじゃなくて、自分自身に無頓着な彼を心配して注意したんじゃないかと思ったんですが、違いましたか?」
確かめるように青年を見上げると、彼は「なるほど、これは手強い」などとブツブツ呟いた。不安になってじっと見つめれば、ほんのり顔が赤くなる。――どうしよう、まさか怒らせた!?
「何をしている。さっさと練習に戻れ」
「ちょっとね~。東のお姫様と話してみたかっただけだよーん」
「な……っ!」
「おお、怖い怖い。騎士様がお怒りだ。邪魔ものは退散っと♪」
飄々とした態度で練習の輪に戻った友人の背中を見送ると、東は眉間に皺を寄せた。
「すまない。失礼なことを言われなかったか?」
「大丈夫。たぶん、一人でいたから気を遣って様子を見に来てくれたんだと思います。優しいお友達ですね」
「……自覚がないから余計に不安だ」
「へっ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます