第17話 魔法をかけられて

 「へえ。素敵じゃない」

 「ですよね!?」


 思わずパアッと表情が明るくなる。恋人でもなんでもないのだが、東が褒められると無性に嬉しかった。鈴加は今、どれほど嬉しそうに目を輝かせているのか無自覚なまま続けた。


 「東くんはみんなの憧れで、アイドル級に可愛い女の子に言い寄られても、相手の外見で態度を変えないでいてくれるんです! あたしみたいなモブキャラ兼脇役にも同じように笑顔で接してくれて……本物の王子様みたいなんです!」

 「モブ兼脇役? よく分からないけど、エキストラ的な意味かな? 鈴加ちゃん、自己評価低いねぇ。私は素直で可愛いと思うよ」 

 「そんな! か、可愛いなんて言われたことないです! 実際、可愛くないし……」

 「むむっ。今をときめくスタイリストの言うことが信じられない?」

 「ごめんなさい。早紀さんを疑ってるんじゃなくて、ただほんとに自信がなくて」

 「――彼とお近づきになりたくないの? だから変身プロジェクトで生まれ変わろうとしてるんだと思ったわ」


 変身してこれまでと全く違う自分になれるなら――、その可能性に賭けてみたいという想いと、変わってしまうことへの恐怖がせめぎ合う。鈴加は躊躇いつつ、両膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。


 「変身プロジェクトの話は正直まだ戸惑ってます。弓弦くんはあたしの三次元アレルギーを治して孤独死フラグを叩き折るって息巻いてましたけど、未だに二次元オタクから抜け出せる気がしないし、それに何より……分からないんです。自分の気持ちが。東くんと向き合う前に逃げてしまったから」

 「要するに、相手の厚意を無碍にして突き放したのね?」

 「……っ」


 ずばり図星を突かれ、言葉を失う。逃げたと言われるより、突き放したと責められる方が何倍も胸に刺さった。ただただ臆病な自分が情けなくて仕方なかった。しょんぼり肩を落とす鈴加の後悔を感じ取り、早紀はキリリと眉を吊り上げる。


 「後悔してるんだったら、これから向き合っていけばいいじゃない」

 「で、でも、あたし何も返せないんですよ? 一方的に助けてもらうばっかりなんて、それじゃ昔と全然変わってない。あたしには、彼の側にいる資格ないんです」

 「シャラーップ!! 『でも』、『だって』、禁止っ!!」

 「ふぉおおお!?」


 いきなりダメ出しされ、鈴加は椅子のまま転げ落ちそうになる。それを見事に引き戻した早紀は、腰に手を当てて仁王立ちした。それが千晴の姿と重なり、いつ雷が落ちてもおかしくないと身を強張らせる。だけど次の瞬間、降ってきた声は、厳しくも、想像よりずっと温かいものだった。


 「さっきから聞いてれば言い訳ばっかり。昔の男と何があったのか知らないけど、振られたくらいなによ。誰かに背中を向けられて、自分には価値がないと思い込んでるならそれは大間違いよ。あなたの価値は、あなただけのものだわ。――――ほら、鏡を見て」


 頬に手を添えられ、鏡を正視した鈴加は息を呑む。根本がプリンになっていた明るい茶髪は、綺麗なアッシュブラウンに染められている。傷んだ毛先は落とされ、鎖骨の下あたりでくるんと愛らしくワンカールしていた。服やメイクはこれまでのエセギャル風ではなく、清潔感のあるお嬢様風になっている。睫毛は自然と上向きに、チークの色は控えめ、瞼には艶があり、唇は朝露に濡れた果実のように瑞々しい。


 「ね? 鏡に映る自分は、捨てたもんじゃないでしょう?」

 「こ、これがあたし……?」

 「そうよ。正しく磨けば正しく光る。女は宝石と同じ。どんなダイヤモンドだって原石のままじゃ輝けない。知ってる? 綺麗になれる最高の魔法は『恋』。あなたはもう、その魔法にかかってる。私たちスタイリストはあくまで、お客様に変わるきっかけを与えるだけ。だからここからがほんとうの勝負よ。聞かせて、鈴加ちゃん。あなたの願いは何?」

 「あたしの願い……」


 ――口に出してもいいんだろうか。ささやかで、贅沢な願いを。


 「あ、東くんと……友達になりた……っ」

 「あーっ今泣いちゃダメ! メイクとれちゃうっ!」

 「す、すみません!」


 ぐっと嗚咽をこらえ、鈴加は上を向いた。天井のライトが眩しくて、涙でキラキラ視界が滲む。ああ、そうだ。世界はいつだって、ちゃんと輝いていた。それを曇らせていたのは、他ならぬ、臆病な自分自身だ。


 「――――もう、下を向いて歩きたくない。面白くもないのに、笑うのをやめたい。胸を張って、好きなものを堂々と好きと言いたい。友達に助けてもらうばかりじゃなくて、相手の力になりたい……!」


 失敗を恐れ、『何もしない』選択肢を選び続けてきた。転ばないかわりに褒められることもない、感情の起伏が乏しい毎日。ただ何となく周りに合わせて、同じグループの人間の顔色を窺う日々。それが就活を始めて、いかに役立たずだったか思い知った。主体性がなければ意味がないのだ。


 ――抜け出したい。ちゃんと、大切な人と向き合える自分になりたい。


 「早紀さん、あたし、変わりたいです」


 自然と前を見据えた鈴加に、早紀は励ますような笑みを浮かべた。


 「よく言えました。これであなたの願いは一歩前進ね。誰かに自分の願いを口にすることで、現実にするんだって想いが強くなるのよ」

 「……そうなんですか?」

 「私がスタイリストになるって決めた時も、プロになるまでそうしてきたわ。できるだけ沢山の人達に夢を語るの。中には笑い飛ばす失礼な奴もいたけど、笑いたい奴は笑わせればいいのよ。最後に笑うのは自分だと信じて頑張りなさい。そうすれば力になってくれる人が現れるから、縁を大切にね」

 「――――……」


 人との縁。それはどうやって結ばれていくのだろう。目には見えない糸のように、お互いを繋げてくれるのだろうか? 一度繋がっても、放っておいたら簡単に切れてしまうものなのだろうか? 鈴加は瞼を閉じ、東と出逢ってからのことを思い浮かべた。


 『周りに合わせようとするのはおかしいことじゃないよ。僕が見た限り、君はちょっと自分に自信がないだけで魅力的な普通の女の子だと思う』

 『目の前に助けられるかもしれない人がいて、自分に守る力がある。それでも、見て見ぬふりをしろと、君はそう言っている』


 『僕の力を認めてくれて、守るべきもののために使えと言うなら、その「守るべきもの」を選ぶ自由をくれないか』

 『これは全部、僕のわがままだ。もし君の護衛中に何かあったとしたら、それこそ僕の自己責任だ。君が後ろめたく感じる必要なんてどこにもない。だから頼む、』


 ――――君を守らせてほしい。


 凛とした声が、まだ耳に残ってる。あたしも守りたい、だなんて――今の自分では、おこがましくてとても言えないけれど。少なくとも、彼の笑顔を曇らせたくない。そう強く願う鈴加の瞳に、微かな光が灯った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る