第15話 優しい嘘
「素直で可愛い子じゃない。この分じゃ、プロジェクトなんて必要ないんじゃない?」
「いや、こいつの心には根深い傷がある。自信を取り戻すまで、誰かのサポートが必要だ」
楽観的な早紀の意見を否定し、弓弦は鈴加の寝顔を見つめた。警戒心の欠片もない穏やかな表情で熟睡しており、自ら連れ出しておきながら不安になる。まさか大学でもこんなふうにホイホイ男の後をくっついて回ってないだろうかと。そんな弓弦の懸念を汲み、早紀は呆れた。
「そんなに大切なら正直に打ち明ければいいのに。『君が心配だから側で見守りたいんです』って」
「アホか、それじゃプロジェクトを企画した意味ないだろうが。まあ、実際にはあの性悪女……千晴の差し金なのが気に食わんが仕方ない。こいつがいつまでもこんな状態じゃ、安心して日本を発てないからな」
「男って面倒な生きものねえ。弓弦なら、ちょっと強引にキスして『俺のものになれよ』とか言ったらたいていコロッと落ちちゃうと思うけど。いっそ貴方が恋人になってあげたら?」
「俺が? はっ、冗談キツイぜ。こいつには身の丈に合った男を見繕ってやる。それで過去も全部チャラだ。腐れ縁が切れてせいせいする」
――そんな目で見つめておいてよく言うわ。
早紀は内心ツッコミを入れるも、口にすれば確実に弓弦の機嫌が悪くなるので押し黙る。弓弦には自覚がないのだろう。素直じゃないこの男――滅多に他人に本音を漏らさない一匹狼が、わざわざ連絡を寄越し頭を下げてきたことは記憶に新しい。
『どうしても変えたい女がいる』
女に不自由せず、むしろ本気になった相手を冷淡に退け泣かせてきたこの男が、たった一人のためにプライドを捨てて頼み込んだのだ。早紀は密かに感銘を受け、協力することを決めたのだった。
「……ま、いいわ。仕事として引き受けたからには、この岡田早紀、スタイリスト生命に懸けてこの子を素敵な女性に変身させてあげる。それでいい?」
「ああ、すまない。恩に着る」
「ところで弓弦。今フリーならどう? 日本こっちにいる間、しばらく私と付き合わない? 悪いようにはしないわよ」
「いや、やめておく」
「ぶー。私じゃ役者不足だっての? これでもけっこうモテるんだから」
冗談半分でからかった早紀は、即お断りされて不満げに頬を膨らませた。その仕草が可愛らしくて、弓弦は緩やかな微笑を湛える。
「だからだよ。早紀と付き合ったら遊びじゃ済まなそうだからな。それに、」
「な、なによー」
「――お前みたいないい女が、自分を安売りするような真似はよせ」
「……っ!」
カードで三人分の支払いを済ませ、スマートに席を立った弓弦は鈴加を横抱きにすると、店の出口へ向かった。マスターが気を利かせて扉を開けてくれたので、目礼して去っていく。その姿はまるで、愛しい姫を守る王子様のようだった。
「あーあ、なんかいい出会いないかなぁ~」
「早紀さんなら引く手あまたでしょう」
「ありがとマスター。もう一杯ッ!」
やさぐれる早紀と別れた弓弦は、鈴加を優しく車の後部座席に寝かせた。運転している間、極力揺らさないように配慮する。高橋家に戻ると、エンジン音を聞きつけた春子が迎えに出た。酔って寝落ちした鈴加を部屋に運び、ベッドに降ろす。安心しきった顔でむにゃむにゃ寝言を零されれば、童顔チビが相まっていっそう彼女が幼く見えた。
ベッドの隣に置かれた椅子に腰かけた弓弦は、くるりと視線を一周させる。鈴加の部屋に入ったのはかなり久しぶりだ。ふと棚に飾られた古いぬいぐるみやビーズのブレスレットに気付いて目を瞠る。それらは全て、弓弦が子供の頃に贈ったものだ。なんだかんだ理由をつけ、無理やり押し付けたのだが、あの時の花のような笑顔が鮮明に浮かぶ。
「こんなもの、捨てればいいのに。バカだな」
律儀な鈴加を想い、弓弦は視線を逸らした。高級ブランドのアクセサリーやバックをねだる女は山ほどいたが、こんなささやかな贈り物を後生大事にしている者は他に知らない。
「……現実に戻って来い。一度就職したら長く勤めることになる。自分を取り巻く環境を選ぶのに妥協するな。そしていい男を捕まえて、幸せになれ」
座ったまま鈴加に近付き、髪を掬う。唇を寄せ、触れるだけの柔らかい口づけを落とす。窓から差し込む月光に照らされ、弓弦の双眸が微かに揺れる。しかし春子が階段を昇る音を合図に、パッと体が離れた。ドアが軽くノックされ、弓弦は立ち上がる。
「あの子は寝たままかしら?」
「はい」
「全く、外で寝るなんていい歳して、ねえ? 重たかったでしょう、ごめんなさいね」
「いえ、連れ出したのは俺ですから。むしろ、側についていながら申し訳ありませんでした」
すっと頭を下げられ、春子は慌てた。こんなに綺麗なお辞儀は見たことがなかった。「それでは失礼します」――共に階段を降り、玄関先で別れの挨拶を交わす。
「弓弦くん、」
「なんでしょう?」
「鈴加に本当のことを言わなくていいの?」
迷いを捨てきれず、弓弦を引き留めた春子は、長年の疑問をぶつけた。
「お父様の厳命で海外留学が決まって、引っ越す直前にうちへ来てくれたわよね。あの時、たまたま留守にしていて会えなかったけど、もし、あの時あなたが来たと知ったら鈴加はきっと――」
春子の意図を察し、唇を真横に結んだ弓弦は左右に首を振った。
「――いいんです。もう、終わったことですから」
「でも、」
「子供の頃の話です。時効ですよ。今更蒸し返して、お互いのためになると思えません。俺は一年待たずに欧州へ戻る。おそらくもう二度と会うことはないでしょう」
「そう……私はてっきり……」
言い淀んだ春子の表情から、何を伝えたいのか十分伝わってきた。だからこそ真摯な態度で応えたいと、ほんの少しだけ胸の内を打ち明ける。
「彼女が側に居ると、調子狂うんです。だから、嫌われてるくらいが丁度いい」
少年の面影を残した困ったような笑顔を浮かべられ、春子はそれ以上追及できなかった。
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