第13話 プロジェクトN

 「東くん……」


 とくん、とくんと心臓が跳ねる。これは深い意味のない、純粋な厚意だ。危険が過ぎ去ればまた元通り、よくて挨拶を交わす程度の関係に戻る。それなら許されるだろうか? ほんの少しだけでもこの人の側にいることができたら、どれほど心が救われるだろう?


 『――高橋は俺の背中に隠れてろ。絶対守ってやるからな』


 ふと昔の記憶が蘇り、東に重なる。ピンチに陥ると、見計らったように現れた弓弦。相手がガキ大将であろうと怯まず立ち向かった少年の背中が瞼に焼き付いていた。実際、喧嘩の強かった弓弦は負け知らずで、当時は無敵のヒーローだと信じていたのだ。こっぴどく振られて以来すれ違ってしまったものの、彼が助けてくれた事実は変わらない。それでも――


 「嫌っ!!」


 ――誰かに心を寄せるのが怖い。もう二度と、あんな思いはしたくない。


 「高橋さんっ!?」


 驚いて緩んだ東の手を振り払い、出口へ向かって駆け出した。瞬時に引き留めようとした東は、鈴加の頬が涙に濡れていることに気付き、それ以上深追いしてこなかった。



 ♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢



 帰宅し、鈴加はすぐさま自室へ逃げ込んだ。今は誰とも顔を合わせたくない。キャンパスバックを放り投げ、ベッドに寝転がる。ポロポロ涙が零れるのが悔しくて、乱暴に袖で拭った。


 ――ほんとうは分かってる。


 酷いのは自分の方だ。弓弦は悪くない。友達だと認めてもらえなかったのは、今思えば当然だ。対等な関係だったかと聞かれればそれは違うのだから。出逢ってからの五年間は、一方的に守ってもらうばかりだった。いつも、いつでも、あの背中に庇われていた。そんな弓弦に、少しでも何か返すことができていただろうか? 答えは否だ。 


 「こんなあたしは東くんの側にいる資格ないよ……」


 ズキンと胸が痛み、鈴加は思考をシャットダウンした。ちょうどドアがノックされ、慌てて起き上がる。


 「バカ姉貴、お前に荷物だ。入るぞ?」


 律だ。一応入室の許可を求めるあたり成長したなと内心微笑ましい。「どうぞ」と返事をするのとほぼ同時に弟がドアを開き、鈴加を見るなりギョッとした。


 「な、ななななんだよその顔!?」

 「へぁっ?」

 「へぁっじゃねーよ! 妖怪だろそれ!? 目の周り真っ黒!!」

 「おおぉおお!?」


 千晴にもらった手鏡を掴み、顔を確かめてショックを受ける。真っ赤に充血した瞳の周りはマスカラとアイラインが滲んで酷い有様だ。千晴が夏の怪談ネタと言ったのも頷ける。あわあわ拭くものを探し、ティッシュ箱を引き寄せた。あ。空だ。ぐすん……。


 「しょーがねぇな……」


 超不本意そうに舌打ちし、律が近付いてきた。もしかしてハンカチ貸してくれる展開? 期待に胸を膨らませ、大人しく瞼を閉じると――


 「へぶぅッ!?」


 両頬をつねられ、そのまま真横に引き伸ばされる。あッ痛い、痛い痛いやーめーてー!! モモンガそっくりになった間抜け面の鈴加を前に、危うく吹き出しそうになるのを律は寸でのところで堪えた。


 「牛蒡体型の貧乳でバカでブスで影の薄~い姉貴が、陰気臭い顔してんじゃねーよッ。湿気で部屋がカビるわ!」

 「がーーーん!!」

 「古いッ!」


 スパァンとスリッパで叩かれ、鈴加は律がだんだん魔王に似てきたことに絶望した。――血繋がってないのにこの感染力は何だ!? 恐るべし弓弦菌……。


 「ふん。お前なんかにわざわざ荷物を送ってくれたありがた~い人間がいるんだ。誰か知らんが、『N』ってやつ、かなりの物好きだな」


 鼻息荒く律が部屋を出て行き、鈴加は押し付けられた荷物に視線を落とす。送り主は『N』。プリンターで印字されたアルファベット一文字に覚えはない。いや、待てよ。N? N……。どこかで聞いた名前だなぁ。うーん。


 「ま、ままままっままさかN様!?」


 ベッドの上でひっくり返り、壁で後頭部を強打し悶絶した。ぐぉぉおお! と乙女らしからぬ悲鳴をあげてしまい、隣の部屋から律が壁を蹴る音がする。身を縮こまらせ、ガクブル震える手で包みを開くと、中にはCDが入っていた。


 「『ときめき☆初彼コレクション ~幻のドラマCD~ 君と紡ぐセレナーデ』? こんなの発売されてないよね。何かの特典かな? 長文のプレイ感想アンケート送ったし……ん? 手紙がついてる」


 『高橋鈴加さん


 はじめまして。

 君がこの手紙を読んでいるということは、ついにプロジェクトNが始動したってことだね。なんだか自分のことのようにワクワクしています。乙女ゲームのシナリオでもあった、女の子が恋をして可愛く変身するシンデレラストーリーには夢があって素敵だなと思っていました。


 企画者の弓弦くんとはちょっとした縁があり、参加させてもらうことにしたよ。このCDは特別に収録したもので、初コレサブキャラの和馬――僕が演じてる――の恋愛ルートという設定です。君が無事にプロジェクトを成功させたご褒美として用意させてもらいました。パスワードを入力しないと聴けない仕様になっているので、弓弦の指示に従ってミッションコンプリートして下さい。それでは最後に、君の健闘を祈っています。いつも応援ありがとう。


 PS.本当はルール違反だけど、念のため僕のアドレスを教えます。弓弦はスパルタだから、どうしても辛くなったら僕に相談して下さい。話を聞くことしかできないけど、君の力になりたいと思います。N』


 信じられない気持ちで手紙を何度も読み返し、手紙の端に書かれたメールアドレスを凝視した。それから再びCDを手に取る。こ、これが幻の和馬様攻略シチュエーションCD? 嘘。絶対ありえない! こんな素晴らしいお宝が届くなんて――思わぬレアアイテムをゲットしたその時、


 パッパラーララールルー♪


 スマホが鳴り、見知らぬ番号が表示される。このタイミング……ま、ままままさかN様ッ!? 


 「N様でしゅか!?」

 「誰がNだ気色悪い声を出すなバカ橋」


 げぇッ。この声は、弓弦くん!? 勢い余って舌を噛んだ鈴加は涙目になる。よりによって弓弦とは、N様かと期待しただけに落差が激しい。ていうかなんで魔王があたしの番号知ってるのー!?


 「ただいま~お掛けになった電話は~電波の届かないところにあるか電源が♪」

 「思い切り入ってるだろうが。ふざけた態度取ってると坊主にするぞ。毛根ごとハーベスト希望なら続けろ」

 「いやああぁあ! そんな収穫祭いらないです~!!」

 「いいから黙って外を見ろ」

 「???」


 ブツッ。


 通話が途切れ、鈴加は窓に近付き、カーテンを開けた。既に外は真っ暗だが、家の前の電灯が、The☆庶民住宅街におよそ似つかわしくない高級車を照らしている。高橋家の前に特注ベンツ。はきだめに鶴……ゴホッ。


 黒光するベンツ様から降りてきた弓弦は、こちらを見上げ手を仰ぐ。何やらサインを送っているようだ。指を三本立ててから親指を上から下に向けた。首の前でシュッと切る仕草をし、それから腕時計に視線を落とす。 


 「3秒以内に……降りて来い? でなきゃ処刑!?」

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