第12話 守りたいもの
「事情は分からないけど、君は悪質な人間に目をつけられているようだ。これはれっきとした犯罪だよ。あと少し踏み込むのが遅ければ、容赦なく組み敷かれていただろう」
「……!」
「今回は偶然、僕が現場に居合わせたからよかった。借りようと思っていた本が貸出中で、予備の蔵書があると旧図書館を勧められたんだ。だけど地下書庫へ入ろうとしたら鍵が掛かってて、おかしいと思った。閉館には早すぎる。念のため確認しようとしたら君がいて――」
言葉を切ったのは、鈴加を気遣ってのことだ。男に襲われそうになった、なんて話は誰にも触れられたくないだろうし、第一東自身が男である。えもいえぬ焦燥感に焼かれ、東は酷く苛立っていた。
「――どうして君がこんな目に遭う」
「え」
「なぜあの男を追わせなかった。犯人に心当たりが?」
「そ、それは」
「君が危険に晒されるその瞬間とき、助けられる人間が側にいる保障なんてどこにもない。それなのに彼を野放しにして、今度何かあったらどうするつもりだ」
「……っ」
「君が黙っているつもりなら、僕が――」
「やめて!!」
自分でも驚くくらい、大きな声だった。鼓動が速まり、息苦しさで胸が詰まる。つい先ほど起きた事件は鈴加のなけなしの勇気を根こそぎ奪い去っていった。本当は立っているだけでやっとの思いだ。それでも、東を止める――巻き込ませないという想いが、崩れ落ちてしまいそうな自分を奮い立たせてくれる。
「だめだよ、東くん。……気持ちは嬉しいけど、あたしなんかに関わったらだめだ。前に痴漢から助けてくれた時は深く考える余裕がなかった。でも今は分かるの。今日だってそう。こんなことを続けていたら、いつか東くんが怪我をする。それは絶対嫌なの」
ゆっくり、噛みしめるように懇願した。張り詰めた空気の中、鈴加は必死で訴えかける。
「自分のせいで誰かを傷付けるかもしれないって分かってて、助けてほしいなんて言わない。もしそれで何かあったとしても、それはあたしの自己責任だよ。それに、東くんが優しい人だって知ってしまったから、なおさら頼りたくない」
「優しい? 僕が?」
「そうだよ。あたしみたいな、何の取り柄もない同級生のために身を挺して助けに来てくれる、優しい人。助けを求めればきっと何度でも手を差し伸べてくれる人って分かるから。だからこそ、そんな人を危険な目に遭わせたくない。東くんの強さを疑ってるんじゃないよ? その力は正しいことのために――本当に守るべき人のために使うべきだと思う。だからお願い、もうあたしのことは放っておいて」
一気に捲し立て、二人の間に沈黙が落ちる。口を開きかけた東はひとつため息を吐き、視線を逸らす。ああ、どうにか折れてくれた――安堵した鈴加は「この話は終わり」と出口へ向かおうとして、不意に肩を引かれる。
「君の許しが得られないなら、僕は僕の考えで行動させてもらう」
「へっ」
「さすがにずっと張り付くわけにはいかないが、学校にいる間は可能な限り側にいよう」
「ええっ! だ、だめだめ! さっきの話聞いてたでしょ? あたしと一緒にいたら東くんが――」
「――目の前に助けられるかもしれない人がいて、自分に守る力がある。それでも、見て見ぬふりをしろと、君はそう言っている」
「う……」
理不尽な言い分を押し付けている。そこを突かれると弱い。痴漢から助けてくれた東のことだ、目の前に困っている人がいて、手が届く場所にいるのに『助けない』という選択肢は存在しないのかもしれない。
「手を、出してくれないか」
「う、うん?」
戸惑いながら応じると、肩に置かれていたてのひらが鈴加のそれと重なった。うあ、東くんの手、改めて見ると大きいなあ。ゴツゴツしてて、大人の男の人の手だ。
「振りほどけるか?」
「ほぇっ?」
「試しにほどいてみて」
鈴加は相手の意図が読めないまま、東の手を解こうとして息を呑む。
――動けない!
ちっとも身体が思い通りにならなくて、焦ってもがく。それでも平然と佇む東は、静かに告げた。
「僕は殆ど力を入れてないって言ったら信じる?」
「えええ!?」
「本当だよ。君が全力で振りほどこうとして、逃れることはできない。絶対に。この意味、分かる?」
あくまで穏やかな雰囲気を纏っているが、東の瞳の奥に『男』を感じて足が竦む。そうだ、さっきまで本当に危なかったんだ。あと少しで自分は見知らぬ男の毒牙にかかっていたかもしれない――想像しただけで体に震えが走った。
「すまない。君を怖がらせるつもりはないんだ。ただ、あまりに無防備すぎて心配なんだ。僕の力を認めてくれて、守るべきもののために使えと言うなら、その『守るべきもの』を選ぶ自由をくれないか」
――『守るべきもの』。
東の言葉に心が浮き立つ。他人の悪意に晒され、バラバラに散った心の欠片を拾い集めてくれるこの人に甘えてしまいたくなる。だけどそれはあまりに図々しい願いではないか。未知数の危険を冒してまで、東が鈴加を守るメリットは何もないのだ。
「どうしてそこまで……あたし、東くんに何も返せないのに」
「人が動く理由はそれぞれだけど、誰かを助けたいと思う、その気持ちに理由が必要?」
「――――」
その瞬間、東を中心に急速に世界が色づき、鈴加は瞼を瞬かせた。一度だけ、同じ経験をしたことがあったのだ。それは、初恋を知った時だった。
――不毛すぎる!
10年ぶりの恋と同時に失恋だなんて。あまりに不釣り合いで、隣に並ぶのさえ許されなそうな鈴加は、到底東の恋人になれないと悟っていた。高望みをせず、身の丈に合った生活をというモットーを捨てるつもりもない。目立たず地味に、波風立てずに生きていきたいのだ。
「ご、ごめんなさい……」
やはり東と関わってはいけなかった。深入りする前に絆を絶てば、傷も浅く済む。臆病虫に囁かれ、鈴加は逃げ腰になった。申し訳なさそうに東の申し出を断るが、彼も簡単に引き下がらない。
「高橋さん。こんな言い方はずるいかもしれないけど、これは僕自身のためなんだ」
「え?」
「言ったよね。春から同じ電車で君を見かけたって。君は他人に対して親切に振舞っていた。それも一度や二度じゃない。相手に感謝されなくたって、変わらなかった。その度に思ったんだ。あんな子と――いや、君と友達になりたいって。だから不謹慎だけど、あの時も、君のピンチを救う役目を他の誰かに譲る気は毛頭なかった」
「……!」
「これは全部、僕のわがままだ。もし君の護衛中に何かあったとしたら、それこそ僕の自己責任だ。君が後ろめたく感じる必要なんてどこにもない。だから頼む、」
握っていた華奢な手を己の胸元に引き寄せ、東は一呼吸置いた。
「――君を守らせてほしい」
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