第11話 忍び寄る罠

 数日後。


 大学で最後の一コマを終え、帰ろうと鞄を肩に掛けたとき、「高橋さん」と呼び止める声がした。振り向くと、そこにいたのはゆるふわロングヘアが似合うアイドル級の美少女。


 「……彩葉さん! な、何かご用ですか?」

 「ええ。実は貴女にお願いがありますの」


 笑顔を振りまかれ、げんなりした。彩葉の『お願い♡』が面倒じゃなかった試しがないのだ。少し身構えて心の準備をする。すー、はー、すー、はー。よし来いッ!


 「わたくし、来月提出するレポートに使う予定の本を予約しておりますの。だけどこれからすぐにお暇しなければならなくて……代わりに図書館まで取りに行って下さらない?」

 「ほぇ? そ、それだけですか?」

 「あら。ご不満?」

 「い、いや~まさか滅相もございませんっ。本ですか。本ですね。喜んで取りに行きますハイッ」


 いかん。簡単なお使いに拍子抜けして妙な声を出してしまった。びしっと敬礼し、そそくさその場を立ち去る間、親衛隊の舐めるような視線が突き刺さる。なんせ彩葉と話をするのは、東が彼女をスルーして以来だ。


 どこから見ても美人な彩葉ではなく、エセギャル風で影の薄い鈴加を皆の前で選んだのだから、相当にプライドが傷付いただろう。はらわた煮えくり返って、酷い嫌がらせがあると覚悟していたのだが、パシリで済むならお安い御用だ。鈴加は軽い足取りで図書館へ向かった。


 「すみません。このメモにある本を予約してるんですが。あ、西園寺さんの代わりに取りに来ました」

 「西園寺さんの分ですね。少々お待ちを……ああ、その本の予約はたった今キャンセルされて、さきほど別な学生さんが借りて行きました」

 「え! そ、そんなぁ~」

 「一応、旧図書館の地下書庫に予備の蔵書がありますよ。ここから少し離れてますけど」

 「ほんとですか!? それ、借ります!」

 「しーっ。館内ではお静かに!」

 「す、すみましぇん」



 ♢♢♢ ♢♢♢



 司書のお姉さんに怒られてしゅんと肩を落とし、手書きの地図を頼りに見つけた旧図書館。歴史を感じる木造建築の外壁には、幾重にもつたが絡まっており、時間帯によっては幽霊屋敷に見えなくもない。


 「うへぇ埃っぽい。古い図書館の地下ってこんななんだ……」


 床が軋み、歩みが慎重になる。頼まれた本を探すため、書棚の番号を確認しながら進む。何度か通路を行ったり来たりし、目的の本を発見した。思ったより円滑に用が済んだことで、鈴加は平らな胸を撫で下ろした。


 ――ガシャン!!


 「え!?」


 突然、大きな音がして照明が消える。外はまだ夕方だが、地下書庫に自然光は入らない。静寂の中、ひんやりした空気が足元を撫で、背中に鳥肌が立った。飛び出しそうな心臓を抑え、周囲を手探りし、出口を目指す。どうにか扉に突き当たり、ホッとしたのも束の間、取っ手を回して愕然とした。 


 「嘘。鍵かかってる。閉館にはまだ早いのに、なんで?」


 固く施錠された扉。向こう側に人がいるかもしれない――一縷の希望を胸に、思い切り叩いてみる。しばらく続けたが返答はなかった。旧図書館自体、キャンパスの外れにあって人の出入りが少ないのだ。


 「ひっ!?」


 すぐ側で物音がし、恐怖に戦く。カツン、カツン……靴音が近付き、やがてぼんやり人影が現れて緊張が解けた。


 ――ああ、神様! 


 こんな状況で一人きりならどんなに心細かっただろう? 彩葉の軽いお仕置きといい、今日は不幸中の幸い続きじゃないか。鈴加は足元に気を配りつつ前へ進み出た。


 「よ、よかった人がいて。なんでか締め出されちゃったみたいなんです。どうにかして誰かに連絡を――」

 「――お前、高橋鈴加か?」

 「えっ……」


 名前を呼ばれ、一瞬、知り合いかと思案する。ただ、なんとなくだが――友好的な雰囲気ではない。薄暗い中、人相を確かめようと距離を縮める男に本能的な危機を察知し、鈴加は素早く撤退した。


 「人違いでっス!!」

 「あ。オイこら、待て! くそっ、ちょこまかと――こんな密室で逃げられると思うなよ!」

 「いやああああ、へーんーたーいー!!」

 「誰が変態じゃゴラァッ!!」


 火に油を注ぎ、怒気を帯びた男が迫ってきた。――やばい。やばいやばいやばい! これ捕まったら絶対『恥ずかしい写真撮って脅しちゃうゾ☆』的な展開ですよねー!? 


 「っ、手間かけさせやがって。ちょーっとお仕置きするだけだっつーのに」

 「はな、離してっ!」

 「暴れるな! ちっ。お前みたいなガキくさいのは好みじゃねえが、まあいいか……」

 「ぎょええええ!」


 両手をブンブン振り回して抵抗するが、書棚に肩を押し付けられ、もうダメだと涙目になる。なぜ自分が襲われる? 顔はよく見えないが、おそらくこの男とは面識がない。だが相手は自分を知っていて、探しているようだった。


 「へへ、わかんねぇって面つらしてやがる。バカ正直なお人好しってのは本当らしい」

 「な、なんであたしを狙うの!?」

 「『213番の棚にある11-2の本』は見つかったか――と言えば分かるか?」


 目の前が絶望に塗りつぶされていく。彩葉の高笑いが聞こえた気がして、唇が震えた。どうしてこんな簡単な罠にかかってしまったのだろう。公衆の面前で恥をかかされた彩葉が、鈴加を放っておくはずなかったのに。


 「お。泣くのか?」

 「な、ながないもん。大人しくモブ男の餌食になると思ったら大間違いなんだからっ! 喰らえっ必殺鈴加キック!」

 「グフォッ!? み、みぞおち蹴りやがったな。もう許さないぞ!」

 「ぎゃふッ」


 ボカッと頭をはたかれ、鈴加は視界に星が散った。くらくらする。その間にも、男は鈴加の上着に手を伸ばす。服を引っ張られそうになり、鈴加は思い切り息を吸って叫ぶ――


 「あ、あたしの処女はN様のものなんだからあぁあ!!」 

 「――誰かいるのか!?」


 扉が開くと同時に光が差し込み、目が眩む。咄嗟に書棚の影に引き摺りこみ、口を塞いだ男の指を思い切り噛むと、悲鳴に近いうめき声が上がる。一瞬の隙を突くことに成功した鈴加は通路に飛び出した。


 「高橋さん? どうして君が――おいお前、そこで何をしている!」

 「ち、邪魔が入ったか」

 「逃がすか!」

 「やめて! 追い掛けなくていいっ」

 「な……っ」


 素早く出口に駆け出す男を捕まえようとして、それを阻まれた救世主――東は困惑した。鈴加は東の腕にすがり、ふわりと優しい香りに包まれる。コロンのような人工的なものとは違う、東自身の放つ香りだった。それが心地よくて不安が和らいでいく。


 「……また助けてもらっちゃった。東くん、ほんとに救世主様だね」


 ありがとう――ふにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべ、東を振り仰ぐ。他方、険しい表情の東は出口の方を鋭く睨んでいた。


 「まだ間に合う。さっきの男、取り押さえた方が――」

 「――い、行かないで」


 ギュッと指に力を込めると、驚いた東が目を瞠る。普段の鈴加では考えられない、大胆な行動だった。慌てて手を放し、東から距離を取る。初対面に近い男にしがみつく女だとは思われたくない。


 「ごめ……っ、でも大丈夫だからほんとに。大事おおごとにしたくないんだ」

 「……」

 「…………あの、」

 「僕じゃ力になれないかな?」


 気まずい空気を破った東は、決意を込めた眼差しで鈴加を見つめた。予想外の言葉に混乱していると、子供を諭すような、厳かな声音に変わる。


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