閑話 西岡さんと島田くん2


 「――そもそも、相手がどういうつもりで近付いてるとか、高橋さんはそういうこと気にする人じゃないと思う」


 体育館裏に風が吹き、ザアッと音を立てて木々が揺れる。一切感情を込めず客観的な事実を述べられ、千晴は敗北感に打ちのめされていた。認めたくないが、この男の主張は的を得ている。鈴加は泣き虫で、豆腐メンタルだと言う割に根性が据わっていると気付いたのは、初めて出会ってからずいぶん時間が経ってからであったが。


 「悪かったわね。ひねくれ者のおせっかい女で」


 優等生の仮面が剥がれそうになり、千晴は素の自分を押し込めようともがいた。こんな訳の分からんもやし男に弱みを握られるのは不本意だからだ。肝心の島村は千晴のことがどうでもいいのか、特に関心を示さずふっと体育館内で練習中のバスケ部に視線を移す。


 「別に。高橋さんが学校で笑ってられるのは、君がいるからだろ」

 「……!」

 「話はそれだけ? じゃあこれで失礼するよ」


 唖然とする千晴を振り向きもせず、島村は大股で去っていく。藪ヘビに噛まれた千晴は疲労困憊で教室に戻った。鈴加は千晴の姿を認め、パッと表情を明るくして駆け寄る。


 「千晴! どこ行ってたの?」

 「ちょっとね……。それより鈴加。私、島村苦手かも」

 「ほぇ、なんで? 島田くんいいひとだよ。だって千晴のこと、自慢の友達だねって言ってくれたもん」

 「嘘!?」


 全く、一日に何度電気ショックを与えれば気が済むのか。千晴は半信半疑で鈴加の告白を飲み込んだ。これまでのやり取りから、到底島村が自分を褒めるとは思えない。敵意を持つ以前に興味を持たれていないはずだ。鈴加は困惑する千晴に対し、弾けるような笑顔を浮かべる。


 「ほんとだよ! 『友達がいてよかったね』って、島田くん優しく笑ってくれた」

 「ブッ!! あの男が笑った? 幻覚じゃなく? あんまり無表情だから鉄仮面ってあだ名つけようかと――じゃなくてっ! 島田って何? あいつ島村でしょ? 隣の席なんだから名前くらい覚えてあげなさいよ」

 「え~島田くんで合ってるよ。二年生になって、よろしくねって声かけてくれたの島田くんだけだから、いくらあたしがバカでも絶対間違えるはずないっ」


 ――嘘。でも、だって……!


 これほど誰かに混乱させられたのは初めてだった。落ち着きなく机の周りをうろつき、ふと脳裏に島田の言葉がチラつく。


 『なんで西岡さんがお礼言うの?』

 『なるほど、自分のためか。優等生は大変だね』

 『これから先も君がずっと守ってあげられるわけじゃないんだから、あまり過保護にしない方がいいよ』

 『どんなに意地悪されたって、彼女、学校休まないよね。それは弱虫じゃない証拠にならない?』


 ――屈辱だ。


 これまで誰にも暴かれなかった、半分は――親友になる前は――自分のために鈴加を守っていたという一番突かれたくない事実を晒され、その上で、まだ出逢ったばかりの男に、鈴加は弱くないと本質を見抜かれ諭された。


 『高橋さんが学校で笑ってられるのは、君がいるからだろ』


 ――――……。飴と鞭のつもりか? いや、どうせ深く考えてないだろう。思ったことをそのまま口にしたに違いない。だからこそ、裏表のない本心で恥ずかしい台詞を放つ島田が猛烈に腹立たしい。


 「あぁあああ~~~~心底ムカつくあの男!!」

 「ち、千晴どこ行くのぉ!?」



 ♢♢♢ ♢♢♢



 「待って島村! じゃなくて島田!」


 衝動的に教室を飛び出した千晴は、校門をくぐり抜け、最寄駅に入ろうとしていた島田を大声で呼び止めた。息を切らして両膝に手をつく千晴を前に、島田はメガネをくいっと上げ、胡乱気に返答する。


 「……西岡さん。まだ何か用?」

 「あ、あなたねぇ、名前間違えられたなら訂正しなさいよ」

 「名前? ああ、なんか昔からよく島村って勘違いされるんだよね。僕ってそんなに島村顔なのかな。わざわざそれ言いに来たの?」

 「そ、そうよ。ちゃんと謝ろうと思って――」

 「いいよ気にしなくて。気にしてないし。さようなら」


 取りつく島もなく改札へ吸い込まれそうになる島田に、頭の血管がブチ切れた。凄絶な冷気を纏い、「待ちなさい」と引き止める。まだ何かあるのかと、露骨にウザそうな顔をした島田が振り向いた瞬間、


 「――気にしないでいいわけあるかああぁッ!!」

 「ゲフゥッ!?」


 ――おお!


 華麗な飛び蹴りが決まり、周囲が騒然となる。クリティカルヒットを受けた島田は、無残に地面に転がった。仁王立ちで構える千晴の憤怒の表情は物凄い迫力で、思わず溜飲を下げる。


 「いーい? 人の名前にはね、ちゃんと意味があるのよ。勝手に改名されて平然としてるのがカッコイイと思ったら大間違いなんだから。島田に生まれたからには、立派に島田として生きなさい!」


 この時、島田はこれまで抱いていた千晴のイメージが崩壊した。生徒会役員で先生の信頼の厚い、面倒見の良い優等生――おまけに清楚で可憐な美少女――というのは仮の姿で、実はお節介なオカン気質の漢おとこである。 


 「はッ!? や、やだ私、つい興奮して……! ごめんなさい!」

 「…………」

 「怒ってる? 怒ってるわよね。本当にごめんなさい。どうかしてたわ」


 衆人から好奇の視線に晒され、我に返った千晴は照れ隠しか慌てて取り繕う。深々頭を下げる様はとてもしおらしく、たいていの男であれば笑って許してあげたくなりそうな可愛らしさだ。だがもう遅い。島田の中で千晴は、『面倒見のいい可憐な優等生』ではなくなっていた。


 「プッ、くく、あははははは!」

 「!?」

 「はぁ、西岡さん、僕を笑い殺す気? ていうかなんで西岡さんが怒るのさ」

 「だ、だってあん……島田くんがバカなこと言うからでしょお」


 心底気まずそうに視線を泳がせる千晴は、ブツブツ口籠っている。それはとても新鮮な光景だった。いつも変わり映えのしない優等生スマイルを貼り付け、余所行きの声で話す千晴はどこか作り物くさくて好きになれなかったのだ。他人のために本気で怒る素の姿を見せられたことで、島田は俄然、千晴に興味が湧いた。


 「ありがとう。君に島田くんって呼ばれるのは、悪い気がしない」

 「なっ」

 「蹴られた腰が痛くて起き上がれないから、手を貸してくれない?」

 「わ、分かったわよ。……ちょっとキックかまされたくらいで軟弱なんだから」


 ボソッと付け足された悪態をばっちり聞き取った島田は、差し出された手をグイ、と一瞬だけ自分の方へ引き寄せた。驚いた千晴はすぐに平静を装ったものの、指が緊張で震えていることまでは気が回らなかった。それが島田に良い衝撃――異性に慣れておらず多少意識されている――を与えているとも知らずに、事務的に立ち上がらせた。


 「ねえ、西岡さん。もう一回名前呼んでみてくれる?」

 「断るッ!!」


 調子に乗った島田を叱咤した千晴の頬には、微かな赤みが差していた。



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