第10話 深夜の攻防
ピンポーン♪ ピンポンピンポン♪
深夜0時。しつこくインターホンが鳴り、千晴はギョッとした。こんな時間に訪ねてくるということは、まず宅配業者じゃないだろう。もしかしてストーカー? いや、強盗!? 足音を立てずに玄関へ向かい、覗き穴から確かめようとした時だった。
「ちーはーるーうぅううう」
「!? す、鈴加? ちょっと待って」
聞き慣れた親友の悲痛な声に、慌ただしく開錠する。そして、
「フォオオオオ!?」
叫びながら腰を抜かした。幽霊と見紛う女が立っていたのだ。涙でマスカラが散り、哀れなパンダ目になっていた鈴加は、雨の中、傘を差さなかったため髪がだらしなく垂れている。
「千晴ちゃん、すごい叫び声がしたけどどうしたの――ってお化け!? あっち行きなさいよぉおお!!」
「へぶぅッ!? あ、ヤダ痛いッあたし人間ですやめてぶたないでぇー!」
何事かと様子を見に来た隣人が、護身用にと持ち出したおたまで鈴加を殴りつける。ハッと我に返った千晴が「その子人間です! 無害です!」と説得にかかるも、隣人の興奮が収まるまで執拗に追い回された鈴加はボロ雑巾のようになっていた。
*
千晴の部屋に招き入れられ、シャワーを借りた鈴加は可愛らしいパジャマを借りて小さくなっていた。……胸元がスカスカしてる気がするけど気にしないもん。
「悪かったわよ。謝るからいい加減、部屋の隅で丸くならないで。座敷童子みたい」
「ほんと?」
「何喜んでんのよ」
「座敷童子って幸運と富を与えるんでしょ?」
「妖怪だっつーに……」
呆れ果てた千晴に猫足のローテーブルの前へ座るよう促され、おずおず従う。温かい紅茶に牛乳とお砂糖を加えたミルクティーを手渡され、そっと受け取る。
「ミルク濃い目にしたから飲みな。こんな時間だし今夜は泊まってくでしょ? 家に連絡した?」
「……電話したよ。そしたら、『あら~ちょうどよかった今日は鈴加のステーキ肉買い忘れたのよ~(ママ)』『まだ内定出ないのか? 就職しないと寿退社できないぞ~ハッハッハ!(パパ)』『やった! 今夜のチャンネル権は俺のもの!(律)』」
「うん、聞いてごめん。思う存分うちで寛ぎなさい」
「うわぁあん、神様・仏様・千晴様~ッ!!」
ひしっと抱き着いてきた鈴加の背中をさすり、千晴は落ち着くのを待った。鈴加が涙ながらにしゃくり上げるのをやめ、ちびちび紅茶を啜り始めた頃合いに本題を切り出す。
「で? 何があったわけ。玄関先のあんた見てマジで怨霊かと思った。夏の怪談ネタに使わせてもらうわ」
「うううう。実は……」
一通り事情を聞く間、千晴は軽く相槌を打つに留めた。話も終盤、弓弦と病院で別れた場面に到達し、ふと疑問を抱いた鈴加が唇を尖らせる。
「てゆうか千晴、Y氏と会ってたなんて初耳だよ。どうして教えてくれなかったの?」
「けっこう前に同窓会で顔合わせただけよ。でもあいつの話したら嫌がると思って黙ってた」
「そっか……。それにしても、なんでY氏はあたしがS.Tだって分かったんだろ……乙女ゲー好きなことは別として、ブログ運営してることリアルで知ってるのは千晴だけなのに」
「ギクッ」
「はっ! もしかしてY氏は――エスパー!?」
「はあああ!?」
「え、なに、そんなおかしかった? 実は人の心が読める系の超能力かと思ったんだけど。それで知りたくもない他人の黒い部分を知って性格がねじ曲がったとか」
「……あんた中二病以前にバカすぎるわ」
まともに取り合うのがアホらしくなり、千晴は額に手を当てた。明日は朝から講義だ。「もう寝よう」――ベッドの横に来客用の布団を敷き、鈴加を手招きする。それぞれ寝具に体を横たえると、リモコンで電気を消した。
「まだ恨んでる? Y氏のこと」
「へ?」
「当然か。あんたが三次元アレルギーになった元凶だもんね。変なこと聞いてゴメン」
「……ううん、今日はありがとう。あたしこそ急に押しかけてごめんね」
「いいよ、鈴加が無事ならそれでよかった」
薄い窓を打ち付ける雨音が部屋の中に響く。次第に目が暗闇に慣れ、白い天井がはっきり浮かび上がる。鈴加はベッドの方へ寝返りを打った。
「ねえ、千晴。さっきの話……。恨んでない――って言ったら嘘になるけど、Y氏のことは完全に憎めないんだ」
「あんたこれだけ酷い目に遭わされてまだ信じるとか……真性のドM?」
「ブッ! ち、違うよ~。ただ、Y氏が分からなくて。あたしなんか助けるメリット、全然ないはずなのに力になってくれたから」
「振り回されちゃダメよ。相手を油断させて足元を掬うのは魔王の常套手段でしょう」
「うん……そうだね。千晴はいつも正しいから、あたしがおかしいんだ。もう考えないようにする」
「…………」
「おやすみ、千晴。いつもありがと」
不安が和らいだのか、鈴加はあっという間に寝息を立て始めた。千晴の複雑な胸中を知らぬまま、深い眠りに落ちていく。
「――ごめんね、鈴加」
そっとベッドから起き上がり、浴室へ移動する。千晴の手にはスマホが握られていた。
「あ、まだ起きてた?」
「起きてた? じゃねーよ。24時間365日、3コール以内に出ないと黒歴史晒すって脅したのはお前だろうが」
発信先はY氏こと弓弦だ。電話越しに心底忌々しそうな嘆息を漏らされ、彼が相当苛立っていることが伝わってきた。
「ご機嫌斜めみたいだから単刀直入に言うわ。いい加減な仕事してくれるじゃない」
「はあ? 何のこと……って、"プロジェクトN"の話か。俺はちゃんと指示されたとおり――」
「中途半端じゃ困るのよ! 徹底的に嫌われろって言ったでしょ? 少しでも希望を持たせたら意味がないの。N様の役割が薄くなる」
「あのなあ、俺だって暇じゃないんだよ。くだらない用件なら切るぞ」
「ほぉ~? 私の右クリックがスーパー軽いって忘れたのかしら。うっかり全世界にあんたの恥ずかしい過去を発信するかも」
「くっ……! 人質を取るなんて卑怯だぞ!」
「お生憎様、クズ野郎を相手に手段を選ぶほど善人じゃないの。残念だったわね」
「お前、マジでいつか覚えてろよ」
「それ完全に悪役の台詞って自覚ある?」
繰り広げられる深夜の攻防。議論するだけ無駄と悟った弓弦は、苦虫を噛み潰したように呻く。千晴は相手の返答次第でいつでも人質を利用できる状態で、圧倒的に優位だ。
「何に苛ついてるのかは知らんが、高橋はお前の思惑通り勘違いしてたぞ。俺がゆずソーダだってカミングアウトしたらソッコー信じてたし。言えた義理じゃないが、そのうち霊感商法で法外な値段の壺とか買わされるんじゃねーの? 疑うこと知らな過ぎだろ」
「ひじょーに不愉快だけど同意するわ。普通に考えたら私が仕組んだってすぐ分かるのにね。そもそも疑うって選択肢がないんだわ。臆病だからあまり自分を見せたがらないけど、あの子は昔から変わってない。……それより、あんた鈴加の中じゃネカマじゃない? ブフッ」
「ほっとけ!」
弓弦が吠え、千晴は満足げに薄く笑った。魔王が実は千晴の操り人形だなんて、鈴加は絶対に気付かないだろう。プロジェクトNは完璧に思えた。――ただ一つのリスクを除いて。
「弓弦。あんたには鈴加を好きになる権利も、その逆もないんだから、そこんとこ忘れちゃダメよ」
「寝言は休み休み言え。誰があんなちんちくりん、世界で最後の男女になっても種の保存は選ばん」
「それを聞いて安心したわ。でも――10年前、あの子を好きになったあんたには、女を見る目があったと認めてあげる」
「…………」
「じゃ、後のことはお願いね」
「分かってる。なあ、千晴。ひとつ聞かせてくれ」
「なに? 3サイズは教えないわよ」
「マツコデラックスの3サイズより知りたくねぇよ」
ツーツー
「何か?」
「勝手に切るなよ!!」
「妨害電波よ。私のせいじゃないわ。あんた憑かれてるんじゃない?」
軽口を叩いた千晴は、普段であれば速攻で応戦する魔王が黙り込んで少々面食らった。珍しく躊躇いを感じる。ただ、理由は分からない。
「――泣いてたか?」
それは本当に小さな囁きで、聞き零してしまいそうな声だった。極限まで感情が抑えられていて、相手の真意を汲み取ることはできないが、鈴加を気遣っているのは明白だ。
「あんた、話聞いてた? 悪役が実は……的な展開も、裏設定もいらないから」
「か、勘違いするなよ。俺は別に――」
「ツンデレのテンプレ回答どうも。心配しなくたってあの子は元気よ。じゃあね」
やや乱暴に電話を切れば、それきり弓弦はかけ直してこなかった。
「……なによ。これじゃ私が悪役みたいじゃないの」
部屋に戻り、無防備に両手を伸ばして眠る鈴加の乱れた布団を整える。何も知らない鈴加は、むにゃっと嬉しそうに笑った。
「あんたには幸せになる権利がある。だから、弓弦を利用してヒロインにのし上がるのよ」
千晴は今度こそベッドに潜り、瞼を閉じた。それぞれの想いを胸に、夜は更けていく――
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