第9話 読めない心
「おい、携帯鳴ってる。うるさいから出ろ」
「うぅうう」
しばらく地面にへたり込んでいたが、小突かれて、ゾンビのように起き上がる。斜めがけバックからスマホを取り出し、震える声で応答した。
「もしもし、律? 今ちょっと……え? あ、はい。そうです。何かあったんですか?」
「どうした」
「…………」
「黙ってたら分からんだろうが」
みるみる血の気を失った鈴加は、何事かと肩をゆすってきた相手が魔王ということを忘れて藁にもすがる思いでしがみつく。
「律、が」
「律? ああ、弟か。あいつが?」
「……部活の練習中に倒れたって。親に電話しても出ないからあたしに……と、とにかく今病院なの」
緊張で口の中が渇き、手足が冷えていく。
「どうしよう、弓弦くん」
今にも泣き出しそうな顔で縋られ、弓弦は息を詰める。パニックに陥った鈴加の手を掴み、「話は後だ」と縫うように人混みをすり抜けた。タクシーを止め、有無を言わさず鈴加を車内に押し込むと、弓弦はようやく口を開いた。
「律のいる病院は?」
「み、三つ葉病院。あたし達が通ってた、小学校があったとこの近く」
「三つ葉病院だな。すみません、できるだけ飛ばして下さい。場所は――」
運転手に行き先を指示しているのを眺めながら、鈴加は呆然としていた。いっぺんに色んなことが起きて脳が処理しきれない。ゆずソーダが実はトラウマの原因になった初恋相手で、なぜか今、一緒に病院へ向かっている。不安を打ち消すような力強さで、手を握ったまま。
――何が一体どうなってるの?
揺れるタクシーの中、考えることが辛くなり、鈴加は固く目を瞑った。
♢♢♢ ♢♢♢ ♢♢♢
タクシーが到着した後、急いで受付へ向かい、律の病室を確認した。脇目も振らず走って病室へ駆け込む鈴加の後を追う弓弦。
「律ッ!!」
「……声でけーよ」
叫んだ鈴加に冷淡な視線を送った律は、ベッドに横になっていた。腕はまだ点滴が繋がっている。鈴加は律に近付き、生きているのを確かめるかのようにぺたぺた触り始めた。
「無事なの? 怪我は? どこも痛くない?」
「バカッどこ触ってんだよ! 俺は平気だから離れろッ」
傍目には麗しい姉弟愛でも、弓弦にはコントにしか見えない。病室を担当している看護婦に歩み寄り、騒がしい二名の代わりに謝罪した。
「うるさくてすみません。それで、彼の状況は?」
「軽い熱中症ですよ。部活中に倒れたみたいです。念のため少し休んでもらっていますが、帰宅しても問題なさそうなのでご家族の方に迎えをお願いしたんです。大事に至らず何よりですが……」
少々元気すぎて周りの患者様のご迷惑になりますのでほどほどに――やんわり注意され、弓弦は苦笑した。抱き付いて離れない鈴加と押し返そうとする律の元に向かい、鈴加の肩を掴んでベリッと引き離す。
「そいつは病み上がりなんだ、そっとしておいてやれ」
突然現れた美青年に圧倒され、律は訝しげに顔をしかめる。
「な、なんだよあんた。姉貴とどういう関係?」
「なんだとはずいぶんだな、律。ちょっと見ない間に大きくなったな」
唇の端を上げて笑うと、ハッとした律の表情が明るくなっていく。
「まさか弓弦兄ちゃん!? なんでこんなところに――ってそれはどうでもいいか。とにかく、また会えるなんて信じられない! あんなに仲良くしてたのに、何も言わず外国行っちゃったし。もう二度と会えないかと思ったよ」
「あー、その、あの時は悪かったな。お前にサッカー教えてやる約束も破っちまって」
「昔のことはもういいって。それよりさ、俺、あれからすげー頑張ってレギュラーになれたんだ。ポジションは念願のフォワード!」
「おっ、やるなあ! さすが律、昔から運動神経よかったもんな」
「へへっ」
くしゃりと頭を撫で回され、照れ臭そうに頬を染める律。約一名、果てしない疎外感を味わっていた鈴加は、あまりの空気扱いに耐えかねて水を差す。
「あのぉ~感動の再会中に申し訳ないんですけど……あたしのこと忘れてません?」
「「は?」」
「……イエ、ナンデモゴザイマセン」
病室の温度が急激に下がり、縮こまる。あたしには絶対髪触らせてくれないのに、などと律に不満を漏らせば確実にキックが飛んでくるので、保身のため黙秘を決め込むことにした。
「おっと、もうこんな時間か。久々の再会で名残惜しいが、仕事があるんだ。会社に戻らないと。律、また今度時間作るからお前のプレーを見せてみろ。どれだけ上達したか楽しみだ」
「本当!? 絶対だよ!」
「ん、じゃあまたな」
目を輝かせる律に軽く手を振り、看護婦に会釈して病室を去る弓弦。その背中を慌てて追った鈴加は、とある決意を胸に秘めていた。――確かめなければならないことがある。そして、それは今でなくてはならない。
「待って!」
「タクシー代なら気にするな」
「そうじゃなくて、ってそれもだけど」
財布からお金を抜き出そうとして遮られ、鈴加は困惑した。蔑むような眼差しからは思いやりの欠片も感じられない。それなのに。
「どうして助けてくれたの?」
ストレートに疑問をぶつければ、弓弦が纏う空気の険しさを増した。怯みそうになるも、ここで諦めたら永遠にはぐらかされる気がして、勇気を奮い起こす。
「さっきタクシーでずっと手を握ってくれたよね。なんで優しくするの? 分からない。ついさっきまで意地悪だったのに、混乱しちゃうよ」
「…………」
「――10年前もそう。どうしてあの時、あんな酷いこと言ったの? いつもいじめっ子から守ってくれるヒーローだったのに」
自然と責める口調になったが、積年の想いから止められなかった。弓弦は静かに鈴加を見据えると、突然、鼻で嗤った。
「お前、全然変わってないのな。おめでたい奴だよ、ほんとに。虫唾が走る」
忘れもしない――告白して突き飛ばされたあの日と同じ、無慈悲な双眸に貫抜かれて足が竦む。恐れをなして後ずさると、それに合わせて距離を詰められていく。
「いいか高橋。勘違いするなよ。俺はずっと、お前をバカにしてた。お前を助けたのは全部、俺がヒーローになった気分でいられるからだ。お前は利用されてたんだよ」
「うそ、」
「嘘じゃない。お前のことを友達と思ったことなんて一度もない」
「じゃあ……じゃあ、どうして今になってまた現れたの?」
「後味悪いんだよ。千晴から、お前が重度の二次元オタクになってこのままじゃ孤独死だって聞いて、さすがに責任持てないと思ってな。俺のせいにされちゃ堪らんだろ。祟られたくないし」
「ほんとにそれだけ?」
「他に何がある? 俺がずっとお前を傷付けたこと後悔してて、罪滅ぼしに現れたと本気で信じたのか? 実はお前のことが好きで、単に天邪鬼だったとか想像してる? やめろよ気持ち悪い。現実の男はな、乙女ゲーとは違うんだよ。いい加減、幻想は捨てろ。ああ、分かってるから二次元に走ったんだっけ? ご愁傷様」
もうたくさんだった。
堪忍袋の緒が切れ、激情に任せて詰め寄る。悪魔だろうが、魔王だろうが関係ない。人の心を弄んで平然と笑うこの男を、絶対に許せない。
「ひどい! ひどいよ弓弦くん、あたしほんとに……!」
――好きだったのに。
涙ながらに胸を叩こうとして、叶わなかった。あっという間に両手首を掴まれ、廊下の壁に押し付けられる。ゾッとするほど冷たい目で見下ろされ、背筋が寒くなった。
「半年だ」
「え……?」
「半年でお前を三次元に復活させる。就職が決まるまで面倒見てやるよ。ついで女としての自信も持たせて、恋愛アレルギーを治してやる。お前みたいなどうしようもない奴でも、俺がプロデュースすれば望みがあるだろう」
言って、解放された手首は熱を帯びていた。傷付いた表情を隠せない鈴加から視線を逸らすと、弓弦は背中を向けて歩き出す。
「――せいぜい、俺を憎んでがんばれ」
最後にぽつりと付け足されたのは、なぜか胸の奥を焦がすような、酷く優しい声だった。
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