第8話 魔王降臨★

 「なあ、暇してるんなら俺と遊ぼうぜ」


 JR秋葉原駅の改札付近でスマホを確認していると、見知らぬ男に声をかけられた。生憎今日は念願のゆずソーダさんとのオフ会の約束がある。


 「すみません。先約があるんです」

 「またまたぁ。さっきからずっと一人じゃん。ほんとは声かけられんの待ってたんじゃない?」

 「違います」

 「ちょっとくらいいーじゃんよ。な、俺が奢ってやるから」

 「他あたって下さい」

 「……んだとぉ? お高く留まってんじゃねーぞ、ブス。待ち合わせなんて見え透いた嘘吐きやがって」


 いかにも軽薄そうな男に舌打ちされ、面倒な奴に絡まれたと嘆息する。愛しのゆずソーダさんとN様ネタで盛り上がろうとしているのに、とんだ水を差されたものだ。


 「嘘じゃないもん」

 「あぁ?」

 「12時に電気街口って約束したんです」

 「12時って、30分以上過ぎてんじゃん。ふつーにドタキャンだろ。御託抜かしてないで俺と来いよ」

 「!?」


 ――ちょ、モブ男のくせに目立ちすぎ!!


 乱暴に腕を取られ、街の中へ連れ出そうとする。チンピラによるナンパイベントが嬉しいのは乙女ゲーの中だけだ。現実には誰も助けてくれない。トラブルを避けるため、見て見ぬ振りで素通りされてしまう。


 「離して下さいっ!」

 「痛え! クソッ、引っ掻きやがったなこの女!」


 男の手に爪を立てると、般若の形相で振り向いた。うげぇ、こんなのまともに相手したらライフいくつあっても足りないよぉおお!


 「――気安く触れないでもらおうか」


 殴られる、と瞼を瞑った時だった。何者かに背後から抱き寄せられた鈴加は、モブ男の拳をてのひらで軽々受け止めた人物を振り仰ぎ、絶句した。雷にうたれたような衝撃を受けたのは、モブ男も同じだったらしい。185センチはある長身の青年が凄然と佇んでいた。


 「な、なんだテメェ……関係ないやつは――」

 「聞こえなかったのか? 彼女は俺のものだ。今すぐ消えろ」

 「ぐっ、かぁっ!」


 ヒィッと悲鳴を漏らしたモブ男は、掴まれた拳が砕かれそうになり、身の危険を感じて手を引いた。恨めしそうに、化け物でも見る目で路傍に唾を吐き、雑踏へ紛れ込んでいく。


 「やれやれ。少し離れている間に東京も物騒になったな」


 硬質な低音ボイスに耳が痺れそうだ。青年の体が離れ、対面で向き合う。東とは正反対の、雄々しい野生の獣――猛禽類を彷彿とさせるとんでもない美形だった。サバンナの王者が人間だったらこんな姿だろうか。


 「おい、平気か?」

 「…………」

 「その腕の痣はさっきの奴にやられたのか? 見せてみろ」


 少し強引に――それでいてモブ男とは全く違う労わりのこもった触れ方にバクンと心臓が跳ねる。鼓動が早鐘を打ち、鈴加は通り過ぎ様に振り向く女性達の熱視線を気にして小声になる。


 「あの、ひ、人違いでは?」

 「は? 寝ぼけてんの?」

 「ええと、大変申し訳ないのですが……」


 あなたのような極上美青年は天上の存在です。鈴加は続きを呑み込み、黒曜の瞳を見つめた。身長差がありすぎて首が痛くなる。相手は探るような表情だったが、嘘ではないと判断したのかひとつため息を吐く。


 「そうか。あれから10年だもんな。『高橋をいじめたら俺が許さないぞ!』って言ったら思い出す?」


 ――高橋は俺の背中に隠れてろ。絶対守ってやるからな。


 懐かしい記憶が蘇り、鈴加は目を瞠る。いじめられっ子だった鈴加が陰でピンチに陥ると、颯爽と現れコテンパンにやっつけてくれた赤レンジャー――今は"Y氏"と呼ぶ彼の本名を忘れるはずがない。


 「嘘!! ゆ、弓弦くんなの? だって、小学校卒業してすぐ海外に引っ越したって聞いたよ」

 「大学入学と同時に帰国したんだよ。これまで音信不通だったけど、俺はずっとお前に会いたいと思ってた」

 「へっあたしに? どうして……」

 「子供だったとはいえあんな別れ方して、お前を傷付けたことを後悔してたんだ。ちゃんと顔を見て謝りたかった」

 「ちょ、ごめん、あたし頭が混乱してて……ほんとうに弓弦くんなの?」

 「触れて確かめるか?」


 唇の端を上げ、微笑する弓弦。あまりの眩しさに目が、目が潰れるぅーーー!!! 


 「う……なんか信じられない。あたしの知ってる弓弦くんとは別人みたいだよ」

 「高橋の方こそ。綺麗になったな。一瞬、気付かなかった」

 「はぇ!?」

 「はは、面白さは健在だな」


 和やかな空気に包まれ、鈴加は戸惑っていた。振られて以来、ろくに会話もないまま卒業し、海外へ渡った弓弦と会う機会はなく、最後に見せた冷酷な眼差しが脳裏に焼き付いていたのだ。複雑な面持ちで見つめていると、胸中を察したらしい弓弦が頬を引き締めた。


 「……酷いことをしておいて虫のいい話だが、仲直りできないか?」

 「えっ? でも、あたしは、」

 「俺のこと、そんなに嫌? 顔も見たくないくらい?」


 ギャアアア! 


 ふっと視界に影が落ちるほど接近され、鈴加は泡を吹きそうになった。これ以上はライフがゼロになってしまう! 


 「めっめめめめ滅相もございません!!」

 「――よかった」


 心底安堵したように漆黒の双眸が細まり、不意に泣きたくなった。どうしてか、弓弦を前にすると胸が苦しくなる。それはかつて慕い続けた初恋の人だからなのか、それともこっぴどい裏切りにまだ傷が癒えていないのか分からないけれど。


 「お前に避けられるのは堪える。そうだ、友情復活の証に握手しよう。手を出して、笑ってくれないか。花のように咲くお前の笑顔が恋しい」


 ん? なんだろうこの強烈な既視感……。この展開、この台詞、どこかで……。気のせい?


 考える間もなく差し出された手を握ろうとした。しかし、スカッと空を切る。彼の手は握手をせず、なぜか頭の上に伸びてきて――


 「――そんなわけあるかああ、このバカ橋!!!」

 「へぶぅッ!!?」


 思い切りチョップをかまされ、鼻水が出た。状況が呑み込めず、涙目で動揺していると、射殺さんばかりのイーグルアイに威圧される。


 「あー寒っ。久々に鳥肌立ったわ。『ときめき☆初彼コレクション』、お前よくこんなキモイゲームにハマれるな。PSVita見ながら二ヤついてたら完全に終わってるぞ」

 「な、な、ななんでそれを……!」

 「はあ? まだ分からないのか? 『ゆずソーダさん、メッセージありがとうございます。N様のファンとお会いできてとっても嬉しいです! 初コレFDが楽しみですね! 当て馬キャラのN様が愛を囁くたびに床ローリングしてま――』

 「なみbふkorjspcvぢっ!!!」


 弓弦を遮るように奇声を上げ、掴みかかろうとしてひょいとかわされる。蒼白のまま睥睨すると、実に愉快そうな嘲笑を浮かべた。


 「残念だったな、『萌えの箱庭』管理人のS.Tさん? 世の中には悪~い奴がいるんだよ。ホイホイ乗せられてたら身ぐるみ剥がれて売り飛ばされるぞ」


 なんだと――!!?


 本日一番の衝撃によろめき、防御姿勢で――両手をハの字に構え――二、三歩後ずさる鈴加。


 「ゆっゆずソーダさんは弓弦くんだったの!? なんで――」

 「質問禁止。俺にも色々事情があるんだよ。取って喰いやしないからついて来い。お前に話がある」

 「……あたし急用を思い出したので失礼しま~す」 


 むしろさっきのナンパ男に連れ去られた方が安全じゃなかったか? カムバーックモブ男! 悪魔に背を向け戦線離脱を図ったが、そうは問屋が卸さない。


 「『あたしN様になら穢されてもいい♡』」

 「ブフォオッ!!」

 「お前の処女はどうでもいいが、灰色の大学生活を送りたくなきゃ黙って従え」


 oh...神様、脇役に対してこれはあまりに酷い仕打ちじゃありませんか? ギギギと壊れたロボットのように振り向くと、獲物を捕食する前の鷹が愉しげに爪を見え隠れさせる。


 「そんなに怯えるな。10年ぶりの再会だ、素直に喜べ」

 「無理!!」

 「ほう? それでは心優しい俺様がお前に選択肢をやろう。大人しく諦めて首の皮一枚つなげるか――」

 「つ、つなげるか?」

 「――逃亡して社会的に抹殺されるか」

 「それ選択肢になってないです」


 オワタ。死亡フラグ確定だぜ。

 生気を失い、orzを決めて地面に膝をつく鈴加の前に、残忍非道な魔王が降臨した瞬間だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る