第7話 作戦会議します

 同日深夜――――


 千晴は都内某所にある高級ホテル、フォーコンチネンタル加瀬のバーラウンジにいた。最上階からは宝石のように煌めく夜景が見渡せる。眺望の素晴らしい窓側の席に腰かけ、少し苛立った様子で何度か時計を確認していた。


 「へえ、けっこう様になってるぜ」


 声をかけた男は、睨め上げた千晴に涼しい笑顔で応じた。切れ長の瞳が印象的な美青年だ。品の良い上質なスーツをさらりと着こなしており、ネクタイを緩める仕草に色気が漂う。


 「遅刻よ。今夜はあんたの奢りだからね」

 「突然クライアントが面会時間を変更してきたんだから不可抗力だ。ま、どの道お前から金取るつもりないし好きなの頼めよ」


 落ち着き払った態度は妙な貫禄がある。同じ歳で高級ホテルのバーを普段使いするとは……癪に障り、不機嫌に視線を逸らすと、青年は面白そうに口角を上げた。千晴は初めて会った時からこの男が嫌いである。面倒だからとやる気のない態度をとっておいて、いざとなれば何でも器用にこなしてしまう天才肌だ。


 「相変わらず嫌味な男ね。OOGAMIグループは将来安泰ってわけ?」

 「いや、親父は息子おれ達に事業を継がせない気らしい」

 「はあ? だって家の仕事手伝ってるって……」

 「暇潰しさ。早々に就職決まってな。単位も十分だからやることない。下手なバイトやインターンは面倒だからパス」

 「呆れた。で、どこに決まったの?」

 「アレキサンドルエアライン」

 「はあああ!!??」


 大音量で叫び席を立った千晴は、周囲の窘めるような視線を受けて静かに着座した。アレキサンドルエアライン――とある欧州国のナショナルフラッグキャリアであり、顧客満足度調査で毎回トップを飾る超一流の航空会社だ。新卒という概念はなく、通年採用制度をとっており、非常に選考が難しいことから「針の穴」と皮肉られている。


 「で、でもあそこは中途採用のみでしょ? 職歴のないあんたがどうやって……」

 「それはいくらでもやりようがあるだろう?」


 自信に満ちた悪い笑みに、頭から煙が噴き出そうだ。千晴は納得がいかず抗議しようとしてやめた。口達者な狐を相手に論争を繰り広げるほど愚かではない。


 「意外だわ。サービス業なんて一番向いてないんじゃないの。社会の厳しさを思い知って即自己都合退職しなさいよ。受け皿なくて泣きをみるあんたが見たいわ」

 「……お前、相当性格歪んだな」

 「生まれつきへそ曲がりのあんたにだけは言われたくない」

 「ま、客商売に向いてない自覚はあるさ。頭のネジぶっ飛んだジジイのクレーム対応なんてまっぴらごめんだ」

 「え、じゃ、まさかパイロット?」

 「ご名答」

 「最悪。アレキサンドルエアーには一生乗れない」

 「どの唇がそんな科白せりふを?」


 ずい、と千晴の顔を覗き込み、椅子の背もたれに腕を回す。接近すると、薄暗い照明の中でも青年が戦慄するほど端麗な容貌であることが分かった。千晴が身じろぐと、満足そうに姿勢を正す。この場の主導権を握られそうになり、千晴は爆弾を落とすことにした。


 「『僕の夢は高橋鈴加ちゃんをお嫁さんにすることです。六年三組、大神弓弦おおがみゆずる』。ずいぶん可愛いこと書くじゃない? 小学生の大神くんは」


 意地の悪い笑みを浮かべると、弓弦はゴホッとむせた。


 「お、お前どこでそれを!?」

 「タイムカプセルって怖いよねえ? みんなのアイドル大神くんが実は鈴加に恋してたなんてねえ?」

 「くっ……同窓会のイベントか!」

 「ふん、むしろこっそり回収してあげた私に感謝してよね。助ける義理はなかったんだから。でも、あんたを脅迫するには最高の人質でしょ?」


 勝利を確信し、千晴はスマホの画面を見せつけた。原本はもちろん、写メってデータを保存しているのは、いつでもワンタッチでFacebookその他のSNSに拡散できるようにするためだ。


 「鈴加はあんたのせいで三次元アレルギーになったのよ。十代の一番若くて綺麗な時間を、死んだ魚みたいな目で『二次元最高』って呟いて過ごしたあの子の無念が分かる? このままじゃ間違いなくぼっち⇒独身フリーター⇒貧乏なままオバサン⇒孤独死ルート確定だよ! 全部あんたのせいなんだから責任取ってよねっ!」

 「全部ってそりゃ言いがかりだろ!? むしろトラウマになったのはこっちだぞ!」


 鋭く千晴の目が光り、「しまった」と口を噤んだ。弓弦はこれ以上敵に情報を与えまいと平静を繕う。これまで鈴加の告白を忘れた日はなかった。華々しい人生に汚点があるとすれば、冴えない女が初恋相手ということと、唯一振られたこと、それだけだ。


 『あなたが好きです。ずっとあたしの友達でいて下さい!』


 輝く瞳で告げられ、天にも昇る喜びは瞬時に奈落へと叩き落とされた。弓弦少年は、鈴加を突き飛ばし、冷めた目で見下した。そして復讐に燃え、ついこう答えたのだ――『お前のことを友達と思ったことなんて一度もない』と。それはプライドを粉砕されたゆえの強がりであり、本心でもあった。バカ橋、鈴虫とからかわれていた彼女を、陰でこっそりいじめっこから守るヒーローになったつもりでいたのだ。


 「まあ、どうせくだらない理由ですれ違ったんだろうから深く追及しないわ。あんたの恋バナなんて反吐が出るし。協力さえしてくれればいいのよ。詳細はこれから話すけど、明日は『ゆずソーダ』として鈴加と会って貰うわ。あの子方向音痴だから絶対遅刻しないであげてよね。迷子になったって聞いたらひねり潰す」

 「……どこを?」

 「聞きたい?」

 「イエ、遠慮シマス」


 青ざめる弓弦にニヤリと笑い、千晴はワイングラスを傾けた。鈴加を更生させられるなら、たとえ恨まれようとも悪魔だって使役してやるわ。夜景をバックに、カップルとは程遠い男女――特に男の方が萎えまくっているが、乾杯した。


 「――――“プロジェクトN”、いよいよ始動よ」

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