第6話 恋しちゃいそうです
――この状況は一体何だ!?
少しだけ強引に手を引かれた鈴加は、講義室の女子全員から羨望のこもった視線を送られた。彩葉の表情が嫉妬に歪み、親衛隊は天地がひっくり返ったかと目を白黒させている。誰もが認める超絶美少女を前にして、彼が選んだのは、脇役にもなれなそうな貧乏クジ。
東の行く先で、恭しく人が道を譲っていく。あれ、世界ってこんなに眩しかったっけ……。東くんの背中、いい感じに引き締まってるなあなんて感心している間も、周りの空気が弾けるようにキラキラしていた。
思いがけない勝利に心が躍る。リアル王子様に連れ出されるなんて、美味しすぎる展開だ。あたし、もしかして今ヒロイン? なんて厚かましい妄想ができるくらい、鈴加は浮かれていた。
「すまない。気分が悪そうだったので連れ出してしまった。迷惑だったろうか?」
比較的人の少ない場所――中庭のようなスペースで立ち止まると、繋いだ手を解いた東が鈴加に向き直る。今朝は余裕がなくてじっくり鑑賞できなかったが、こうして真正面に立たれると改めて彼が皆から特別に愛されている存在なのだと納得した。同じ生物とは思えない美丈夫だ。
「僕に何か用があったみたいだけど……」
ハッと気を取り直し、慌てて頷くと彼の唇が優婉に弧を描く。この笑顔売れるわー、1スマイルにつきご飯1杯いけるわー、と鼻血をこらえつつ、日傘ならぬ美傘(イケメンや美人の神々しいオーラを遮り日陰者のHP減少を防ぐもの)が欲しいと心底願う。
「あの、」
「うん」
「えっと、その、あた、あたし……じゃなくてっ! あなた、に」
――ありがとうと伝えたいんです。
喉まで出かかって言葉は途切れ、代わりにうっすら涙が滲む。二度も窮地を救ってくれた恩人が、わざわざ人目につきにくい場所を選んで話す機会を作ってくれたのに、同じことの繰り返しで嫌気が差した。絶対呆れられた……変な女だと思われてる。
東は辛抱強く鈴加の言葉を待ったが、続きが発せられる気配はない。少しでも鈴加をリラックスさせようと、自ら口を開いた。
「実は今朝、旅行中の外国人に切符の買い方を尋ねられたんだ」
「へ?」
「恥ずかしい話、英語は得意じゃなくてね。何度説明しても通じなくて困ったよ。こんな外見だと当然喋れると期待されるんだ。実際は全然ダメ。だから当てが外れた相手には毎回申し訳なく思ってる」
突拍子もない話を振られ、ふっと緊張が緩む。東の意図が読めずに戸惑いを浮かべると、彼は側にあったベンチに腰かけるよう促した。それから少し待っていてと――小走りで去った東が戻った時にはペットボトルが二本握られており、片方をさり気なく鈴加に差し出す。
「お待たせ。えっと、どこまで話したっけ。ああ、そうだ。両親は外国人だけど、僕は日本生まれの日本育ち。東京へは大学のとき出てきて、故郷は田舎。東京は乗り換えが複雑だから、電車を間違えたのは一度や二度じゃない」
「え……っ」
「意外だった?」
「あ、はい――じゃなくていいえっ」
「ははっ、気を遣わないで。相手がどんな人間かなんて外見じゃ分からないだろう? だからこうしてお互いを知ることが必要なんだ。それにこれまで接点のなかった相手に緊張するのはおかしくないよ。だからそんなに焦らないでほしい。幸い時間はある。ゆっくりでかまわないから、君の思うことを話してもらえないか」
想像の斜め上をいく反応に、鈴加は固まっていた。「早くしろバカ橋」「のろのろ鈴虫ー!」などと罵られてきた少女時代を過ごし、弟に粗大ゴミ扱いされる毎日に、希望の光が見えたのだ。東なら真剣に悩みを聞いてくれるかもしれない。
「あ、あたし、こんな服装してるけどほんとは全然好きじゃなくて、仕方なく着てるの。迷彩服みたいな感じかな……浮くのが怖いんだ。毎日必死でLINEチェックして、行きたくもない合コンに参加してお金を無駄遣いしてる」
「なるほど、仲間外れにならないために周りに合わせているのか」
「うん。周りに流されてばっかり。ほんと、自分が情けなくて嫌になる」
昔から自分のことが好きじゃなかった。家で期待されているのは出来のいい弟だけで、メインディッシュの添え物のような扱いだった。学校ではスクールカーストの底辺に属していて、人気者の千晴がなぜ親しくするのか周囲は理解に苦しんでいた。
『何をやらせても鈍くさいな、高橋は』
子供の頃、担任だった教師が漏らした言葉は今も胸に突き刺さっている。ぎゅっと拳を握り締めると、東は「そうかな」と首を傾げた。
「僕が見た限り、君はちょっと自分に自信がないだけで魅力的な女の子だと思う。困っている人を助ける思いやりもあるだろう」
「え? あたし誰も助けてなんか」
「電車の中で席を譲ったり、重い荷物を棚に上げるのを手伝ってたじゃないか。小柄な君が一生懸命背伸びしてるところ、僕は何度も見たよ。春からずっと同じ時間の電車を使ってたんだけど、気付かなかったみたいだね」
「えええええええ!?」
三次元男子に無関心とはいえ、極上のイケメンが側にいて気付かないとはなんたる失態。しかも観察されていたのは相当むず痒い。寝坊してすっぴんで電車に乗った回数をカウントしようとして白目を剥きそうになった。ご尊顔に妖怪面を晒すとは……!
「で、でもあれは別に狙ってたわけじゃなくて、たまたま、」
「うん、分かってる。誰かを助ける時は深く考えないよね。僕もそうだから分かるよ」
「「自然と体が動く」」
声が重なり、顔を見合わせた。和やかな空気が漂い、鈴加は安堵した。この人はきっと感謝の気持ちをまっすぐ受け止めてくれるだろう――
「今朝は助けてくれてありがとうございました。驚いて、逃げてごめんなさい」
「こちらこそ、講義室で無視してほんとうにごめん。僕を見たら君が嫌なことを思い出すんじゃないかって知らない振りをしたんだ。それと……白状すると、君の驚いた顔と『救世主様』って台詞が面白くて、笑いを堪えるので必死だった――って言っても許してくれる?」
ハイ喜んでー! 居酒屋ノリで返事をしかけ、鈴加は「もちろんです」と口ごもる。視線が泳いだのが可笑しかったのか、挙動不審な鈴加を前に東がくすっと笑顔になる。もはや眩しすぎて魂ごと浄化されそうになり、鈴加は自分を戒めた。
東はどんなに素敵でも、三次元の住人である。その中でも手の届かない、挨拶を交わせたらかなりラッキーなヒエラルキー頂点の存在だ。これ以上関わってはいけない――さっと立ち上がった。
「今日は本当にありがとうございました。じゃあ」
終わった……さよならインスタント・リア充。一瞬だけでも幸せな大学生活を満喫できて満足だ。うっかり身の程も弁えずにラブな展開を期待しちゃうところだったぜ。
「またね、高橋さん。帰り、気を付けて」
「――――っ」
歩き出した鈴加は、追ってきた声を振り払うように駆け出した。卑屈な自分は東と一緒にいるのが辛くて話を切り上げた。もし彩葉のような美少女だったら。千晴のような才女だったら。もっと自信が持てたら……。こんな考えが浮かぶ理由はひとつしかない。だけど、ダメだ。絶対にダメだ。
『お前のこと、友達と思ったことなんて一度もない』
トラウマになった残酷な記憶を引き出し、胸に芽生えた想いを摘もうと、鈴加は急いで心に蓋をした。
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