第4話 リアル王子様、出会いました

 朝目覚めた瞬間、登校(出社)したくないと思う人は珍しくないだろう。日曜の夜にサザエさん症候群に襲われるのは有名な話だが、鈴加の場合、それが曜日に関わらずエンドレスにループしている。


 いい加減起きなさいと母親の怒号が飛び、足の踏み場のない部屋に突入され、布団を引き剥がされてもまだ眠いと駄々をこねる。


 二十歳を過ぎた娘の所業ではない、と高校生になったばかりの弟――りつが軽蔑しても仕方がなかった。パジャマ姿の鈴加がふらふら居間へ現れると、律は氷点下に達しそうな視線を送る。


 「せめて顔洗って来いよ」

 「んー……律っちゃんおはよお」

 「律っちゃんゆーな!」

 「ひどいー。昔はおねえちゃんおねえちゃんって可愛かったのに」

 「半引きこもりの二次元オタクに成り下がったお前をどう慕えと? 大学デビューしたかと思ったら、微妙にダサいギャル路線になってるし」

 「うっ!!」

 「つーか就活進んでるのかよ? うちはお前の学費と家のローンで手一杯だし、ニートとか論外だからな」

 「ぐあああやめてえええっ」


 大げさに胸を押さえよろける鈴加をスルーして、朝食の皿を片付ける律。同じ遺伝子とは思えない端正な顔立ちにすらりとした手足。涼しげな目許を見て、神様は不公平だと鈴加は歯噛みした。


 両親の長所を100パーセント凝縮して産まれた律は、鈴加より頭ひとつぶん背が高い。これから更に伸びるだろう。他方、味噌っかすの遺伝子を与えられた鈴加は、モブキャラに相応しい十人並みの容姿であり、小柄かつ貧乳である。華奢といえば聞こえがいいが、実際は発育不良の牛蒡のようで、スーパーに並べば訳アリ見切り品にされるに違いない。


 「律、お弁当持った? 忘れ物ない?」


 母親に確認され、「大丈夫」と律が頷く。


 「今日は日直だから早めに出るよ。おい、そこの粗大ゴミ。冷蔵庫に入ってるアイスは俺のだから勝手に食うなよ」

 「律、そんなんでもお姉ちゃんなんだから……」

 「ママ、それ全然フォローになってない……」


 いい加減、涙目になりそうだ。これ以上単位を落とせないでしょうと支度を急かされ、鈴加は重い足取りで家を出た。


 高橋家には一人暮らしの仕送りをする余裕はなく、片道二時間かけて都内の大学に通っている。のぼり方向だから電車の混み具合が半端ない。社会人になったら毎日これか……と気持ちが塞いだが、それ以前に内定が出ないことには就職できないことに気付き、ブルッと身震いした。


 「つ、潰れるうぅうう」


 駅員に押され、無理やり電車に詰め込まれ悲鳴が漏れる。四方から圧迫される小さな体はもはや埋もれている状態だ。それでも何とかいつもの電車に乗れたと安堵した――発車して間もなく事件が起きるまでは。


 「……っ!?」


 背後の男が異常に背中に密着している。耳元にかかる荒い吐息は、本能的に不快感を引き起こさせた。まさかの可能性が脳裏をよぎり、鳥肌が立つ。これまで痴漢に遭った試しはない。あえて冴えない女を狙う輩はいないと高を括っていたため、心構えが全くできていなかった。恐怖と羞恥で唇を噛み締めるた次の瞬間、


 「その手を離せ」


 凛とした声が響き、無遠慮な手が身体を離れた。すぐ隣に居合わせていた青年が、男の手を捻り上げていた。犯人は次の駅で扉が開くと同時に逃亡を図るも、青年は冷静だった。駅のホームで暴れる男の胸ぐらを掴むと、無駄のない俊敏な動きで背負い投げした。騒ぎを聞きつけた駅員が飛んで来た時には、男は地面に転がっていた。


 「大丈夫ですか?」


 硬直していた鈴加は、救世主を見上げて呼吸を忘れた。ブルーサファイアを連想させる青藍の瞳に見つめられ、周囲の喧騒が遠くなる。風に揺れる白金の髪は、雪原に砕いた星粒を散りばめたようで、青年の秀麗な面差しを際立たせていた。


 「…………」 

 「えっと……怖くて声が出せないのかな」

 「…………」

 「もし迷惑でなければ、君の目的地まで送らせてもらえないだろうか。あんなことがあった後じゃ、男と一緒なのは嫌かもしれないけど。心配なんだ」


 まさかの申し出に心臓が止まりそうになる。気遣うような微笑みを浮かべられれば、イケメン以前に男性から丁寧に扱われたことのない鈴加はひどく困惑した。向こうからぶつかってきても「ってーなブス! 前見て歩けよ!」と舌打ちされるのが常だったのである。


 呆然と佇む鈴加の真横を通り過ぎる女性達の羨望の眼差しが突き刺さる。傍から見れば、恋人を思いやる超絶格差カップルだ。


 「あの……聞こえてる? もしかして体調が悪い?」


 顔を覗き込まれて目眩がした。こういう時、乙女ゲームならクイックセーブ&ロードで正しい選択肢を選ぶまでやり直せるが、現実世界はユーザーに優しい仕様ではない。


 『大丈夫です、助けてくれてありがとうございました』――一言伝えるだけでいいのに、普通なら出てくる台詞が出なかった。


 「す、すすすびばせんでしたっ!」


 散々待たせた挙句、意味不明な謝罪を繰り出し、脱兎のごとく回れ右した鈴加は、引き留める間を与えず反対側のホームに停まっていた発車直前の電車にジャンプインした。人生初の痴漢&リアル電車男イケメンによる救出劇は、鈴加のキャパを完全にオーバーしていた。


 「えー、大変危険ですのでー、駆け込み乗車はご遠慮下さいー」


 車内アナウンスが流れ、鈴加は何気なく行先を見て「最悪だ……」と泣きそうになった。駆け込んだのは、目的地に停車しない特急電車だった。

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