第3話 ヒロイン(親友)を守りたい

 ひどい扱いは日常茶飯事で、今更の話だ。しかし今は千晴と一緒で、鈴加が笑われれば、当然千晴も居心地が悪くなる。


 くだらない嫌がらせに巻き込んでしまったのが申し訳なくて、千晴を正視できなかった。次の瞬間、衝動的に立ち上がった千晴が、予想外の行動に出るまでは。


 「きゃあああ!! な、なにするの!?」

 「彩葉様、大丈夫ですか!?」


 突如グラスの水を浴びせられた彩葉に、すぐさま駆け寄った親衛隊達がハンドタオルを差し出した。他方、千晴は空になったグラスを片手に、ゾッとするほど冷ややかな瞳で彩葉と対峙した。


 「目が覚めた? 何様のつもりか知らないけど、腐った根性を叩き直すいい機会になったかしら」   「な、なによあなた……! 高橋さん、これは一体どういうことなの!?」

 「うるさいわね。今あなたと話しているのは私でしょう。それとも、最後まで人の話を聞くことさえ習わなかったの?」

 「な……っ!」

 「はっきり言うわ。この子は自分のために頑張るのは苦手だけど、大切な人のためなら勇気を出して戦えるのよ。それに比べて何? 親のお金で贅沢をさせて貰ってる身分で、偉そうに遊び歩いて他人を見下して悦に入ってるなんて見苦しったらないわ。みっともないのはあなたたちの方よ」


 これまで経験したことのない暴言だったのか、彩葉は唖然と目を見開いている。やがて状況を把握すると、白いの頬を燃えるように紅潮させてわなわな震え始めた。


 まさに修羅場だったのだが、鈴加は、親友のヒロイン的行動に感動していた。惜しみない賞賛の拍手を送りたいところである。さりとてこのままでは、学部が異なるとはいえ、千晴の大学生活が脅かされるかもしれない。それほどに彩葉は学内の有名人で、信仰する女子の間でネットワークが普及しているのだ。


 彩葉は素早く千晴を品定めし、「排除すべき敵」と判断したらしい。勇猛果敢な人柄に反して、清楚で可憐な容姿の千晴は、臆することなく相手を見据えている。非常にまずい展開だ。


 「あなた……見ない顔だけど、高橋さんと同じ大学? 何学部かしら」

 「私は――」

 「待って下さい彩葉さん」

 「口を挟まないでちょうだい!」

 「すみません。でも、彼女は関係ないんです。悪いのは全部パッとしないあたしなんです。ごめんなさい。彩葉さんに不愉快な思いをさせてしまった責任はあたしが取ります」


 「ちょっと鈴加!? 何言って――」厳めしい形相で食いついてきた千晴を制止すると、彩葉は残忍な笑みを浮かべた。


 「そう……あなたが責任をとるのね? よろしくてよ。だったら今、何をすべきかお分かりでしょう?」


 粘り気のある猫撫で声に、恐怖で立ち竦む。だが、ここで逃げ出せば間違いなく千晴が標的になってしまう。それだけは避けたい。


 鈴加は自らを奮い立たせ、唇を固く結んだ。静かに椅子から腰を上げ、それまで盾になってくれていた千晴の肩を掴んで後ろに押しやった。これから起きる惨劇に巻き込まないために、少しでも離れた場所にいてほしかった。


 「……さあ、みなさん用意はいいかしら? ゲームスタートですわ!」 


 彩葉の音頭を皮切りに、親衛隊一同から水を浴びせられる鈴加。アッと悲鳴をあげた千晴を無視し、相手の気が済むまで目を瞑って耐える。


 何事かと周囲がにわかに騒がしくなるが、小柄な鈴加を取り囲んだ女子達は、集団心理が働いているのか、おもちゃを弄ぶように残酷な態度で接した。


 「ふう……やっぱり高橋さんには底辺がお似合いよ」


 獲物に群がる親衛隊の中心で、彩葉は薄紅色の唇に指を当てる。鈴加は、視界の端に捉えた千晴が烈火のごとく怒って、今にも飛び出してきそうなのを鋭い視線で窘めた。鈴加の意思を汲んだ千晴は、渋面に変わる。納得していないのは一目瞭然だ。それでも、鈴加は決して譲らなかった。


 「何かわたくしに言うことがおありじゃなくて?」

 「申し訳ありませんでした」

 「あら? 声が小さいわ」

 「申し訳ありませんでした!」

 「言葉だけじゃ足りないわねぇ。誠意を示すなら、せめて土下座して下さる? 中途半端はだめよ。額はきちんと床につけなさい」


 震える膝を叱り、鈴加は平伏した。――絶対に、千晴を傷付けさせるものか。そのためならどんな酷い仕打ちにだって耐えてやる。


 彩葉の興が醒めるまでの間、普通の人ならとっくに音を上げそうな、理不尽な命令に辛抱強く従った。異変を察知したカフェの店員が駆け付けると、彩葉達は蜘蛛の子を散らすように去って行く。緊張の糸が切れ、その場に座り込むと、千晴が駆け寄ってきた。


 「バカじゃないの。あんな連中の言いなりになるなんて、どうかしてる」

 「……うん、そうだね。バカなことに巻き込んでごめん。嫌な思いをさせてごめんね」

 「謝らないでよ。きっかけを作ったのは私でしょ」


 千晴の綺麗な顔が一瞬、くしゃっと歪んで泣きそうになった。二人の間に重苦しい空気が流れる。ハンドバックからハンカチを取り出し、顔や髪を拭いてくれる。千晴は無言だったが、やり場のない強い怒りと悔しさが滲み出ていた。けれどちっとも怖くないのは、鈴加のために心を痛めていることが手に取るように伝わるからだ。


 「立てる? 手を貸すわ」

 「ありがと。ねえ、千晴これからデートでしょ? もう行かないと待ち合わせに遅れちゃうよ。あたしは大丈夫だから、もう行って」

 「こんな状態の鈴加を一人で残すわけないでしょ。家まで一緒に行くわ」

 「そんなのだめだよ! あたしのせいで千晴の予定が狂うのは絶対嫌。ていうかさっきから鬼みたいな形相になってるよ。せっかく美人なんだから、笑って?」

 「笑えるわけないじゃない。どうしてあんたはいつも――」

 「ほんとに大丈夫だって! 大げさだなあ。こんなの小学生のとき、プールに突き落とされたのに比べたら屁でもないよ。あの時千晴が助けてくれなきゃ、確実に死んでたね。カナヅチだしさ」


 鈴加は努めて明るく振舞い、約束は延期して側にいると主張する千晴をどうにか言い含め、店の前で別れた。千晴はバイトに勉強と忙しいのだ。他大学に通う恋人と過ごせる時間は限られている。貴重な逢瀬を、下らないことで台無しにしたくなかった。


 千晴の恋人とは面識がある。彼は優しい人だ。高校時代の同級生だが、明らかに冴えない鈴加に対しても礼儀正しかった。クラスメイトに押し付けられた面倒な仕事を手伝ってくれたこともある。相手の外見で態度を変えないところが千晴に似ていると思った。


 二人が付き合い始めた当初は、親友を横取りされたみたいで寂しかった。拗ねた態度を取ってわざと困らせようとしたこともある。それでも彼は、嫌な顔をするどころか小姑と化した鈴加を、恋人の親友として気遣ってくれたのだ。大切な人の大切な人まで思いやれる器の大きさに感動し、この人なら安心して千晴を任せられると認めた。  


 「あーあ、家帰ったらママに怒られるなあ」


 頭から水を被った鈴加はひどい格好で、すれ違う人達は怪訝そうに眉をひそめた。それがほとんど気にならなかったのは、豆粒ほどの自尊心が八つ裂きにされた直後だったからかもしれない。


 帰宅したらすぐシャワーして、乙女ゲームをしよう。積みゲーリストを思い浮かべ、鈴加の口元は微かに緩んでいた。

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