第32話 夢の続き


 徐々に深まる口付けに胸が高鳴り、夢ならどうか醒めないでと心の中で呟いた。九条に触れられた部分に意識が集中して、そこだけ特別熱をもったように疼く。落ち着かないのは、この先の展開を期待しているからだ。


 もっと九条に触れたい。触れて欲しい。


 朱理は九条の首の後ろに両腕を回した。そのまま遠慮がちに引き寄せると、大きな手が背中を撫で上げた。背筋に震えが走って、零れる吐息が湿度を帯びる。朱里は拒絶されなかったことに安堵し、もどかしさをぶつけるように口付けに応えた。


 九条は朱里を立たせ、瞼、頬、首筋、鎖骨下に唇を落とす。再び唇が重なり、上半身を這っていた九条の手がトップスの中に滑り込んだ。ひんやりした手が素肌に触れた瞬間、朱里はハッと我に返った。


 「まっ待って下さい!」

 「何?」


 一応返事をしながら九条の動きは止まらない。全然待ってないよね!? 狼狽える朱里は耳を舐められ、舌の感触と音にゾクッとした。九条の肩を掴む手に力がこもる。


 「先にシャワーを、」

 「別に気にしない」

 「っだめです!!」


 昨晩お風呂入ったっきりなのに! 料理して汗かいたのに!! とまでは言えないが、朱里は鋭く九条を睨んで制止した。鬼気迫る形相の朱里が一歩も譲る様子がないので、九条は仕方なく折れた。


 「……分かった。行っていいよ。でも長くは待てない」

 「! ありがとうございます。それじゃササッと」


 ビシッと敬礼した朱里が浴室へ行こうと背中を向けた瞬間、首根っこを掴まれ引き戻された。「ぐぇっ」と色気のない声を漏らした朱里が抗議しようと振り向くと、噛み付くように唇を奪われる。


 「今夜は逃がさないから」


 ――――早く抱きたい。


 とんでもない破壊力の台詞を囁かれ、顔から火が出そうだった。




* * *




 10分後。



 シャワーを終えた朱里が寝室へ戻ると、ベッドの端に腰かけていた九条が立ち上がった。近付く距離。いよいよか!? と身構えたが、九条は朱里の横をスルリと通り過ぎて拍子抜けした。思わず背後から腕を掴むと、九条は半身振り向く。


 「あんたは時々大胆だよね。心配しなくてもどこも行かないよ。俺も軽くシャワーしとこうと思っただけ」

 「な、なんだ……」

 「安心した? 油断するなよ。焦らした分、仕返しするから」

 「!!!!」


 艶然と唇の端を上げて笑う九条を前に硬直したが、朱里も負けじと反撃に出る。


 「それ全然脅しになってませんよ。だって、わたしの方がずっと九条さんに触りたいから……ごっ、ご褒美にしかならない……です」 


 恥ずかしくて爆発しそうだったので、後半の台詞は蚊の鳴くような声量になってしまった。しかしバッチリ聞こえたらしい九条は悩ましげにため息を吐いた。


 「煽って後悔するなよ」


 挑戦的に言い放ち、九条は寝室を出た。やがて浴室からシャワーの音が聞こえ始め、今にも心臓が口から飛び出そうになった。


 (今度は夢オチじゃないよね? ていうか今から本当に九条さんと……うわぁぁあぁあああ!!!!)


 ベッドの上にダイブし、ゴロゴロと左右に転がる。


 (顔は熱いし鼓動は早いし変な汗かいてきたし、無理! もう無理!!)


 両手で顔を覆った朱里はひとり悶絶した。しばらくして浴室から戻った九条は、珍妙な生物を発見したような表情でぴたりと足を止め、ゆっくり歩み寄った。


 「何してんの?」

 「ひっ!?」


 ビクリと飛び上がり、正座した朱里はカチコチに固まっていた。風呂上がりの九条は居候中に何度も見たが、改めて目の前に来ると圧倒される。婦女子の敵……目に毒過ぎ!! 


 5年振りのアハン展開、わたしは生きてられるだろうか……と意識が遠のいた時、九条がベッドに腰を沈めた。九条の手が頬に伸び、優しく触れるかと思いきや、つまんでびよ~んと横に引っ張られた。


 「あのぉ、九条ひゃん?」

 「ふっ。変な顔」

 「!? こんな時までからかわないで下さい!!」

 「こんな時だからこそだよ。別に取って食おうって訳じゃないからそんなに緊張するな。いつものあんたでいい」

 「……っ。色気なくてすみませんね」

 「その自信の無さ、俺が取り払ってやるよ。だから――もう黙って」


 九条の顔で視界が埋め尽くされて、朱里は驚いた。唇を食んだ九条の舌が口内に割り入ってきて頭の奥がじんと痺れる。朱里の後頭部に手を回した九条は髪に指を埋め、舌を味わうように絡ませ吐息を零した。


 トップスの裾に手が掛かり、九条の意図を察した朱里は大人しく両腕を上げて従ったが、そのまま下着の肩ひもに指が差し込まれれてやや抵抗した。


 「九条さんも……。わたしだけは恥ずかしいです」


 分かった、と答えた九条の声色が甘くて、もうそれだけで余裕がなくなった。


 カーテンの隙間から差し込む月明りが寝室を淡く照らす。九条が上着を脱ぐと、引き締まったボディラインが浮かび上がってこくりと喉が鳴った。乱れた髪を掻き上げる何気ない仕草、見下ろす視線さえ煽情的だ。


 「……ずっとこうしたいと思ってた。今は俺のことだけ考えて」


 朱里は仰向けに押し倒され、瞬く間に翻弄されていった。








 ――――時間の感覚が曖昧になる中、ベッドの上で掠れた声を漏らす朱里は溶けそうだった。



 時折息を詰め、熱い吐息を零す九条の存在を強く感じる。うなじに、背中に降る口付けがくすぐったい。シーツを掴んだ朱里の手を包み込む一回り大きな手は温かく、背中に合わさる肌は汗ばんでしっとりしていた。


 圧しかかる九条の重みが愛おしくて、全身を包むグリーンノートの香りを肺いっぱいに吸い込んだ。『九条さん』と数え切れないほど名前を呼んだ。「蓮でいい」と耳元で囁いた九条の甘い声は、幻聴かもしれないと思った。

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