第23話 恋に落ちるきっかけは些細なこと
昼休み――――
三好の提案で会社から徒歩数分のブーランジェリーカフェに移動した朱里は、混み具合がピークの店内でなんとか二人分の席を確保することに成功した。
この店は具沢山のホットサンドイッチとドリンクのセットが人気で、テイクアウトも可能だ。レジは1つしかなくすぐに行列が出来るが、長くは待たされない。会計を済ませると渡される番号札をテーブルに置く。それを目印にキッチンから出来立てのサンドイッチが運ばれる。パンが焼けるいい香りを吸い込んでいると、会計を済ませた三好がやってきた。ドリンクを2つ両手に掴んでいる。
「いやー相変わらず混むね」
テーブルにドリンクを置き、ひとつを朱里の前に差し出す。向かいの席に三好が座ると、周囲の女子の視線が集まった。彼女達はキュンと音がしそうな乙女の表情をしている。三好は整った容姿で、そこにいるだけで場の空気がパッと華やぐオーラがある。今更だが人目を惹く男性と同席するのに気後れし、朱里はなんとなく猫背になった。
「あの、ほんとに奢りでいいの?」
「いいよー俺が誘ったんだから気にすんな。昼飯にしては安いもんだ」
「うう~かたじけない! ありがとう!」
お代官様に傅くようにテーブルに突っ伏すと、三好は「大げさ」と明るく笑った。
三好の屈託のない笑顔は太陽のように温かい。九条とは正反対の系統だが、改めて観察すると三好も相当綺麗な顔立ちをしている。だけど外見を理由に気取った態度は微塵も取らないし、他人に壁を作らない性格で自然と懐に入り込んでくる。軽いノリがたまにキズだが、抜群に要領がよく、難しい業務が回ってきてもサクッと捌けるあたり天才肌?
確かに宇佐美が朱里の同期では人気No.1と言ったのも頷ける。だからこそ解せない……。
「あのさ。前から思ってたんだけど、なんで三好はわたしに構うの?」
「わ~それサラッと聞いちゃうかぁ。神奈川県産天然記念物」
「……何かよく分からんけど貶されてるのは感じたわ」
ブツブツ文句を漏らすと目の前にボリューミーなアメリカンクラブハウスサンドが運ばれ、朱里は瞳を輝かせた。さっそくおしぼりで手を拭き、温かいうちにかぶりつく。表面がさくっとしたパンの内側はふんわり柔らかく、新鮮な野菜と塩気の効いた厚切りベーコンの旨味が口の中に広がる。頬が落ちそうだ。
「ほんっとうまそうに食うなぁ」
食い意地の張った朱里を、三好は嬉しそうに眺めた。朱里につられてサンドイッチに手が伸びる。
「覚えてるかな? まだ俺達が新入社員で各課に配属される前、一週間の集団研修があったろ?」
「あぁ、うん。もちろん覚えてるよ。同じグループに割り振られたよね」
「そうそう。俺らの担当はすげー厳しい入社5年目の先輩で、あの人陰で女帝とか呼ばれてて」
「うわっやめてー! ご飯が喉を通らなくなるー!」
思い出した朱里はブルリと身震いした。通称・女帝から「洗礼」といえる驚異のダメ出しコンボを受け、当時鋼ほど強度がなかったメンタルはずたずたになった。家でひとり悔し泣きをしたほどだ。朱里はげんなり萎んだが、三好の瞳は悪戯っぽく輝いていてどこか楽しそうだ。
「そんなに凹むなよ。黒歴史なんて誰にでもあるって」
「黒歴史!?」
そんなに酷かったかとショックを受けた朱里がみるみる縮む。椅子の上にちょこんと座る姿は小さなマスコットのようだ。三好は微笑んだ。
「俺は感謝してるよ。雪村が同じグループで幸運だった」
「え?」
思わぬ発言に朱里は顔を上げた。
「最終日に各グループが代表者を立てて順番に報告しただろ。あの時は俺が周りの奴に推されて代表になった。んで報告して、質疑応答して、あの女帝にちょっと褒められて浮かれてたわけ。そんな時、たまたま聞いちゃったんだよね。トイレの前で、同じグループだった奴らが「三好は顔がいいから女受けよくて楽でいいよな」って言ってるの」
「……!! 嘘。あれ聞いてたの?」
「うん。ま、あの手のやっかみは昔からあったんだけど、皆で意見出し合ってその時最善だと思えるものを完成させて、報告も上手くいって、拳突き合わせて喜び合った直後だったから急に冷めてさ。そのままこっそり立ち去ろうとしたらお前が現れて――」
トイレの前で固まっていた仲間達に同意を求められ、朱里はそれを一蹴した。
『何言ってんの? さっきの報告が褒められたのは三好がリーダーとして皆を引っ張ってくれたからでしょ。はじめにアイデアを出して、議論を進めて論点がずれそうになったら軌道修正したのは誰?』
凜と言い放った朱里にひどく驚いた。失礼な話、朱里は真面目だが頭の切れる印象は受けなかったし、実際、議論に参加していても凡庸な発言しかしていなかった。だけど人を見る目は確かにあって、まだ会ったばかりで大して親しくもない自分のために怒ってくれたことが嬉しかった。
「その場にいない人間のことを真剣に庇うんだと思ってちょっと感動した。実は俺に気があるのかな~とか邪推してアプローチしたけど1ミリも靡かなかったから余計に」
朱里は驚いて目を丸くした。三好が自分に注ぐ眼差しが熱い。ビジネスマンやOLがひっきりなしに出入りする賑やかな空間の中、あちこちから話し声がするのを忘れ、周囲の音が掻き消えた。
信じがたいことだが、話の流れをまとめると三好はつまり――――
「……えっと、正直驚いてる。いつもの冗談――じゃないよね?」
「うん。でも別に今すぐ答えが欲しくて話したわけじゃないから気負わないで。俺、長期戦辞さないから」
あっさり認めた三好は再びサンドイッチを食べ進めた。今のはかなりの爆弾発言だったのだが、肝心の本人はどうして平然としていられるのか。喉の奥が痞えてうまい言葉が出てこない。
「話は分かったけど、たったそれだけで……っていうのは理解できない」
「俺だってよく分かんないよ。でも気付いたら思ってたんだよねー。『この人が自分を好きになってくれたらいいのに』って。そういうのって理屈じゃないだろ?」
朱里は息を呑んだ。淡々と肩をすくめる三好はちっとも自分に恋する男に見えないが、人によって愛情表現は様々だ。それっきり三好は他愛ない話題に移行したので気まずい思いはせずに済んだ。それでもサンドイッチの味がしなくなる程度には動揺が続いた。
*
午後、資料室でフォルダを整理していた朱里は、脇に挟んでいた分厚い一冊を取り上げられて驚いた。けっこうな重さだったそれをひょいと片手で掴んだのは――
「九条さん! いつのまに」
「今さっき入って来たんだよ。足音で気付かなかった? 集中しすぎ」
「あ―――……すみません。どれか必要な資料があるんですよね? 邪魔にならないよう横に寄ってますんでどうぞ」
「いや、あんたを探してたんだ。これ、忘れないうちに渡しとく」
空いた方の手のひらに乗せられた鍵を見て、朱里は目を剥き受け取る。
「もう作ったんですか? 早業!!」
「昼休み少し早めに出たんだ。うっかりなくすなよ」
「失敬な! なくしませんよ!」
「そう? ま、あんたはそのくらい威勢がいいのが似合う」
ふっと笑った九条の顔を見て気付いた。普通にしているつもりでも、元気がないことを見透かされてしまったんだ、と。胸にじわっと広がる九条への想い。ああ、だめだ。今側にいると甘えたくなる。
「また何か悩んでるんだろ。顔に書いてある」
「別に悩んでませんよ。ちょっと疲れただけです。わたし単純なんで美味しいもの食べて寝たら翌日にはスッキリですよ! 昨日は九条飯で栄養もりもり補給させてもらいましたから絶好調です!」
ビシッと背筋を伸ばして敬礼した。朗らかな笑顔を前に九条はポーカーフェイスを崩さない。ふと頬に手が伸びた。むにんと軽く引っ張られたが痛くはない。えーとこれは何のつもり??
「九条ひゃ、」
「ペナルティ1」
「へっ?」
「俺の前で無駄な我慢をするなって言っただろ。忘れたとは言わせない。守れないなら業務命令にする」
「ええぇえ!? それは職権乱用ですよ!!」
「いいんだよ。そのくらいしないとあんたは素直にならないだろ。今更変な遠慮される方が気色悪い。もっと俺を頼れ」
頬から手が離れ、後頭部から胸に引き寄せられる。泣いた子供をあやすように頭をポンポンされて目頭が熱くなった。鼻の奥がツンとする。
「……シャツに化粧がつきますよ」
「少しくらいかまわない。どうせあんたはスッピンと大して変わらないだろ」
「悪かったですね色気がなくて!!」
「確かに色気はないな。でも寝顔はなかなかだった」
何をのたまう腹黒王子――――――!!??
羞恥に耐えかねた朱里はベリッと体を離し、高速で後ずさりした。書棚の奥でフーッと火を吹く朱里を九条は面白がった。
「そうだ、今週末空けとけよ。物件探し手伝う」
「え!? いやいやいや! そこまではさすがに!」
瞬時に持ち直した朱里は顔の前で左右に手を振るも、九条は譲らない。
「俺の兄が不動産会社経営してるんだよ。もう連絡取ってあるから」
「お兄さんがいるんですか? しかも社長さんて! 九条家のハイスペックぶりおかしくないですか!?」
「あんたがどんな想像してるか知らないけど普通の家庭だ。あと、先に言っとく。あの人ブラコンだから引くと思う。無視していいよ。俺もなるべく関わりたくない」
「あらっお兄さん苦手なんですね」
「…………まぁ」
心底嫌そうにため息を零す九条。九条にこんな表情をさせるとは……恐ろしいなお兄様!!
「なんか、ほんとすみません色々とお手数お掛けして」
「俺が勝手に世話焼いてんだから気にするな。あぁ、それとあんたを早く追い出したくて急いでる訳じゃない。やっぱり自分の家が寛げるだろうと思って。それだけだから深読みするなよ」
「!! わ、分かりました」
「ありがとうございます」。朱里がお辞儀をして顔を上げると、九条は王子モードに切り替わった。
「では先に部室に戻ります。そうそう、雪村さんの机に大量の決裁書が溜まってましたよ。全て僕も決裁ラインに入っているので、日付が変わる前に終わらせて帰りましょうね?」
王子スマイルなのに目は完全にドS――――!!
お、お手柔らかにお願いします……。
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