第22話 王子の目覚めと失言注意報



 翌朝はコーヒーの香りで目が覚めた。


 寝返りを打つともう九条の姿は隣になくて、ごそごそ上体を起こす。両手を組んで裏返し、頭の上でぐ~っと伸びをした。久しぶりに熟睡できたおかげか頭がすっきりしている。


 朱里はパウダールームに移動した。鏡の前で簡単に髪を後ろで束ね、前髪をクリップで留めて洗顔する。ぬるめのお湯が肌に優しい。ついでに歯磨きを済ませてリビングへ向かったが九条はいなかった。リビングとひと続きのダイニングを抜け、物音がするキッチンに向かう。


 「おはようございます!」

 「……おはよう」


 上下スウェット姿でキッチンカウンターに佇む九条と視線が重なる。九条はマグカップに被せていたフィルターを外して捨てたところだった。ドリップしたてのコーヒーを口元に運ぶ仕草は気品があるが、寝起きのせいかぼーっとしている。


 「あの~九条さん起きてます?」


 下から顔を覗き込むと九条は頷いた。が、かなり眠そうだ。朱里は申し訳なくなって肩を落とした。


 「もしかして夕べあんまり眠れませんでした? 狭かったですよねすみません」

 「いや、大丈夫。朝はいつもこんな感じだから」


 気にするな、と付け足した九条は朱里の頭の上に手を乗せた。それからなでなでと撫で続ける。柔らかい笑みと眼差しはまるで小動物を愛でるよう……って、誰この可愛い人!? 絶対寝ぼけてるよね? 


 「……九条さんって目覚めに時間がかかるんですね。朝早く起きるのは苦手ですか?」

 「苦手ではない」

 「まぁそうですよね。九条さんには苦手なものなんてそうそうないですよね。参考までに何が苦手なんですか?」

 「それは――」


 ぴたり。九条が頭を撫でる手を止めた。やがて纏う雰囲気が通常運転(腹黒モード)に切り替わっていく。完全に覚醒した九条は一瞬、眩しすぎる笑顔を浮かべた後――


 「どさくさに紛れて何を聞き出すつもり? 俺の弱みか。あんたにしては姑息な手を使うんだな」

 「ぎゃぁああ~~~~いだだだだだギブギブギブッ!!」


 頭をギリギリ鷲づかみにされて涙目になる。朱里は両手をばたつかせた。九条は朱里の間抜け面を意地悪な表情で見下ろしたあと、鼻で嗤って解放した。


 「バカなの? 俺を出し抜くならもっと上手くやりなよ。今のはどう考えても結果が見えてるだろ。ほんと学習しないね」

 「じょ、女子の頭を鷲づかまないで下さい!!」

 「は? 女子? あんたの頭ヘルメットみたいに頑丈だったぞ」

 「ヘルメッ……!? いくらなんでもそれはないでしょうよ! せめてココナッツとか! むぐッ」


 喚く朱里の顔面に押し当てられたのは袋入りの食パンだった。


 「ぶはぁっ! いきなりなんですか!?」

 「朝飯。俺はコーヒーしか飲まないけど、あんたは家にあるものでよかったら何でも食べて」

 「え! あ、ありがとうございます……?」


 何この流れ? パンで丸め込まれた感が半端ない。が! とりあえずお礼は言っとこう。


 朱里はしかめっ面でパンを袋から取り出し、耳の部分からむしゃむしゃ囓る。軽く吹き出した九条はコーヒーを半分ほど飲んだ後、カップをカウンターに置いてキッチンから出て行った。




 ――――30分後。



 先に支度を済ませた朱里はリビングで九条を待っていた。ソファに座って足首をプラプラさせる。しばらくニュースを見ていたが、画面の端に表示された時間に気付いて驚いた。わぉ、そろそろ出ないと遅刻する!


 シャワーを浴びた後、ウォークインクローゼットに入ったっきりの九条にリビングから声を飛ばした。


 「九条さ~ん、そろそろ出ないと間に合いませんよ~!?」

 「分かってる」


 颯爽と上着に袖を通す九条が現れ、胸が鳴った。九条は何を着ても似合いそうだが、見慣れてるせいかスーツ姿が一番しっくりくる。髪を掻き上げる仕草は無造作だが、洗練されていた。


 「お待たせ。行こうか」

 「は、はいッ!」


 呼ばれて弾けるように立ち上がり、シャキーン☆と元気よく敬礼した朱里は通勤バックを肩にかけた。九条に続いて家を出て、鍵を閉めるのを見届ける。エレベーターに乗る時、先に入って開くボタンを押してくれた九条の真横を通り過ぎてハッとした。


 「あ……」

 「どうした。忘れ物?」

 「いえ、微かですけど香水の香りがしたので」

 「よく気付いたな。かなり控えめに付けてるんだけど。苦手だったらごめん」

 「まさか! 九条さんの香り大好きです!!」


 食い気味で力一杯肯定した朱里。九条は僅かに面食らったが、上から目線でニヤリとした。


 「へぇ。『俺の』香りがね」

 「ブフォッ!!」


 大失言――――!!


 焦って弁解しようとした朱里は閉ざされたエレベーターの壁際に追い詰められた。顔の横に片手をついた九条が耳元で甘く囁く。


 「気に入ってるなら移してあげようか?」

 「おっぉおお断りします!!」


 シャッ! と早業で九条の腕の下をすり抜け、朱里は猫のように毛を逆立てた。真っ赤になった朱里を可笑しそうに眺めた九条だったが、一階に着いた途端に王子モードを発揮した。したがってそれ以上失言をネタにされることはなかったが(不幸中の幸い)、駅まで歩いて電車に乗っている間中、恥ずかしくて爆発しそうだった。


 家の最寄り駅から会社のある新宿までは地下鉄一本でおよそ15分強だ。通勤の便利さは神! 


 九条と他愛ない話をしつつ、足早に会社へ向かう。しかし会社の入り口から10mほどの距離に迫ったところで後ろから肩を叩かれ振り向いた。なぜ頬に人差し指が突き刺さっている!?


 「ははっ! 引っ掛かったな~」

 「三好!? な、なんであんたがここに!」

 「そりゃ同じ会社だもん。お、そちらは九条さん! おはようございます」

 「おはようございます、三好さん」


 歩みを止め、爽やかな笑みを返した九条。朱里と肩を並べる九条を交互に見比べ、三好は腕組みをした。


 「ん? そういやなんで二人一緒なんすか? なんか怪しいなぁ~」


 めざとく指摘され、朱里は胃がギュッと締まった。しまった――――! 少し時間ずらして出勤するんだった! 鍵がひとつしかないから一緒に家出たけど、せめて駅からは別々に歩くべきだった! 


 青ざめる朱里を横目に九条は助け船を出した。


 「雪村さんとは先ほど偶然、駅でお会いしたんですよ。今朝の課内会議で報告する件について話していたらいつのまにか会社に着いていました。仕事のことになると周りが見えなくなっていけませんね」


 気をつけます、と告げた九条は涼しい顔で隙がない。機転の利く九条に感謝しつつ、朱里はブンブン縦に頷いた。三好は納得したのか、それ以上追及しなかった。


 「そうでしたか。雪村はもう体調大丈夫なの?」

 「え? あ、あぁうん。昨日はビックリさせちゃってごめん」

 「ほんとだよ! お前限界まで無理するのやめろよなー。心配で午後の仕事手につかなかったわ」

 「それは心配しすぎ。そこまで頼りないキャラなのわたし?」

 「いや、そういう意味じゃなかったんだけど……」


 三好が苦笑する。朱里の頭に3つほど疑問符が浮かぶと、九条は腕時計を見遣って歩みを再開した。


 「時間なので僕は先に行きます。雪村さん、三好さん、また後で」


 キラッキラの王子スマイルを残して去った九条のまっすぐな背中に見とれた。姿勢いいなぁ……。朱里が無意識に九条を視線で追ったことに気付き、三好は苦々しく呟いた。


 「……食えないよなぁあの人」

 「ん? 何か言った? わたしたちも早く行こ!」


 言い置いて、会社が入居するビルの中に朱里が駆ける。三好が後を追って横に並んだ。


 「な、今日の昼飯一緒に食わない? 例の出張コンサル料ってことでひとつよろしく」

 「えぇ今月は無理! 金欠だもん」

 「そうなん? じゃあ俺の奢り」

 「乗った!!」


 奢りに反応し瞬時に快諾した朱里。三好は現金な奴だな、と笑って肩をすくめた。 


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