第18話 溢れた想い

 「空き巣に入られたぁ!?」

 「ちょ、うさみん声が大きいっ」


 零れんばかりに両眼を見開いた宇佐美の口元を手で覆い、朱里は周囲に人がいないか確かめた。


 事の始まりは5分前。


 出張後の業務に追われて煮詰まり、息抜きをしようと社内の休憩スペースに向かったところ、宇佐美と出くわしたのだ。そこで話の流れで朱里が爆弾発言(空き巣被害の告白)をしたため宇佐美は仰天した。


 現在休憩スペースには朱里と宇佐美の二人だけだ。人目を気にする朱里を宥め、宇佐美はずいっと顔を近づけた。


 「で、どうするんですか? 泥棒に入られた以上今の家じゃ安心して暮らせませんよね。早急に引っ越しを検討した方がいいと思いますよ」

 「んーーそうなんだけど出費がね……」


 握り締めていた缶ジュースのプルタブを引っ張り、朱里は一気に煽った。出張後、久々に帰宅した夜のことを思い出すと背筋が寒くなる。


 ぽつぽつと外灯に照らされた住宅街の中、重いスーツケースをゴロゴロ引いて帰った朱里は心身共に疲労していた。翌日は予め休暇を取っておいたため、ぐっすり寝て明後日以降の激務に備えようと玄関の鍵を開けた直後。安らかな休日計画は砕け散った。


 無情にも、朱里を待っていたのは何者かに荒らされた部屋だった。幸い犯人とは鉢合わせなかったが、他人が無遠慮にプライベートな空間を侵した光景はショッキングで、しばらく動けなかった。


 その後、震える手で警察に通報し、事情聴取を受け、現場の状況を確認してもらい被害届けを出した。犯人はすぐに現金化できる時計やアクセリー類を根こそぎ持ち去ったが、それよりも重要な身分証や通帳、印鑑は残されていたため少しだけほっとした。


 しかし不幸は終わらなかった。朱里はアパートの管理会社に連絡して翌朝一番に業者を派遣してもらい、侵入のために割られたガラス窓の修理をしてもらったが、元々のセキュリティが改善されたわけではないため、もしかしたら再び空き巣の餌食になるのではないかという恐怖に苛まれた。


 その結果、空き巣が入っておよそ一週間が経過しても、まともに眠れていない。例え眠れたとしても悪夢にうなされ、悲鳴をあげて飛び起きるという悪循環に陥っていた。


 かなり参った様子の朱里を気遣い、宇佐美は別の提案をした。


 「先輩のご実家って遠いんでしたっけ? 通勤圏内ならご実家から通うって選択肢もありますよ」

 「実家かぁ、神奈川だけど相当田舎の方だから車がないと不便だし、距離がありすぎて現実的じゃないわ」

 「そうですか……。新しい物件決まるまでならそれもありだと思ったんですけど。まさかホテル暮らしを続ける訳にもいかないし悩ましいですね」

 「うん。大して貯金もないからホテルとか絶対無理」


 肩を落とした朱里はこれまでになく体がだるかった。元々冷え性でもないのに手足が冷たく、お腹の上に重い石が乗せられているようだ。こんな時に頼れるパートナーがいれば苦労しないが、女を捨ててまでしがみついてきたキャリアをそう簡単に手放す気にはなれないし、そもそも婚活など女子力が試されるイベントは戦う前に惨敗が見えている。ぜひとも辞退したい。


 「とはいえこのままじゃ体壊しちゃいますよ。鏡見ました? ひっどい顔。特に目の下のクマが尋常じゃないです! 最近ちゃんと寝れてます? 睡眠は健康にも美容にも重要ですから蔑ろにすると年取ってから後悔しますよ」

 「うぅうううその通りなんだけどさぁ~~~!」


 「おっ二人で休憩中? 俺も混ぜて~って言いたいところだけど、九条さんが雪村のこと探してたよ。なんか出張絡みで確認したいことがあるらしい」


 突然三好が現れ、かつ現在のNGワード(九条)を不意打ちでかまされて吹き出した。危ない! 飲み物を口に含んでいたら大惨事だった!


 「わ、分かったすぐ行く。ありがとう」

 「お疲れ様です~」

 「またな~」


 手を振る宇佐美と三好に生温かい目で見送られ、朱里は渋々部室に戻った。足取りが重いのは精神的に参ってるからか肉体が弱ってるからか判別できないが、とにかく憂鬱だ。


 「ああ、雪村さん戻られましたか。ちょうどよかった。例の調査報告書案について何点か気になる部分があったのでお時間頂けますか」


 九条の爽やかな笑顔に出迎えられ、朱里は閉口した。彼の背後に浮かぶキラキラオーラは一体どこで調達してどう放出しているのか誰か教えて欲しい。安定の王子っぷりに呆れを通り越して感心した。


 「もちろんです。よろしくお願いします」

 「では会議室へ移動しましょう」

 「へ? 会議室?」

 「部室内はこの時間賑やかですからね。何か問題でも?」

 「イイエナニモゴザイマセン」


 棒読みで返事をすると、九条の目が微かに笑った。最近は王子モードと素の笑顔を見分けられるようになってきたので、たまに不意打ちで素を見せられると無駄にドキッとするんだが分かっててやってらっしゃるんでしょーかね。


 強烈な『お仕置き』以降、九条と顔を合わせることに苦悶したが、空き巣事件の衝撃で色々と頭から吹っ飛んでしまったため実際はあまり意識せずに出勤できた。そして何より九条の態度が相変わらずだったことに安堵したのだが、その中に少しだけ残念な想いが混じって正直複雑だ。それこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで本心を告げたのに……!


 「どうぞ」

 「あっこれはどうも」


 オッサン臭い返事をした朱里は、紳士然とドアを開いてくれた九条をチラッと見上げ、遠慮なく先に入った。小さな会議室は二人がけのソファがローテーブルを挟んで左右に設置されている。とっとと終わらせて部室に戻ろう--そう思って下座のソファに腰掛けた。が、後ろ手に扉を閉めた九条は完全に王子の仮面を剥がし、腹黒モードで見下ろしてきた。ん? なぜに苛立っていらっしゃる?


 「あの~打ち合わせは……」

 「あんたは他人の忠告を無視するのが趣味なのか?」

 「はい? おっしゃる意味が分かりませんが」

 「とぼけるな。俺は昨日、今日は休めって言った筈だ。まさかもう忘れたのか? バカにも程があるだろ」


 ちょっ、仕事を口実に会議室に呼び出してバカ呼ばわり!?

 頭にきた朱里は思わず拳を握って立ち上がった。


 「失礼な! ちゃんと覚えてますよ!」

 「じゃあなんで無視した。体調管理も仕事のうちだ。今にも倒れそうな顔色でふらふらしてるあんたが隣にいると俺の気が散るんだよ」

 「悪かったですねお邪魔して! わたしのことは空気か何かと思ってスルーすればいいじゃないですか!」

 「できるか。俺はあんたの上司として配慮する義務があるんだ」


 上司、義務。

 その何気ない二言が深く胸を抉った。

 怒りは引き潮のように収まったが、代わりに虚脱感が押し寄せた。


 「……ここでそれ言うんだ。ずるいですよ九条さん」


 朱里は乾いた笑みを漏らした。


 「きちんと体調管理できていなかったことは謝ります。プライベートでのトラブルを仕事に持ち込んで申し訳ありませんでした」


 淡々と語る朱里だったが、「トラブル」という単語に九条は反応した。


 「トラブル? 何があった」


 眉間に皺を寄せた九条は本当に朱里を心配している様子だ。しかし朱里は厚意を素直に受け取る余裕がなかった。


 「九条さんには関係ないことですよ。今後一切業務に差し支えないように致しますのでご安心下さい。話は終わりですか? 仕事があるので戻ります」


 これ以上同じ空間に居たくない――――。朱里は扉を背にもたれていた九条に近付き、全ての感情を押し殺して静かに告げた。


 「どいて下さい」

 「まだ話は終わってない」


 九条に腕を掴まれ、「離して!」と腰を引いた。すると腰に手が回ってぐっと引き寄せられた。前から抱き合うような姿勢に鼓動が速まる。


 「やめて下さい。離さないと人事課に報告しますよ」

 「好きにしろ。俺はあんたがちゃんと答えるまで離さない」


 どうして、どうしてこの人は放っておいてくれないんだろう。


 他の人に見せない素顔を見せられて期待した。

 勇気を振り絞って本音で話した。

 だけど結局、最後には上司と部下という明確な線引きで突き放してくる。


 「バカにするのもいい加減にして!!」


 自分でも驚くほど大きな声だった。

 蓋をしていた想いが溢れて胸が千切れそうだった。


 「わたしの反応を見て面白がってるんでしょう? 人が必死に保ってる平常心揺さぶらないでよ!!」


 朱里は力任せに九条を振り解こうとして目眩がした。興奮しすぎて酸素が脳に行き届かない。疲労困憊で心身共に限界まで追い詰められていた朱里は、不眠も重なって意識が朦朧とした。

 あ、これはまずい――――


 「雪村……!?」


 ガクンと膝が折れた瞬間、初めて九条の焦った顔を見た。

 間もなく視界がブラックアウトし、朱里は意識を手放した。


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