第17話 深夜の甘いお仕置き
「続きは?」
「え……」
「今のだよ。『何百倍も』何?」
色香を含んだ静かな声音にバクンと鼓動が跳ね、喉がひくついた。改めて訊かれると、たった今勢いで口走りそうになった台詞はかなり恥ずかしいものだった。九条はポーカーフェイスで表情が読めないが、どことなく瞳の奥が熱を帯びている。心臓が早鐘を打ち、誤魔化そうと顔を背けると、顎をすくわれ容易く正面に引き戻されてしまった。
「なんで黙るの。口に出せないようなこと考えてたわけ?」
「違いますっ」
「じゃあ早く言いなよ」
「なっ! 嫌ですよなんで無理強いされないといけないんですかっ」
「俺が訊いたらあんたは答える義務があるんだよ」
なんだその俺様思考はーーーーー!?
軽くパニックに陥った。叶うなら数分前に時間を巻き戻して今のやり取りをなかったことにしたい。だけどそんな都合のいい展開は望めないので、逃げられない以上何かしら九条を納得させる返事をしなければならない。
理不尽な目に遭いながら朱里は思考を巡らせた。何でもいい、この場を切り抜ける言い訳を捻り出せ!
「……分かりました。お答えします」
朱里はすぅーはぁー深呼吸して九条を見つめた。「人間らしくて信用できる」という最もらしく無難な返事を閃いたのだ。だけどいざ口に出そうとして直感した。もしこの機会を逃せば色々なものが邪魔をしてきっと本心を伝えられないだろう、と。
時間にして数十秒。激しい葛藤の末、朱里は覚悟を決めた。
「あの」
あまりの緊張で、絞り出した声は情けなく震えていた。それでも逃げ出したくなる衝動を必死に堪え、朱里は続けた。
「わたしは王子モードの九条さんより、今の方が何百倍も好きです」
出会いは最悪だったが、もし最初に出会った場所が会社で、外面の九条しか知らなければ心から慕うことはなかった。
「九条さんはわたしをバカにしますけど、真剣な時は絶対に笑わないし、ピンチになれば必ず手を差し伸べてくれますよね。そして気付いたら当たり前のように隣で見守っていてくれる。わたしはそういう九条さんに憧れていて、いつか追いつきたいと思ってるんです。だから笑顔で壁を作られたくない。わたしが認めて欲しいのは外面で優しいあなたじゃなく、今のあなただから」
朱里はそこで言葉を切った。
嘘偽りのない本心は言葉にすると思った以上に気恥ずかしかった。心臓が四方に破裂する寸前だ。もう羞恥に耐えきれない!
「って、だから何だよって話ですよね! すみません変なこと言って。バカな部下の戯れ言と思って聞き流して下さい!!」
告白するより緊張した朱里は両手でめいっぱい九条の胸を押し、二人の間に距離を作った。今夜、一生分の勇気を使い果たしたかもしれない。九条を直視できないでいると、頭上からため息が降ってきた。
「あんたほんとに何も分かってないね」
「へ?」
「男を部屋に招き入れてそういう事を言うとどうなるか……教えてやるよ」
九条にぐいっと腕を引かれ、立たされた朱里はやや乱暴にベッドへ放り出された。衝撃で軋むベッドの上で体が軽く弾む。起き上がる隙は与えられなかった。馬乗りになってきた九条に押し倒され、頭上で両手首を縫い止められた朱里は瞬時に肌が粟立つ。朱里の両手首を掴んだ九条の片手は解こうとしても微動だにしない。
上から見下ろす九条は凄絶な色気を纏っている。自分が女だということを思い知らせるような視線に射抜かれ、呼吸ができない。
「九条さ――」
焦り、掠れた声は掻き消された。
九条から重ねられた唇は朱里を性急に追い立てていく。全身に震えが走った。長くしなやかな指で顎を上向かされ、角度を変えて何度も唇を塞がれた。強引でありながら魂が抜けるほど甘く、官能的なキスが思考を麻痺させる。逃げようとする朱里の舌を執拗に絡め取る九条は容赦がなかった。
はじめは緊張で強張っていた朱里の体に力が入らなくなった後、九条はゆっくり起き上がった。自分の上から退いてベッドの端に腰かける九条を呆然と眺めていた朱里は呼吸が乱れていた。鼓膜を打ち鳴らすほど大きく響く鼓動は胸を突き破りそうだ。
「どうしてこんな……」
「お仕置きだ。あんたの無防備な言動や行動が男をどんな気分にさせるか分かったら反省しろ」
きつく釘を刺す九条の態度はもういつもどおりだったが、朱里はキスの合間に漏れた自分のものとは思えない吐息を思い出して両手で顔を覆った。ひとりなら確実に絶叫していた。恥ずかし過ぎて今にも死んでしまいそうだ。
「そういえばあんた、俺が合流してからずっと気遣ってだろ」
「えっ!?」
思いがけないツッコミを受け、しゅうしゅうと頭から湯気の出ていた朱里は指の間を開いて九条を見た。朱里のすっとぼけた反応に、九条は「あれで隠してたつもりか」とでも言いたげな視線を向ける。
「余裕がない時に無理するな。おかげで俺はあんたから目が離せなかった」
「心配されなくてもちゃんと自己管理してる」、叱責されているはずなのに体を捩るほどむず痒いのは九条の言い方が悪いせいだ。朱里は嫌味ったらしく吠えた。
「余計なお節介どうも失礼しました!」
「そこまでは言ってない。気持ちは嬉しかった」
深い意味がなくとも、さらりと告げられた一言に心が浮き立つ。
それでも色々と抗議したい気持ちが湧き上がった。しかしキスの後遺症は甚大でまともに戦闘を吹っかけられる状態ではない。文字通り腰が砕けて起き上がれなかった。涙目で悔しさを噛み締め、せめてもの抵抗で九条を睨み付けたが、逆に、神経を逆撫でするような余裕の笑みを返された。
「なかなか眠れないからって夜更かしするなよ。明日あんたが寝坊しても俺は迎えに来ない。置いてきぼり食らいたくなきゃさっさと寝な」
九条はベッドから腰を上げると、軽い足取りで自分の部屋へ戻って行った。
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