第15話 腹黒王子の意外な一面見ちゃいました
フォローアップ調査の準備を始めて2ヶ月後、朱里は目的地に飛んだ。
乗り継ぎの都合で現地には深夜到着。現地支部の職員がわざわざ自家用車で出迎えることとなり朱里は大いに恐縮した。そのままホテルへ送ってもらい、荷物を整理して早めに就寝。翌日の早朝、近くのスーパーで水や移動中の軽食など最低限のものを買い揃え、ホテル内のレストランで朝食をとった。
調査初日は現地支部職員との打ち合わせに始まり、首都近辺に事務所を構える関係者と意見交換を行った。2日目以降は運転手付きで車両を借り上げ、プロジェクトの視察、ミーティング等で忙殺される。
地方へは片道3時間など移動に時間がかかるため、時折トイレ休憩を挟みつつスケジュールをこなしていった。そうして4日目が終了し、とうとう九条と合流する日がやってきた。
「あ、九条さん! おはようございます」
現地時間の朝7時、ホテルのロビーで待ち合わせていた朱里は同日深夜に到着したばかりの九条に手を振った。乗り継ぎを含め羽田空港からおよそ15時間のフライトを経ているためさすがの九条も疲労が滲んでいる――と思いきや、出張に慣れているのかいつもと変わらない涼しい顔でちょっぴり拍子抜けする。
「おはようございます。調査は順調ですか?」
「はい、現地支部の皆さんの手厚いサポートのおかげで助かってます。お渡しした日程のとおり今日は一日中案件の視察なんで移動が長くなります。もし途中で気分が悪くなったりしたら教えて下さいね」
真面目に気遣う朱里に、九条は息を抜いて笑った。
「まさかあんたに気遣われる日が来るとはね。何企んでんの?」
「失礼なっ! この国は首都以外けっこう道が悪くて運転中酔いやすいんですよ! おまけに対向車すれすれに飛ばされたら、九条さんだって涼しい顔してられませんからね!?」
まったく心配して損した! フンッと顔を背けて仁王立ちになるも、一切余裕を崩さない九条が憎たらしい。しかし経験上、嫌みの応酬は明らかに朱里の分が悪いので早々に切り上げることにした。
「おはようございま~す! あ、そちらが九条さんですか? よろしくお願いします!」
「初めまして九条です。お世話になります」
全日程で調査に同行してくれる現地支部職員が現れた途端、九条が完璧なビジネスモードに切り替わった。二人が簡単に挨拶を交わす様子を眺めながら、九条には体のどこかにスイッチがあって人格が変わるんじゃないかと本気で疑いたくなった。
「それじゃさっそく行きましょう!」
朗らかに先導する現地支部職員の後について車両に乗り込む。後部座席に九条と並んで座るよう促され、渋々従った。それから移動中は朱里が助手席の職員と他愛のない会話に花を咲かせ、九条は話を振られない限り無言で景色を眺める構図が続いた。態度に出さないけれど、やっぱり疲れているのかなと思った。
「あの、ここから次のサイトまでどのくらいかかりますか?」
「ん~2時間弱ですね。お昼には少し早いですがランチを兼ねて休憩しましょうか」
「お願いします!」
「この辺りは飲食店が限られるんですけど、少し先にお勧めの郷土料理店があるのでそこにしましょう」
現地支部職員ににっこり微笑まれ、朱里はほっとした。九条は仮に体調が優れなくても素直に申告するタイプではなさそうなので、スケジュールに差し障りがない範囲でこれまでよりまめに休憩を挟んでもらった。もちろんそれらは全てあくまでも朱里の要望として伝えた。しかしホテルに帰る道すがら、現地支部職員にこっそり耳打ちされた。
「雪村さんって優しいですね」
「へっ?」
「とぼけないで下さいよ。前半はおひとりでキツ~イ予定をこなしておいて、九条さんがいらっしゃる後半は無理のないようスケジュール調整されてるじゃないですか。その上、可能な限りまめに休憩取り始めたのも彼のためですよね? 九条さんご本人はお気付きにならないと思いますが、はじめからご一緒してる私にはバレバレですよ」
含みのある笑顔を向けられてたじたじになった。朱里は九条に聞こえないよう口元に手を当て、囁き声で返事をした。
「べ、別に特別な意図はありませんからね? でも、何から何までこちらの都合に合わせて頂いてすみません。残り2日間もよろしくお願いします」
「もちろんです。……九条さん素敵ですもんね。私、応援してます」
「!? い、いやだからそういうつもりじゃっ」
「さっきから何を内緒話されてるんですか?」
突然九条に突っ込まれて「ひっ」と悲鳴が漏れた。ギギギとロボットのように振り向くと、怪訝そうな九条と視線がかち合う。まさか今の聞かれた!?
「え~っと、さっき食べたカツレツ? みたいな肉料理ボリュームがすごかったなって! 日本帰ったら体重がヤバいかも! あはははは!」
無理矢理作り笑いして自虐に走る。くすくす笑う現地支部職員が恨めしい。九条は明らかに怪しい朱里を疑ったが、「これ以上聞かないでくれ」オーラが強かったため追及しなかった。
そんなこんなであっという間に最終日になり、その夜はホテル近くの旧市街の居酒屋で打ち上げが行われることになった。この時は調査に同行しなかった現地支部職員も数名顔を出してくれたおかげで賑やかな晩餐となった。九条も王子スマイルで卒なく談笑していたが、メインディッシュが片付く頃、スマホを片手に腰を上げた。
「すみません。急ぎで対応しなければならない仕事が入ったので、僕はお先に失礼します。皆さんはごゆっくり」
「えっ九条さんもう帰っちゃうんですか!? 残念~!!」
目がハートマークになっていた現地支部の女性職員がガックリ肩を落とす様を見て、他の男性社員が苦笑する。一連のやり取りを王子スマイルでかわした九条はテーブルに自らの飲食代を多めに置き、皆に丁寧にお礼を告げた後、「あまり遅くなるなよ」と朱里に耳打ちして去って行った。
「九条さんが上司なんていーーーなぁーーー! ねぇ雪村さん、本社の男の人って皆あんなにレベル高いの!?」
「えーとおそらく九条さんは特別製かと……」
九条の姿が消えてから、わいのわいの盛り上がり、酒の力か次第に無礼講になってきた。苦手な女子トークに当たり障りのない相槌を打ちつつ、周囲の男性社員に気を配るという高度なスキルを求められ、キャパ不足の朱里は顔が引き攣っていった。チラっと腕時計を見遣ると午後十時過ぎ。そろそろ引き際だ。
「わたしもそろそろ失礼します」
「荷造りあるんで~」とへこへこしながら席を立ち、現地支部職員達に心からお礼を告げて離脱した。約一週間強にわたる調査は無事に終わり、後は帰国するだけだ。海外出張は初めてではないが、普段と異なる環境で現地の人々と仕事をし、ホテルに帰る生活はやはり通常より心身共に負担が大きい。体力には自信のある朱里もだんだん疲れが出ていた。
浴槽付きのバスルームは一部の高級ホテルでもなければ望めないので、湯船に浸かるのは不可能だが、せめて熱いシャワーを浴びようと決意したその時。偶然にもフロントで九条と鉢合わせた。何やらスタッフと交渉しているようだ。
「どうかしたんですか?」
好奇心からつい声をかけてしまった。朱里に気付いた九条は振り向き、ため息を零した。
「俺の部屋、水しか出なくなったんだ。他に空いた部屋があれば変えてもらおうかと思ったけど満室らしい」
「えっ!!」
それはひどい。水量が乏しいとか水圧が弱いなんて話は海外ではよくあることだが、お湯が出ないとなるとけっこう厳しい。今は十月で、日本と違って最低気温が零度近くまで下がるためとても水でシャワーを浴びる気にはなれない。
「ま、仕方ない。明日帰るだけだしいいか。あんたも早く部屋に戻って寝な」
じゃあお疲れ、とエレベーターに向かう九条の袖を引っ張った朱里は、深く考えずに口を開いていた。
「わたしの部屋来ればいいじゃないですか。シャワーくらい貸しますよ」
一瞬九条が硬直した。おお、珍しいこともあるものだと真顔の九条を見つめる。ややあって九条は朱里の手首をそっと掴んで袖を離させた。
「……あんた警戒心なさすぎ。簡単に男を部屋に入れるとか言うな」
初めて真剣に窘めるような眼差しで射抜かれ、身が竦む。だけど朱里としては今のはまったく下心のない純粋な気遣いだったので、九条に男女関係を持ち出されてむきになった。
「わたしだって誰彼構わず部屋に招いたりしませんよ。九条さんとはまだ数か月の付き合いですがこれでもあなたを信用してるんです。というか、女選び放題の人があえてわたしに手を出すメリットないじゃないですか。ごちゃごちゃ言わずたまには素直に言う事聞いて下さい! 水でシャワーして風邪でも引いて仕事休まれると困るんですよ!!」
一気に捲し立てた朱里は九条を見上げ、「寒い中水浴びて凍えるのがお好きなドMなら聞き流せば!?」と畳みかけた。猛々しい朱里の勢いに圧され、さすがの九条も押し黙る。剣呑な空気を放つ部下は一歩も下がる気配がない。
「普段はすぐ丸め込まれる癖に、こういう時は譲歩しないんだな」
困ったような笑みを浮かべた九条は、これまで見たことのない優しい顔をしていた。気恥ずかしくなり、「お節介で悪かったですね」と悪態を吐く。九条は遠慮なくそれを肯定した後、「分かった。今回はありがたくお言葉に甘えさせてもらう」と告げたので朱里は雷に打たれた気分だった。
九条が素直に従うとか明日は槍の雨……!?
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