第14話 波乱の幕開け

 「……で? 一緒にタクシーで帰ったけど途中で別れて九条さんとは何もなかったと」

 「そのとおりです!!」


 昼休み。「顔貸せや」のジェスチャーで呼び出しを食らい、宇佐美と二人で社員食堂へ来た朱里は必死の形相で弁解した。テーブルを挟んだ向かいで美脚を斜めに組み、目を眇める宇佐美は黒いオーラを纏っていたが、しばらくするとため息を零した。


 「まぁいいですよ。先輩にしてみれば不可抗力ですもんね。ただ、あの後九条さん目当ての女子社員が連れ立って二次会辞退したもんだからさすがに室長が驚いてました。私はそこまで露骨にできないし結局最後まで付き合いましたけど。男ばっかでむさいのなんの」

 「な、なんかごめん……」

 「別に謝ることないじゃないですか。確かに羨ましくて嫉妬しましたけど」

 「いや~羨ましいのは分からなくもないけどうさみんがわたしに嫉妬とか笑い話にもならないよ」


 乾いた笑みで豚生姜焼き定食に箸を伸ばすと、テーブルの下で足を踏まれた。「ぎぇっ!」と色気のない悲鳴が漏れて、周囲から訝しげな視線が集まる。


 「ひっどい! いきなり何すんのよぉ!?」


 小声で強く抗議した朱里を無視し、宇佐美は素知らぬ顔でクリーム系パスタを食べ進めている。釈然としないままあんぐり口を開けて肉を頬張ると、空いていた隣の席に座った三好が堪えきれずに吹き出した。


 「ぶふっ。雪村、相変わらず美味そうに食うな~」

 「みぉふぃ!?」


 三好、と叫んだつもりがおかしな発音になってしまい、ろくに噛まずに肉を飲み込んだせいで激しくむせた。宇佐美が機転を利かせて水を差し出し、三好は背中を軽く叩いてくれた。


 「っぷはぁ! もうっ喉に詰まらせて死ぬかと思った!」

 「えっ俺のせい!?」


 いきなり罪を着せられた三好は慄いたが、呆れ顔で左右に首を振る宇佐美とアイコンタクトして落ち着いた。息を整えた朱里は気を取り直して三好を睨む。


 「他にも空いてる席あるでしょーになんでわざわざここに座るのよ」

 「冷たいなぁ~同期なんだしもうちょい仲良くしてよ~」

 「するかっ!!」


 喚く朱里にポカポカ殴られて満更でもなさそうな三好。そこはかとないラブコメ臭に苛立ちを感じ、宇佐美はヒートアップする朱里の頭上に手刀をかました。


 「ほぶぅ!?」

 「痴話喧嘩はそこまで! 三好さんも珍獣の神経逆撫でるのはほどほどにして下さいよ。同席してる私の品性が疑われるので困ります」

 「おぉ~さすがプロの珍獣使いはお手並みが鮮やかで」

 「ちょ、ふ、二人ともなんで……!」


 妙な結束感を見せつけられて涙目になった。頭をさすった朱里は恨めしげに宇佐美を見遣り、残った定食を掻っ込んだ。


 「色気の欠片もないですね」


 危うく吹き出しかけ、手で口を覆った。もう振り向かずとも声で誰か判別できる。朱里の隣(三好とは反対側の空いた席)に座った九条は小バカにするような眼差しで薄く笑った。


 「九条さん! お疲れ様です。これからランチですか?」


 絵に描いたようなアイドルスマイルを炸裂させた宇佐美は恐ろしく変わり身が早い。宇佐美に視線を移した九条は頷いた。


 「午前の会議が長引いたので」

 「そうだったんですか。九条さんが社食なんてちょっと意外です。いつもお洒落な高級レストランで召し上がってるイメージなので」

 「買い被りですよ。ビジネスランチの時以外は割と社食です」

 「へ~なんか急に親近感湧いてきました~! よかったら今度ご一緒して下さい!」


 積極的にアプローチする宇佐美と、それを鮮やかにかわす九条の図はなかなかに面白い。が、九条の宇佐美に対する態度が癪に障った。なんだその無駄に神々しい王子スマイルは! 扱いの差に憤然としていると、三好に腕を突かれる。


 「何よ!」

 「まぁまぁ落ち着いて。今朝室長に出張の件で呼び出されてたろ。あれ、いつでも相談乗るから気軽に声掛けてよ」

 「あ、見てたんだ」


 仕事モードに頭が切り替わった朱里はしゅるしゅる怒りが鎮火した。


 「ありがとう。午後、わたしから話そうと思ってたから手間が省けた。過去の調査報告書を下調べして計画を立てたいから、ファイルの保管場所教えて?」

 「もちろん! 後でメールする。一緒に頑張ろうな」

 「うん!」


 男同士が友情を確かめ合うように朱里は三好と拳を合わせた。その後、朱里を間に挟んだまま前のめりになった三好が九条に声を掛ける。


 「そうだ、九条さんも雪村と出張するんですよね」

 「はい。ですが調査に関しては基本的に雪村さんにお任せします。主担当は彼女で今回僕はフォローに徹するのが役目ですから」

 「おぉ~雪村、責任重大だな! でも大丈夫。ポイントは俺がしっかり叩き込む! ロジは宇佐美さんがいるから完璧だ!」


 妙にハイテンションな三好とお手本のような箸使いで日替わり定食を食べ進める九条に両側から挟まれて唇が引き攣った。一部始終をじーっと観察していた宇佐美が何気なく口を開く。


 「言われるまでもなくロジはサポートさせて頂きますけど、九条さんは長期間出張して大丈夫なんですか? 部内共有のスケジューラーを見る限り、普段からけっこうな過密スケジュールですよね」

 「お気遣いありがとうございます。確かに長期は難しいので、後半から数日だけ合流するつもりです」

 「えっ九条さん前半いないんですか!?」


 思わず嬉しそうに横槍を入れた朱里は本音が漏れてハッとした。室長から九条が同行すると聞かされた時は、仕事とはいえ二人きりの状況に精神摩耗するのが目に見えていたからだ。だからといって今の反応はかなり失礼だった。恐る恐る九条の顔色を伺う。あら、意外と涼しい顔をしていらっしゃる?


 「なるほど、雪村さんは僕の補佐が不要でしたか。昨夜二人きりの時は『木山くんの指導に関してアドバイスが欲しい』と、それはもう熱心に求められたのに残念です」

 「ギャーーーーーー!?」


 何をしれっと暴露してんだ腹黒大魔王!!


 「へーぇ。それはもう『熱心に』『求めた』?」

 「違う! ニュアンスが全然違うから!」

 「雪村……お前やっぱり送られ狼だったんだな」


 宇佐美が黒いオーラを再発するわ、三好に涙ぐまれるわで散々な目に遭わされた。事の元凶たる九条は悪気のない顔だが完全にわたしをおちょくっている!


 「ちょっと黙ってないで説明してよ!」

 「せんぱぁーい、上司に対してその態度はないんじゃないですかぁ~?」

 「ぐっ!」


 宇佐美の冷静なツッコミに思わずたじろぐ。しかしよく見ると宇佐美も三好もニヤニヤしている。はっ! これは三人に遊ばれた!?


 「抜け駆けした罰として今度なんか奢って下さいね」

 「あ、俺も俺も! 出張のコンサル料ってことで」

 「僕はけっこうですよ。仕事で返して頂くつもりなので」


 最後にさらっと付け足された九条の台詞が一番怖い。反駁の機会を逸した朱里はわなわな震え、ガクリとその場に項垂れた。

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