第12話 鈍感力は長生きの秘訣?



「おふぅ……」


 深く、長ーいため息と共に鞄を握りしめ、朱里は会社の前で背中を丸めた。昨晩の酔いが残っているわけではない。ただ、とにかく気分が最悪だった。まず、魔王のふざけた色仕掛けのせいで免疫の低い朱里はなかなか寝付けなかったし、何より、二人で抜けた一件で女子社員の反感を買ったのは明白だ。あ。やばい胃がキリキリする……! 


 腕時計を見ると9時5分前。うーん始業ギリギリ。いい加減腹を括って出勤しなくては!


 「おはよー雪村! ぼっとしてどしたー?」


 後ろから背中をバシッと叩かれ、二、三歩前につんのめった。恨みがましく振り向くと、三好が無駄に爽やかな笑顔を浮かべている。見たくない顔No.3(1位は九条、2位木山)を前に朱里は露骨に顔をしかめたが、本人は気にする素振りもなくケロリとしている。油断した結果、おもむろに手首を掴まれて慌てた。


 「ちょ、いきなり何!?」

 「ぐずぐずしてるから強制連行。ほら、早くしないと遅刻しちゃうよ~?」

 「分ーーーかった! 行く! 行くから離して!」


 正確には「触るんじゃぬぁぁぁい!」と叫びたいところを堪えてオフィスビルに踏み込んだ。結局、手を離しても当然のように肩を並べてきた三好は、エレベーターを待つ間も他愛のない話を振り続けてきた。


 (飲み会翌朝なのになんでこんな元気なわけ? あんなに飲んでベロベロだったくせに底なし体力か!? 迷惑そうな相手にニコニコ話しかけまくるとか、そのタフさと鈍感力を分けてくれ……)


 ようやくエレベーターがきて、先に並んでいた人達がぞろぞろ乗っていく。タイミング悪く他は他階で停止しており、1つのエレベーターに人が集中してしまった。混雑していたので最後に乗り込もうとした朱里は重量オーバーを恐れ踏みとどまる。


 「乗らないの?」


 不思議そうな三好。察しろバカ! と内心悪態をつく。


 「次のに乗るんでお先にどーぞ」

 「えぇ? 大丈夫乗れるって」


 強引にエレベーターに引き込まれ、朱里はフリーズした。イ――――ヤ――――! みんなの前で大恥かく~! 来たるべく瞬間に固く瞼を閉じたが、奇跡的に重量オーバーのブザーは鳴らなかった。静かに扉が閉まり上昇していく。


 「ね。言ったとおりっしょ?」


 耳元で囁き、屈託なく笑う三好に文句を言いたくて堪らなかったが、混んだエレベーターの中で言い争う気は起きず、朱里は唇を尖らせる程度に抑えた。こいつは男じゃない。駄犬・駄犬・駄犬……。超失礼なことを考えているうちに目的の階に着いた。


 「雪村さ、香水つけてたっけ?」

 「つけてないよ」


 降りる時に指摘され、「まさか臭い!?」とビビり反射的にくんくん腕のにおいを嗅いでしまった。意図せず三好の笑いを誘ってしまい、後悔する。くそぅ罠か! くっくっと喉で笑いながらおかしそうに歩く三好にむかっ腹が立った。おのれ三好~、人をからかいおって!


 「ごめんごめん。機嫌直してよ」

 「怒ってません!」


 フイと顔を背け、朱里はむくれた。本当は食ってかかりたいところだが、こういうタイプの輩は高度なカウンタースキルを身につけている。なるべく突っ込む隙を与えないのが得策と判断し、無我の境地を開いた朱里の肩に、三好は顔を寄せた。


 「んーやっぱ九条さんと同じ匂いする」

 「ブフォ!!」


 吹いてしまった。ここは会社で、朝の通路は人が多い。少しは口を慎めぇー!


 「な、な、な……!」

 「うっそ~。雪村顔真っ赤。動揺しすぎ」


 ははっと笑い飛ばす三好にどす黒い感情が芽生え、朱里は低く唸った。


 「殴られたくなければ黙って。誰が聞いてるか分からないでしょ!」

 「へーへー分かってますって。でも、よかった」

 「何が!!」

 「その様子だと何もなかったんだなーと思って」


 予想外のオチに瞼をパチパチさせた。朱里の要領を得ない顔を見て、三好は不服そうに頬を掻く。


 「だって昨日いいとこで九条さんに掻っ攫われたからさー。あのまま二人で親睦深めちゃってたらどーしようかと思ってた」

 「え……」

 「もう少し言うと、先に雪村を見つけたのは俺なのにって。……ちょっと妬けた」


 普段の軽い調子はなりを潜め、甘やかな視線を寄越す三好に硬直する。え。なにそれまるで三好が私を(以下自主規制)。いやいや落ち着け乙女思考! ほらあれだ。特にお気に入りでもないけど自分のおもちゃを他人に取られて機嫌悪くするお子様的な発想だよ。そうに決まってる。


 「別に三好が心配することじゃないし。そもそも私、干物だし」


 お生憎様、色っぽい展開は米粒ほどもございませんよっと肩を竦めてみせた。じっと朱里の様子を窺っていた三好が「ほんと?」と念押しするので、うっかり魔王モードの九条を思い出しやや狼狽える。


 「ほんとだってば! 見て分かんない? お肌はカサカサだし目の下常時クマ飼ってるし! わたしの! どこにロマンス要素があるってのよっ」


 鼻息荒く言い切ってガックリきた。朝から干物宣言は悲しすぎる。項垂れる朱里に、三好は意味深な微笑みを向けた。


 「それ、無意識に予防線張ってるつもりかもしれないけど俺には通用しないよ」

 「? それ、どういう――」

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