第11話 隣で見てるから

 「木山くんの件、フォローして下さってありがとうございました」


 気恥ずかしさから、小さな声でぽつりと零した。素直に感謝されると思っていなかった九条は一拍置いて口角を上げた。


 「ま、あんた頑張ってるし。俺の立場上どちらかに肩入れできないけどあのくらいはね」

 「いえ、十分です」


 きっぱり答えた朱里は九条に向き直り、初めて笑顔を向けた。感謝のこもった心からの笑顔だった。僅かに瞳を見開いた九条に、朱里は続けた。


 「彼の態度にはわたしにも原因があります。問題を起こすことを避けるあまり、彼の代わりに先回りする癖がついてしまったんです。だから木山くんは自分の仕事だっていう意識が薄いんだと思います」


 きっかけは木山が配属されて間もなく首席に怒鳴られ、仕事を休んだことだ。この件はすぐに室内で有名になった。だけどその後、朱里が個人的に首席に呼ばれてネチネチ苦言を呈されたことを木山は知らない。お説教以来、何かと木山の世話を焼いてきた朱里だったが、最近はやり方が間違っていたと反省している。


 宇佐美の言うとおり木山が挫折に慣れていないとしても、これから社の一員として仕事をしていく以上、いつまでもおんぶにだっこ状態では埒があかない。未来永劫、朱里が先輩として庇っていけるわけではないのだ。研修を終えた木山はいずれ他の部署に異動となり、これまでの倍以上の仕事が重い責任と共に降りかかってくる。いくら生意気な後輩とはいえ、彼を潰してしまうのは本意ではない。


 朱里は冷静さを取戻し、すぅっと息を吸い込んだ。


 「是枝さんは厳しかったけど、わたしを信じて仕事を任せてくれました。はじめはミスが多かったし、たくさん迷惑をかけましたが、冷たい態度を取られたことは一度もなかったんです。だからわたしは怖がらずに色々チャレンジすることができました。本当に彼がわたしの教育係でよかったと感謝しています。その点、経験の浅いわたしが教育係で木山くんには少し気の毒に思っています。だって指導するわたし自身、めちゃめちゃ発展途上ですから」


 はは、と笑って頬を掻いた朱里は一転、真面目な顔つきで九条を見据えた。


 「そこでお願いがあります。今後彼の指導で迷った時はアドバイスを頂けませんか? 九条さんはうちの部に配属されたばかりですけど人望がありますし、頼りに……なるので」


 緊張でいつのまにかてのひらが汗ばんでいた。一瞬茶化されるかと冷や冷やしたが、朱里の真剣さが伝わったのか、九条は誠実な面持ちで頷いた。


 「了解。ま、あんたなら試行錯誤しても突破口見つけられるんじゃない。隣で見てるから思う存分やってみな」


 ぽんと頭の上に手が乗ってびっくりした。九条の大きなてのひらが頭を撫でる。その手つきが優しくて、不覚にも涙腺が緩む。


 「ずるいです。あなたに敵う気がしません。ひじょーーーに不本意ですけど」

 「そう? 俺もあんたに勝てる気がしない」

 「へっ」

 「それ。そのアホ面」

 「んなっ! バカにしてぇーーー!」


 勢いづいてポカポカ叩く朱里の手を、九条は容易く捕らえた。思いがけず近い距離に胸が鳴る。ガチガチに体を強張らせた朱里に、九条は艶然と微笑んだ。形の良い唇が蠱惑的に囁く。


 「なに固くなってんの? 『自分は女だと思われてない』んじゃなかった?」

 「じ、実際そうでしょ!?」

 「……分かってないね。教えてあげようか? あんたがどんなに――……」


 誘うような声色に肌が粟立つ。身が竦むほどの色気を纏った彼に抵抗する間もなく引き寄せられ、顔が近付く。唇に吐息のかかる距離で、ほんの少し前に傾けばキスをしてしまいそうだ。心臓が口から飛び出そうになり、朱里は怖くなって瞼を閉じた。だけど――


 「ぶ!?」


 鼻をつままれたのだと気付いた時には遅かった。九条はたまらず吹き出し、腹を抱えた。車内に大きな笑い声が響く。おのれ、またも乙女の純情を弄んだな!? からかわれたと悟った朱里は憤然と拳を振り上げた。


 「くじょーーさぁーーん?」

 「ははっ! ほんといい反応」

 「二度もセクハラすんな前科者!」

 「一度目は配属前だからノーカンだ。今回は未遂だし」

 「んな!」    

 「残念だった? 続きをご所望なら、」


 九条の親指に唇をなぞられ、朱里は海老反りになって距離を取った。後部座席のドアに張り付いた朱里はどう見ても挙動不審だ。が、真の危険人物は間違いなく目の前のこの男――余裕の笑みで足を組んでいる小憎たらしい腹黒大魔王だ!


 「お客さん、着きましたよ」

 「ああ、ありがとうございます。ほら着いたぞ降りろ」

 「九条さんは降りないんですか?」

 「俺をお持ち帰りしたいわけ」

 「何をバカな!!」


 朱里は大慌てで否定し、タクシーを降りた。「気をつけて帰れよ」と冷静な声がして驚く。礼を告げる間もなくタクシーはとっとと発進してしまった。コンビニで会ったし、同じ方向と言ったということは近所に住んでいるのだろう。一人になった途端、どっと疲れが噴き出した。


 これ普通に二次会参加した方が気が楽だったんじゃない? 三好より九条の方がずーーーっと性質が悪い! 頭痛がして両手でこめかみを揉んだ。耳に残る九条の声が、手に触れた温もりがどうしようもなく朱里を落ち着かなくさせたが――その理由は考えずに自宅へ向かった。


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