第10話 魔王に救われました

 「だめですよ雪村さん。酔ってるからって羽目を外し過ぎです」


 朱里の肩を抱き寄せた九条と――九条の胸で赤くなったり青くなったりしている朱里を――衝撃を隠せない三好が交互に見遣った。気付けば三好だけでなく、近くにいた同僚達の注目も浴びてしまったわけだが、九条だけは涼しい顔をしている。


 「ああ、驚かせてすみません。先ほど彼女と飲み比べして、思いがけず無理をさせてしまったので送っていくと約束したんですよ。偶然同じ方向ですし。ね?」

 「へぁ?」


 話を振られ、間抜けな声を漏らしたアホ面の朱里は、九条の眼光が鋭くなったことに気付き生唾を飲んだ。えーーーと、酔ってるのはわたしじゃなく三好だし、そもそも大して飲まされてないし、そんな約束知らんがな! とツッコミたいのをこらえ、シュバッと敬礼ポーズを取る。


 「は、はい! 九条様のおっしゃるとおりでございますぅ!」

 「ということなので僕らはここで失礼します。みなさん、お疲れさまでした」


 有無を言わさぬオーラを放ちつつ、爽やかに去るという高度なテクニックを披露した九条に開いた口が塞がらない。一瞬、このまま戦線離脱できるかという甘い考えが頭をよぎったが、朱里の肩を抱いたまま駅の方へ歩き出した九条に挑む鉄板メンタルの女子がいた。――宇佐美である!


 「待って下さい! せっかく九条さんの歓迎会なのに、二次会参加されないんですか?」


 軽く駆けて来た宇佐美はアルコールのせいか頬が上気していた。少し折った膝に両手をつけ、上目遣いに見上げる図はかなり扇情的だ。こういう時、男子でもないのについ胸に目がいってしまう自分はオッサンだろうかと朱里は呻いた。


 やむなく足を止めた九条は、チラと宇佐美に視線を移した。おぉ、我が社の誇る正統派アイドルうさみんの引き留め攻撃にさすがの王子も陥落するか? なーんて他人事のように観察していた結果、思わぬ爆弾が投下された。


 「せっかくですが遠慮しておきます。僕が、雪村さんを1人で帰すのは心配なので」


 フオォォォ!! キラッキラ輝く笑顔で何をのたまうんだ王子~~~!! 「僕が」にアクセントを置かれ朱里は蒼白になる。『この裏切り者!』 と責めるような宇佐美の視線がブスブス突き刺さって痛いっ! せめて王子の手を振り払おうと身じろぐも、無駄だった。これが男女の筋力差か!


 「どうしても……ダメですか?」

 「みなさんとはまたの機会にご一緒させて頂きたいと思います。宇佐美さんもお帰りの際は気を付けて下さいね。何か上に羽織った方がいいですよ」

 「……!」 

 「それでは」


 言外にお色気攻撃に釘を刺された宇佐美は、暗がりでも分かるくらい顔を赤らめて俯く。たぶん、狙った男にこんな反応をされるのは初めてだろう。いつもなら華麗にカウンターをかます宇佐美だったが、この時ばかりは恥ずかしそうに唇を噛んでいた。


 (ああっうさみん落ち込まないでくれ!)


 朱里はすぐさま宇佐美をフォローしたい衝動に駆られたが、九条に引きずるように連行されては歯が立たなかった。



 *



 同僚と別れて数分後。

 肩を解放された朱里はすかさず横っ飛びして一定の距離を確保した。


 「あんな言い方しなくたってよかったじゃないですか!」

 「なんであんたが怒るの」

 「うさみんは可愛い後輩なんですよ! 自信喪失したらどうするんですか!」

 「そう? 彼女はあの程度でへこたれるように見えないけど」


 悪びれず、さらりと言い放った九条に朱里は頬を膨らませた。


 夜の新宿はガラリと表情を変える。派手な照明の居酒屋が軒を連ねるちょっと怪しい雰囲気の道を足早に抜け、駅とは反対方向の角を曲がっていく九条を追いかけた。


 「どこ行くんですか? 駅はそっちじゃないですよ!」

 「こっちでいいんだよ。あんたも来い」


 ぞんざいに手招きされ、さっきまでの態度と大違いやんけ! と内心罵ったのは秘密。渋々九条に従うと、大通りに着いた九条は片手をあげてタクシーを止めた。そしてするりと後部座席に乗り込む。ドアはまだ閉まらない。


 (えーと、この展開は一体……?)


 ポカンとしながら朱里が中を覗き込むと、「遅い」とご機嫌斜めな九条が腕組みしていた。んん?? なんかおかしくない?


 「あのーーーーぉ、もしやタクシーでお帰りですか?」

 「満員電車が好きなら回れ右して駅に行け」

 「いやっ乗ります! 乗せて下さいぃ!」


 ヒッと悲鳴をあげて九条の隣に滑り込んだ朱里は、ドアが閉まるのを確認してシートベルトを引っ張った。


 「あんたの家、あのコンビニの近くだよな?」と訊かれたので「はぃ」と小さく頷く。九条が運転手に行先を告げると沈黙が訪れた。空気が重い……!


 勢いでタクシーに乗り込んだ朱里は後悔した。新宿から自宅付近のコンビニまで乗車すると、軽く5千円は飛ぶ。過去に宇佐美と飲みすぎて終電を逃し、タクシーで帰宅したことを思い出して一気に酔いが醒めた。こっそり財布の中身を確認しようと鞄を開くと、九条に制止される。


 「ここは俺が払うから」

 「えぇ!?」

 「『なんで思考が読めるか』って? 顔に書いてるし。あんたほんっと分かりやすいね」


 くっと喉で嗤った九条は魔王モードに切り替わり、意地悪な笑みを向けた。露骨にバカにされて腸はらわたが煮えくり返ったが、キス強奪魔とはいえ世話になるのだここは堪えよう。


 「すみません。明日耳をそろえてお返しします」

 「別にいいよ。面白いもん見せてもらったし」

 「は?」

 「鼻の穴広げてマジ切れ寸前のあんたの顔、かなりド迫力だった」

 「!!」

 「と思ったら絡まれて白目むいてたし。あれでしばらく笑えそう」

 「な、な、な……!」


 わなわな震える朱里を横目に九条は可笑しそうに瞳を細めた。


 「あんたいかにもチョロそうだから押したらいけると思われるんだよ」

 「失敬な! 断じてチョロくないし!」

 「そ? 三好に言い寄られて満更でもない顔してたけど。あのままお持ち帰りされたかったなら余計なお世話だったかな」

 「あ、あれは悪ノリした三好にちょっとからかわれただけです! わたしみたいな干物、本気で相手にするわけないじゃないですか! 女だと思われてませんよ絶対!」


 ゼェゼェ喚き、タクシーの中だと思い出してハッとした。運転手は慣れているのか無言だが、うるさい客なんて迷惑以外の何でもない。しゅんと項垂れてバックを胸に抱き寄せ、口を噤んだ。九条の存在が不愉快で、視界に入らぬよう窓の外に視線を移した。


 タクシーの車内はそこはかとなく煙草臭い。朱里は固い座席に背中を預けて両足を伸ばした。車窓からの景色をぼんやり眺めていると、九条の横顔がはっきりと窓に映って不意を突かれる。会社で見せる『王子』の顔とはまったく違う、寛いだ表情。隙がなく有能で完璧な上司――それが今は――わがままでとことん意地悪な『腹黒大魔王』。だけどどうしてか、皆が憧れる外面よりも、飾らない九条の方が親しみを覚えた。……もちろん口が裂けても言わないが。



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