第9話 王子、ご降臨
「ええ、くじ引きだそうですよ。三好さんはもう引かれましたか?」
「いや、まだです。えーと、今回の幹事庶務班ですよね。もらってきます」
「あ、じゃわたしも――」
九条と二人きりはパス! さっさと席を立とうとした朱里だったが、肩に手を置いた九条に押し留められた。
「雪村さんはそのままですよ。二度も同じ席に当たるなんて珍しいですね」
「はい??」
「さっき宇佐美さんが貴女の代わりにくじを引いたんです。ここ、一番奥まった席ですし、取りに来にくいだろうからって。よかったですね? 移動がなくて楽で」
「うそっ!!」
「嘘じゃありませんよ。ほら」
つい、と視線を上げるよう促した九条に従うと、離れたテーブルで手を振る宇佐美&嫉妬オーラを醸し出す庶務班女子数名が視界に入る。いーーーやーーーー! みんな睨まないでぇこれは不可抗力! むしろ飲み会まで王子の隣なんて拷問すぎるー!
「俺もあんたが隣なら楽で助かるわ」
「!!」
ボソッと呟いた九条は一瞬、意地悪な視線を寄越してネクタイを緩めた。口をパクパクする朱里を鼻で嗤い、隣の席に腰を下ろす。
「バカみたいな顔してるとバカになるよ。ああ、もうバカなんだっけ」
「あ、あんたねぇ!?」
思わず声を荒げたその時、嬉しくない顔がもう一人現れた。木山だ。声を潜めていた九条の暴言は聞こえなかったらしく、朱里の態度だけを見て怪訝そうに眉をひそめている。仕方なく振り上げた拳を下ろし、朱里は視線を逸らした。
「九条さんと相席できるなんて光栄です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。研修生のうちに海外事業部に配属されるなんて、木山くんは優秀なんでしょうね。僕も一度ゆっくり話してみたいと思ってたんですよ」
「そんな……恐縮です」
ぽっと頬を赤らめる木山に朱里は目を剥いた。んん? 誰コレ何キャラ? わたしの時と態度大違いなんですけどー!? 内心ツッコミまくりの朱里を無視して、木山は聞いて恥ずかしくなるおべんちゃらトークを炸裂させた。九条はひたすら聞き手に回ってる。
(おふ、これはこれでなかなかに疲れる精神修行だ)
馬に念仏スタイルで聞き流していた朱里が空の皿を片付け始めると、木山は真面目な表情で九条を見据えた。
「もう少し早く九条さんが配属されたらよかったのに。そしたら直接ご指導頂ける機会があったかもしれないと思うと残念です」
ぴたりと朱里の動きが止まる。えーーーとそれはつまり九条に教育係をして欲しかったという意味か? さすがにムカついて木山を睨んだ。木山は朱里を見ないようにしている。
(恩着せがましいのは嫌いだからいちいち数えてないけど何回わたしがあんたの尻拭いしたか知ってる? そんで一度でもあんたお礼言ったことあったけ? しかもそれ今、九条の前で言う? 一応上司なんだよ。「雪村さんじゃ頼りになりません」って言ってるのと同じじゃん!)
プチ、と頭の血管が切れる音がした。静かな震えが背筋に走って心臓が早鐘を打つ。朱里はテーブルの下で爪が食い込むほど拳を握りしめていた。――もう我慢できない!
反論しようとして、ひときわ大きく心臓が跳ねた。ひどく驚いた。震える拳を包み込んだ大きなてのひらとその温もりに。
九条は何食わぬ顔でテーブル下の朱里の手を握っていた。周囲から気取られないよう自然な態度は崩していない。朱里は訳が分からず九条を見つめたが、彼は視線を寄越さなかった。代わりに、ふっと緩やかな笑みを湛えて、朱里の手を包み込む指に力を込める。まるで大丈夫だと伝えるみたいに……。
「僕が木山くんなら幸運だと喜びますね」
木山の発言で険悪になった空気を和らげる、穏やかな声。彼は思わず聞き入ってしまうような心地よい声質を持っている。木山は九条の言わんとすることが理解できなかったらしく、目を丸くした。同じく話の着地点が見えない朱里は瞬きを忘れて九条に見入った。
「是枝さんから彼女のカウンターパートの人はよく挨拶に来ると伺いました。課長、首席レベルならまだしもわざわざ一担当レベルのために足を運ぶ。なぜだと思いますか」
「さ、さぁ」
「彼女が相手と信頼関係を築けてるからですよ。普段の仕事が丁寧で、相手が世話になっていると感謝しているからでしょう。そういう人からは学べることが多いんですよ。僕ならできるだけ吸収しようと注意を払いますね」
けして怒鳴るわけじゃなく、静かに笑みを浮かべた九条だったが、木山がさっと羞恥に染まるのを見て朱里は瞳を見開いた。室長が自分を新人教育係に選んだのには理由がある――挫けそうな時はそうやって自分に言い聞かせて気持ちを奮い立たせてきた。それを九条はさらりと言ってのけたのだ。それも、一番欲しいタイミングで。
こういう時、正論かまして諭すのは簡単だ。だけど客観的な事実を交えて朱里を評価し、学ぶべきところがあると九条自身が考えていてくれたことが――なかなか褒めてくれない是枝がちゃんと自分のことを見ていてくれて、九条に話してくれていたことが――何よりも傷付いた心を癒やしてくれた。
強張っていた肩の力が抜け、九条の手はそれを見計らったように離れて行った。手の甲に残った九条の温もりを包み込むように、無意識に自分のてのひらで覆い、朱里は瞼を閉じた。
*
「お疲れ様でーす!」
「お疲れ~」
結局、何を話したのか記憶が曖昧なまま歓迎会は終わった。はぁ、めっちゃ疲れた……。あれだけ微妙な空気の中でしれっとした態度を貫く&あっちゅーまに和やかな雰囲気に持ってった九条は改めて大物だと思う。
「雪村ー、お前も二次会参加するだろ?」
「! 三好」
店を出てやっと解放されたかと背伸びした朱里だったが、明るく肩に腕を回されギョッとした。や、確かに人懐っこいけどこんな悪酔いするキャラだったっけ?
「いや、もう疲れ……じゃなくて明日も早いからそろそろ帰ろうかと」
「お前いっつもそう言って帰るじゃんー。たまには付き合えよなー」
口を尖らせて絡んでくる三好、重! 体重かけんなバカー! よろけながら押し返そうとした朱里は、いきなり肩が軽くなって驚いた。三好からベリッと引き剥がしてくれた人物に呼吸を忘れた。
「く、九条さん!?」
ポケッとする三好の前で肩を抱き寄せられ、絶句する。九条の視線が冷たい気がしなくもないが、完璧なポーカーフェイスで何を考えてるのかさっぱり分からない。慌てて逃げようとするも肩を掴む手はびくともしない。ぬぉぉ大して力を入れられてないはずなのに振り解けないのはなぜだー!
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