第8話 激戦区はスルーします
大人の事情というやつは時に非常に厄介だ。たとえば歓迎してない奴の歓迎会に参加する羽目になったりする。
朱里はなみなみビールの注がれたグラスを手に深く息を吐いた。本当なら今頃家でテレビ見てまったりしてるのに、何が楽しくて腹黒エセ王子の顔をつまみに酒宴なんぞせにゃならんのだ。
豪快に盛られた枝豆を鼻息荒くつまんで、プチプチッと口に放り込んだ。ん、うまい。参加費は一人4000円。せめて元を取らねば!
色気なく枝豆を頬張る朱里の横から呆れた声がした。
「雪村さー、さっきから食べてばっか。こんなとこで腐ってていーわけ? みんな何かと口実つけて九条さんに話し掛けてるけど」
「いーのいーの。九条王子は人気者ですからね。見ての通り激戦区ですよ。わたしはこっちで平和にちびちびやりたいんです」
「おお、安定の枯れ具合だな」
「うっさいわ!」
ゴン、とグラスをテーブルに置いた朱里は隣の男を睨み付けた。悪びれる様子もなく笑っているのは、宇佐美一押しの同期・
苛立つ朱里を無視し、上機嫌でサラダを食べていた三好はふと箸を置き、頬杖をついた。
「にしても是枝さんの後任が九条さんとはね~。あの歳で班長ってかなり早いよな。一緒に仕事してみてどうなの? やっぱ頼りになる?」
「それは……まぁそれなりに」
「なんだよそれハッキリしないなぁ」
「頼りにならなくはない!」
「ぶは。素直じゃねーの!」
くっくっと喉で笑われ朱里はムッとした。だって素直に認めるのは悔しい。2個しか歳変わらないのにもう班長? でも班長って呼んだら「さん付けでかまいませんよ」って言われたから普通に名前で呼んでるけど考えるまでもなく九条は先輩で上司なんだよなぁ。
「頭の回転早い人って1言えば10分かってくれて助かるよな。10言ってやっとこさ1分かってくれる上司より100倍いいじゃん」
「……うん」
ぐいっとビールを煽った三好につられて頷いた。
それは朱里も同感だ。論理的に筋道立てて考えられるのはもちろん、着眼点が鋭く、あらゆるリスクを想定して動ける九条に驚かされたのは一度や二度ではない。ニューヨーク支部勤務の経験があるとはいえ必ずしも現場に精通しているわけじゃないだろうに、一体どこで吸収してくるのか不思議なくらい造詣が深い。仕事だと割り切れば、彼が隣にいる安心感は絶大だ。たった数日のことで「この人がいればどうにかなる」と周囲に思わせるあの男はやはり只者じゃない。
無意識に九条を見つめた朱里に三好はニヤつく。
「興味ないって言いながら熱く見つめちゃって。ほんとは気になってんじゃないの~?」
「は!? んなわけないじゃん!」
あの激戦区で予言どおり隣をキープしてるうさみんに感心しただけ! とは言えず、三好に負けじとサラダを掻き込んだ。「おお、いい食いっぷり!」とからかわれたがスルーだスルー。参加費分の食事は腹に溜めて帰ると決めてるんだからっ。色気より食い気に走る朱里だったが、突然、三好は爆弾を落とした。
「雪村さぁ、せっかくあんないい男が身近にいるんだし冗談抜きでチャレンジしてみたら?」
「ブッ! ゴホゴホ!」
盛大にむせた朱里の背中をポンポン叩き、三好は水を差しだした。無言でそれを受け取って飲み干し、口を拭った。
「あのね、おかしなこと言わないでくれる!?」
「別におかしなこと言ってないだろー? 俺さ、前も言ったけど雪村はちゃんとすればそれなりに見栄えすると思うんだよね。宝の持ち腐れっていうの? 勿体ないじゃん」
「あっそ。じゃーダイヤの原石ってことで三好が引き取って下さいよ」
「お、そうくる?」
朱里はこの手の冗談が嫌いだ。だから普段こういう返しはしないのだが、この日は気分がやさぐれていた。良い意味で衝撃を受けた三好は人懐っこい笑みを浮かべて肩を寄せてくる。ちょ、近い近ーい! 三好の頬を手のひらで押し返すも、逆に「慌てない~」と手首を掴まれてしまった。意外と強い力にドキッとする。くっ! ワンコ系男子のくせに急に男を見せるでない!
「わ、わたしは一生干物でいいの! 三好こそモテるんだからこんなとこにいないであっちに混ざったら?」
「俺は雪村と一緒がいーからいーの。俺が隣だとヤダ?」
上目遣いに覗き込まれて、危うく吹きかけた。こいつ酔ってるのか……!? それとも干物もイケるストライクゾーンの広さ!?
テンパる朱里をニコニコ見守る三好。さり気なく掴まれた手をそのまま三好の胸に引き寄せられ、赤面指数が跳ね上がった。ちょ、三好~~~~悪ノリしすぎだっつーの!
「楽しそうですね」
ふっと頭上から声がして固まった。硬直する朱里と対照的に、ごく自然に距離を取った三好は笑顔で振り向き、「九条さん。あれ、もう席替えの時間ですか?」と尋ねた。
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