第4話 それでもやっぱり負けたくない

 職場のオアシス女子トイレ。何かあってどうしても1人になりたい時は個室にしばらく籠る。理不尽な目に遭って悔し泣きをしたことも数回。人前で泣くようなみっともない真似はできないから、ここはちょうどいい避難所だ。執務に戻っても「目が赤いですね何かあったんですか?」なんてデリカシーのない詮索をしてくる輩がいないのも幸い。



 (九条さんはやっぱりすごいな……)



 認めがたい本音を心の中で呟いた。まだ九条が配属されて数日だが、その仕事ぶりには目を瞠るものがあった。とにかく処理能力がめちゃめちゃ高い! 次々回ってくる書類の決裁、組織内外からの照会対応、上司へのほうれんそう、部下への指示。どれを取っても無駄がなくて確実・丁寧なのだ。頭の回転が速く話術に長けているのは少し話せばすぐに分かった。たとえ相手が感情的になっても自分のペースを乱すことなく理路凄然と論破していく様は爽快なほど。室長がラブコールしたのも大いに頷ける。九条がいるだけで室内にいい緊張感が生まれていた。


 (それに比べてわたしは……。いつも自分のことで精一杯で周りに気を配る余裕がないなんて、言い訳だよね……)


 入社2年目にしてまさかの海外事業部配属。憧れの花形部署に決まり、辞令が出た日は舞い上がった。冷静な父にお前に務まるのかと苦言され、当時の自分は見くびられたのだと大人げなく拗ねたのだが――それが親ゆえの心配だったのだと気付くのに時間はかからなかった。


 主に途上国へのインフラ輸出を手がける大手企業の海外事業部プロジェクト統括室は、アジア、中東、アフリカ、欧州、北米、中南米とざっくり地域別に班を構成し業務を割り振っている。各班の担当者は国ごとに案件を担当する仕組みだ。だから社内では「国担当」って呼ばれる立場で、それが朱里のちいさな自尊心とやる気を煽った。だけど――


 担当国への定期的な海外出張。支部はもちろん、省庁をはじめとした各カウンターパートとの連絡・調整に神経をすり減らしながら深夜まで残業する日々。帰りはすし詰め状態の電車で息を殺してひたすら到着地まで耐える。最近じゃ「予定が合わないから」と疎遠になっている友人関係。人伝に聞く結婚話で、あぁそういえばそんな子もいたな、なんてぼんやり顔が浮かぶ。


 ……あれ? 学生の頃わたしが思い描いていた未来ってこんなだったっけ――――急激に襲ってくる不安感にぐらりと揺らぎそうになる。


 (はっ! いかんいかん!)


 ネガッてる暇はない! 朱里は両頬をパーンと叩いて気合を入れた。トイレで腐ってたってしょうがない。人がどうとか気にする前に、まずは目先の仕事を片付けなくちゃ。甘ったれる自分に喝! 何年先になってもいい、次に是枝さんに会ったら「お。頑張ってるじゃん」って――俺が仕事教えた子なんだぞってちょっとでも自慢してもらえるようになりたいよ。


 「よっし!!」


 がんばろぅ! 心もちすっきりして勢いよく扉を開けると、鏡の前で化粧直しする宇佐美と遭遇した。


 「お疲れ様でーす。先輩、相変わらず木山くんに手焼いてますね」

 「……! うそ。ムカついてるの顔に出てた?」

 「苛立ちを隠せるほど器用ならトイレで反省タイムはしませんよぉ」

 「あ、はは」


 くそぅお見通しかい! 朱里は洗った手をエアジェットに突っ込んだ。勢いよく温風が出て顔に飛沫が飛ぶ。うぇい。 


 ふと、黙ってまつ毛をカールさせてた宇佐美と視線が合う。よほどひどい顔をしてたのか、宇佐美の眉間に皺が寄った。


 「前から思ってましたけどいい加減ビシッと注意したらどうですか?」

 「いや~木山くんはプライドが高いからなかなか難しいよ。しかも挫折知らない感じ」

 「あぁ。ストレートで有名大学卒業して大手企業に就職してって絵に書いたような出世コースですもんねぇ。親の英才教育と要領の良さでさくっとここまで来ましたって顔に書いてますもん。イマイチやる気というかバイタリティに欠けてますよね」


 お? 珍しく慰めてくれるのかな~と期待したのも束の間、毒舌宇佐美の容赦ないダメ出しが繰り出された。


 「でも! わたしは同情しませんよ? なめられるのは先輩が遠慮してるからですし。1回上司に怒鳴られたくらいでへそ曲げて仕事休むようなゆとりくんを甘やかしてどうするんですか。後で困るのは木山くん本人なのに」

 「ぐはっ言い返せない!」


 ふぉぉと前かがみになって朱里が壁に手をつくと、宇佐美はビューラーを片付けながらじと目で睨んだ。


 「いいじゃないですかムカつく後輩の1人や2人、隣に王子がいれば帳消しですよ! 九条さん居るだけでマイナスイオンまき散らしてますから存分に癒されて下さい」

 「いやむしろ眩しすぎてHP/MP削られまくりなんだけど」

 「えぇ? 王子に反応しないなんて相当枯れて……ああ、いきなり潤うと干物は腐っちゃいますよね」

 「うさみ~ん? なんかだんだんわたしの扱いがひどくなってない~?」

 「先輩、木山くんの件で『視界に映す価値なし』レベルに片足突っ込んでますから」


 さすがに今のはヒドイ! 涙目で宇佐美に縋ると「やだ先輩いま壁触ったでしょ? 手洗って下さいよぉ!」と本気で嫌がられてしまった。まさかのバイキン扱い!? 誰かわたしに愛を下さい……。

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