どうやらコンビニから成人誌がなくなるらしい

大黒 歴史

どうやらコンビニから成人誌がなくなるらしい

「そうか」


 ちょうど現場へ向かっているところで、二丁目が陥落したと報告が入った。


「わかった。あとはこっちでなんとかする」


 陥落した二丁目には、重点的に隊員を配置していたはずだった。

 二丁目こそが我々の生命線だったのだ。

 生気を失ったようにうなだれる、同志たちの姿が目に浮かぶ。

 これで残すは手薄になった三丁目のみとなった。


 人通りの少ない幹線道路沿いを、踏みしめるようにしてゆっくりと歩く。

 気付けば小さなコンビニの、そこに似つかわしくないほど大きすぎる駐車場に立ち尽くしていた。


 店員は若くて髪の長い男と、短髪でガタイのいい男。

 若さと力強さという、いかにも馬力のありそうな二人の男を前に、こちらは中年の男が一人。

 勝ち目はほとんどないだろう。


「ここが最後か」


 この近くの店舗に配置されていた隊員はみな、今や既に連行されてしまった。

 残っていた者も、先ほど報告のあった二丁目での天王山に集結していた。

 つまり、増援の見込みはない。


 タラリラリラ~、タラリララ~


 自動で扉が左右に開く。

 レジカウンターの向こうではガタイのいい男が仁王立ちになって遠くを見つめ、入口側のガラスに面した通路では髪の長い男がスローモーションに商品を棚へと並べている。


 長髪の足もとにそれはあった。

 これ以上無く派手な色使いと、黄金にも見えるほどの肌色が、渾然と店内で輝いている。


 ビニ本だった。

 もはやビニールには包まれていなかったが、たしかにそうだった。

 すずらんテープで十字に結われた数十冊が、店内の床に無造作に並んでいる。


「あ、それもう撤去なんです」


 片手間に引き留めようとする店員をよそに、雑誌の束を抱え込もうと身構えた。


 タラリラリラ~、タラリララ~


 そのとき背の高い二人組の男女が店内へとやってきた。

 小洒落たTシャツとジーンズという出で立ちの彼らが話す言葉は、理解することができない。フランスなのかイタリアなのか分からないその言語は置いておくとして、こうして我々が闘争に駆り出されることになったのには、紛れもなく彼らのような外国人の存在があった。


 一年後に歴史的なビッグイベントが催される。そこに世界中から集う人々への体裁を気にして、こうしたグレーな文化が浄化されるようになっていった。


 店内に入ってきた二人は、雑誌の前にかがみ込む私を蔑むように見下ろしながら、その脇を通り過ぎていく。


「ちょっとお客さん」


 こちらのおかしな様子に気づいたのか、長髪の店員はそれでもゆったりと立ち上がって近づいてくる。


「ここからここまで全部」


「は」


「全部、もらっていく」


 店員はようやくハッとした。


「何言ってるんですか。ダメですよ」


「どうせ処分するんだろ」


「商品ですから」


 いつの間にか片腕が店員に掴まれていた。


「もう商品じゃないって言ったろ」


「だからって勝手に持っていっていいわけないでしょ」


 呆れ顔でため息をつく店員が、床に広げられたビニ本と私の顔を交互に見比べる。ニヤリと軽蔑するような笑いが頬に浮かんだ。


「はなせぇっ!!」


 店員の手が腕から離れる。その隙に大きくガニ股に開いた両脚を踏ん張り、両腕を広げて全ての雑誌を抱えこむようにして、勢いよく持ち上げた。その様は、いうなれば人間UFOキャッチャー。


 かがんだ体を引き上げて、雑誌の山が床から離れていくまでが、とてもゆっくりだった。周りからは音が消え、ありとあらゆる感覚が自分の手もとに集中した。


 それなのに、軽かった。

 腕に重さを感じなかった。

 こちらの熱意と相反し、その実物の薄っぺらさを思い知らされる。


 わけも分からず、涙が流れた。

 持ち上げた雑誌の束を、そこでようやくしっかりと見つめた。

 思えばこうして手にとったのは、何年ぶりのことだっただろう。


 周りの景色が目まぐるしく変わる。

 グルグルと目が回ったかのように錯覚し、走馬灯のように思い出が目の前を急速に流れていく。


 退勤後、疲れ果てた体でおもむろに手にとった若手時代。

 部室の床に散らばりながら、代々受け継がれ続けた学生時代。

 実家の親父の本棚、

 河川敷のグラウンドのすみ、

 小学校の裏山でびしょ濡れになったその残骸……


「1,280円です」


 さっきの二人組がレジで会計をしていた。

 すでにこちらのことなど忘れてしまったように目も向けない。


 忘れていた。

 ここからビニ本が失われてしまうのは、決して彼らのせいなんかではなかった。

 生活がビニ本とともにあり、皆で笑ってビニ本を囲んだあの日のことを、私はすっかり忘れてしまっていたのだ。忘れ去られてしまったものは、その場を去るしかないのが世の常。


「お客さん」という店員の言葉と同時に、足もとからも甲高い声が聞こえた。


「おじさん、なにしてるの」


 小さな女の子が不思議そうな顔をして、こちらを見上げている。

 人間UFOキャッチャーは、ターゲットを確保したままの体勢で直立して停止していた。

 彼女の顔と、幼かった頃の自分の顔が、ぼんやりと重なって見えた。


「宝物を取り戻しに来たんだ」


 女の子はそれを聞くと、目を輝かせて手をたたき、その場で飛び跳ねながら叫んだ。


「たからもの、あたしもほしい!」


 レジにいた二人が穏やかな表情で店を出ていく。

 それを見送ることもなく、また宙に視線を戻したガタイのいい店員。

 もう一人の店員である長髪の男は、私の腕を掴んでいた。さっきまでよりも強く、がっしりと。


「これはおじさんの宝物さ。お嬢ちゃんにはお嬢ちゃんの宝物がある」


 女の子は納得がいかないように、怪訝な表情を浮かべている。

 長髪の店員は怪訝な表情を浮かべ、不審がりながらこちらを見ている。


「お客さん、だからそれは」


「青春だよ」


「は」


「俺たちの青春を、もう一度この手に取り戻すんだ」


 腕を掴んでいた手が離れた。

 引きつった店員の顔が横目に見える。

 長髪の男は片手を高々と上げて、必死にレジの向こうへと声をかけた。


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