白ゆり姫

うめ屋



 姫様の舌に百合の花が宿った、というので、屋敷は大騒ぎになった。もみじも暮れゆく十月である。

 はじめはほんの小さな、つぼみの先のようなものが舌の上にきざしただけだったのだけれども、じき、それはすくすくと茎を伸ばした。姫様のお口をうるおす唾やことばを養いにして育ち、十日のち、ついにましろい花を咲かせた。

 このあきの領地にて、姫様はいかなる宝にもまさる掌中の珠である。お父上のぎみ、お母上の姫もそれはそれはお案じになり、都から名だかい薬師を呼び寄せた。

 されども、なにせ先立つならいのない病。むりに引き抜けば姫様へどんな障りがあるかもしれず、処すべき薬もない。薬師はこうじはて、花が咲いた十日めの晩、夜陰にまぎれて逃げ去った。お父上お母上、そして屋敷のものたちは、あまねく涙にかき暮れる。

 やがてあくる朝、お父上のあい君はご決断を召された。すなわち、これはもはや、あや様のお力におすがりするより他はない、として。そうして姫様は、やわ雪のようなおみ足で、生まれてはじめての旅へ発たれることとなった。

 その折、姫様、御年十四。つい先ごろめでたく月のものを迎えられた姫様は、つぎの春には、都の後宮へ入られることが決まっていた。



 *



 お父上お母上は領地を治めるおつとめがあり、姫様とご一緒できない。そのぶん選りすぐりの随身や武人もののふが供につけられ、姫様の侍女として、私も一行に加わった。

 あざやかな紅の衣を召した姫様は輿にかつがれ、稲穂の刈り入れも終わった野をめずらしげに眺めゆく。秋津野は都びとたちのいいをまかなう、肥えた平野地であった。


「姫様。おからだはお辛うございませんか、ご不便はございませんか」


 徒歩かちの私が輿を見やれば、姫様はゆったりとほほえんでお答えになる。


「へいきよ。なんでもすべてめずらしくて、楽しいわ。ちっとも疲れなどしないわ」

「あまり、はしゃぎすぎませぬよう。お疲れになったらおっしゃってくださいまし」

「ええ。……ああ、しろ、見てごらんなさい。あの鳥はなにかしら?」


 すぐさま、姫様のご関心は私でないものに移ってしまう。鳥のつぎは花、花のつぎは野良の農夫。なにかを見つけてはそのたびに手を叩き、私を呼び、あれはなにかしらとお訊ねになる。まるきり、いとけない御子であった。

 ただしく言えば、訊ねているのは姫様ではない。姫様の舌に宿った白百合だ。ことばを発せられなくなった姫様の代わりに、この花が身をくねらせて喋るのだ。

 百合は喋りたがりの性質たちらしく、いちいちよく通る、姫様そっくりの声で姫様のお心を語った。私はその声に、ひとつひとつお答え申し上げた。


「ねえ、しろ。わたくしたち都を越えてゆくのでしょう。あや様の御元まで参るのでしょう。……あや様の御座所とは、いったいどんなところかしら?」

「さあ。私も耳にしただけでございますが、たいへんうるわしい土地と伺っております」


 あや様は、この国の守り神でいらっしゃる女神である。

 まことの名は好文比売命あやこのむひめのみこととおっしゃるのだけれども、みな、そのお姿を慕ってあや様とお呼びする。

 あや様は、都の北東に清水をたたえるきよの海を御座所とされ、その真中に浮かぶうめの島をたかくらとされている。民はあや様のお顔を拝し、また願かけや誓いをするためにそのお膝元へ詣でた。私たち一行も、姫様の快癒を願ってこたびの旅に出たのである。

 秋津野より都までは一日と半、そして清の海まではさらに一日と半。こたびは姫様をお輿に乗せての旅であるので、もっとかかる。

 七日は入り用だろうかと案ずるうち、一日めはさかなるみなとで暮れた。海人あまどもの駄声や魚くささもかまびすしい、海町である。この晩は、とき姫の叔父上でいらっしゃるの入道の館に休んだ。

 館へ入っても、世なれぬ姫様は、いたくはしゃいでおられた。入道や奥方にあかるくお母上のことを語り、夕餉のあまづら水を三杯も召し上がった。

 これは、姫様に宿った百合の花が求めるのである。姫様はもう尋常のお食事ができず、代わりにその舌からる花芯へ蜜を垂らしてやる。すると花はうるおい、ひとしお艶やかに咲きほこるのであった。

 湯をいただき、床へついても、姫様はまだ悩ましげな息をついていらした。遠くひびく潮騒が、異地の風を感じさせる。姫様のおそばに臥した私も、まんじりともせずその音を聞いていた。


「ねえ。……ねえ、しろ。起きている?」


 背中越しに、姫様が私の衣を引く。私は起き、ふりむいて姫様のお手を握った。


「何でございましょう」

「ああ、起きていたわね。……ねえ。しろは、あなたは不思議と、わたくしを憐れまないわね」


 寸の間責められているのかと思ったが、どうやら違う。姫様は闇の中、あまい琥珀色の瞳もしずかに見つめていらっしゃる。私は首をかしげた。


「姫様は、憐れまれたいのですか。憐れまれたくないのですか」


 そう問うと、姫様はかすかに小鳥のような声で笑った。


「そういうところよ。わたくし、しろのそういうところが好き」

「畏れ多いおことばです」


 姫様は、しばしばこのような戯れをおっしゃる。私のごとき侍女ふぜいを好ましがり、衣でも紙や櫛でも、姫様とひとしいものをお与えになりたがる。

 そうして唐菓子を私と分け合い、わたくしとおそろいよ、などと、みそかごとめいてほほえむのだ。私はいつも、それらのお恵みをにがにがしく思っていた。


「姫様は、なにゆえに私を好まれます」


 ざざん、と寄せる波の音に誘われ、思わず恨む口ぶりとなってしまった。知らぬ土地に、私もいくぶんか浮き足立っているのやもしれない。姫様は目を細め、私の指に指をからめて握った。


「あなたは、わたくしを突き放してくれるもの。いつもひと足遠のいたところから、わたくしを見ていてくれる」

「さような冷血がお好みですか」

「違うわ。しろは、情けがないのではないわ。……情けがないのは、おとうさまやおかあさまよ」

「姫様」


 小声で叱するも、姫様はやはり、しずかな目をしている。あまい琥珀色が玻璃のように透いていた。


「おとうさまも、おかあさまも、ほんとうにわたくしを愛してはくださらない。すめらみことの后となれるむすめが欲しいだけなのだわ」

「――」


 そう語る姫様を、私はいささか思いがけぬ心地で眺めた。このあどけない姫様が、かように鋭いまなざしをお持ちとは思わなかったためだ。私はその心を隠し、姫様のうるわしいあかがね色のぐしを梳いた。


「そのようなことは、ございませんよ。姫様。お父上様もお母上様も、姫様を大切においつくしみではありませんか」

「それは、わたくしがおとうさまとおかあさまにとって、益となりうるものだからだわ。売れば千金になる珠があれば、誰とてうやうやしく箱にしまうでしょう。朝な夕な磨くでしょう。それと同じこと」


 私は否やを申さなかった。私も同じ見方をしていたからだ。

 姫様のお父上、あい君は、都に戻ることを悲願としていらっしゃる。お母上のとき姫もしかり。

 ふたりのお血筋は、もともと都で時めく名家であった。あい君は本家、とき姫はその分家のご家名を持ち、すめらみことの右腕としてお力をふるっていた。

 しかし、あい君のひいお祖父様の御世である。すずしのの一族は、時の権勢あらそいに敗れた。これを下したのは、すめらみことの左腕であった名家、

 かおるのの当主ぎみは、仇の一族にことごとく罪をなすりつけた。すずしのは配流やいれずみの憂き目に遭い、分家うぶしのもこれに連座。両家はちりぢりとなり、よくて鄙の一領主、悪ければ物乞いを経て犬のえさ。あまたの血縁がそのとき死んだ。

 あい君のお祖父様は、その泥をすすって這い上がったお方である。遠き配流の地から一族を尋ねあつめて苦節十年、いまの秋津野の領主の下に婿いりを果たし、堂々采配をふる身となった。そのお祖父様は、のち息子にも孫にもおのれの悲願を語り聴かせた。

 すなわち、いつの日かかならずや、一族そろって都へ帰らん、と。

 あい君もとき姫も、そうした家風に染まっている。つねに眈々と都の趨勢をうかがい、そして十一年前の夏、ついに望むべき流れが見えたと沸き立った。

 春宮とうぐうみやのご降誕である。春宮がやがてすめらみことの位にお就きになれば、国のほうぼうから、うつくしく聡明な女たちが集められる。

 后となるもの、その下につく女官となるもの、お抱えの歌人や絵師。後宮はさかしく優美に、はなやかであればあるほどよい。きっと、そに宮様ご即位の折も、おおいに諸領の姫たちが求められるはずだ。

 折しも、あい君のご息女くれ姫様は、御年三歳。生い立てば宮様に似合いの后となるであろう。そうお考えになったあい君は、奥方とき姫とともに姫様をいつくしみ始めた。


「……わたくし、入内するのは厭。おとうさまとおかあさまの形代かたしろになるなんて」


 姫様は眉をひそめ、泣くのをこらえるような顔をした。その御髪を撫でて差し上げると、姫様は私の手をとってほほに導く。練り絹のようにすべらかな少女の肌だった。


「だから、わたくし願ったのよ。染まぬ婚姻をするくらいなら、いっそあなた様のそば仕えにしてくださいと。そう、あや様にお願いしたのよ」

「姫様?」


 おどろいて呼んだものの、姫様は拒むように目を閉ざしていた。幼子めいて顔をゆがめ、呻く。


「わたくしに百合の花が宿ったのは、きっと、あや様が願いを聴き届けてくださったからなのだわ。……だからわたくし、怖くはないの。これは神のはなよめとなる道ゆきだから」


 絶句する私をよそに、姫様は私のてのひらに頬ずりをする。そうして、ひとひらもみじの落ちるようなつぶやきをした。


「――しろが、わたくしのねえ様だったらよかったのに」



 *



 ざざん、という波音のはざまに、やわらかな寝息が寄せる。

 姫様は私の手を握ったまま、いつしか眠ってしまわれた。私は乱れたその御髪を掻きやり、ついで、ほそい首すじに手をかける。この女の身ですらたやすく葬ってしまえそうな、かよわく、たおやかな姫様の首。私はちいさく力を込め、爪を立てた。


「……おかわいらしい、くれ姫様」


 愛らしく、あどけなく、なにひとつご存知でない私の姫様。私は姫様がにくらしい。

 私は、あい君のままである。あい君がたったいちど、戯れに手を出した下女との間にできたむすめである。母は私が三歳のときに病で死んだ。

 その折、ちょうど奥方とき姫のもとに、くれ姫様がお生まれになった。私は姫様のお世話がかりとして育てられるべく、秋津野の屋敷にとどめ置かれた。

 というのは、表むきのいいである。

 私に与えられたまことの役は、姫様の身代わりとなることだ。もしも姫様がなにかの病に臥せったとき、出先で追いはぎに襲われたとき。私は姫様の災厄を移されるひとがたとなり、あるいは姫様のふりをして殺される影武者となる。

 ゆえにこそ私の名は、しろ、というのだ。身代わりの、形代かたしろしろ。きっと姫様は、ましろのしろとでも思い込んでいらっしゃるのだろうけれども。


「姫様」


 ささやいて喉の真中を押し込めば、ふう、と姫様の寝息がとまった。闇の中でも、白いお顔がいよいよ白く凍えてゆく。私はその耳元にかがみ込み、くちづけるようにひそめいた。


「姫様。……くれ。私は貴女がにくらしい、貴女のはんぶんだけの姉なのですよ」


 姫様はなにも知らない、ただの侍女と思っている。だからこそむじゃきに愛を騙り、私がねえ様ならよかったのになどと言う。父母の形代になりたくはない、だなんて、おしあわせなことを口にできる。私は姫様が生まれたそのときから、姫様の形代でしかなかったのに。


「――」


 ぐう、とかすかに爪痕を立て、手を放した。姫様の寝顔がやわらぎ、ざざん、の合間に寝息が戻ってくる。私はまろやかなそのほほを撫で、かき抱くようにして眠りについた。

 旅の前、あい君ととき姫は私によくよく念を押した。姫を頼むぞよと語るおふたりの目の奥には、夜叉のほのおが燃えていた。もしも道中姫様に変事があったら、やがて私がおふたりに八つ裂きにされるのだろう。父であり、継母ははであるあのひとたちから。

 怖いこと、と声もなくつぶやく私の背後に、ざざん、とまた波の音が重なった。



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