夜空に虹色の橋が架かるとき

「ねーねーねー、祭だって、祭ー」


 小さな湖のほとり。

 湖岸にはかわいらしい花が咲き乱れ、遠くの森からは鳥のさえずりや時おり獣の吠え声も聞こえてくる。


 ここは熱帯のジャングル。

 うっそうと繁る木々が開けた空間。

 その静かなる場所、湖畔に座りこの地方でもてはやされている楽器フィドルを奏でる若者がいた。

 彼の奏でる音色は、誰も聞いたことのないほどに美しく響き渡り、彼の歌声は全ての者を魅了する。

 恋の歌を歌えばすぐに誰かに恋をしたくなり、悲しみの歌を歌えば泣き出し、冒険の歌を歌えば今すぐにどこかへと旅立ちたくなるという。


 吟遊詩人───そう、彼はそう呼ばれていた。


 今は座っているので、どれくらいの背丈かはわからないが、恐らく立ち上がれば長身。すらりとした美丈夫であろう。

 顔立ちも優しげで、見たところの表情もまさに優しい言葉しか語らないといった感じだ。

 自分に声をかけられたので、先ほどまで目を閉じ呟くように歌っていたのだが、今は目を開け、近付いてくる少女へと視線を向けている。


 温かい琥珀色の瞳。


 彼の視線はとてもとても優しい。

 まるで愛しくてしかたないものを見つめているといった感じである。

 今は歌を止め、口元に微笑をたたえている。

 だが、フィドルを奏でる手は止まらない。

 静かに静かに音色は響く。

 弦で弓をこすりつけ、むせび泣くような音色が幻想的に湖面へと流れていく。


「マリー、あのね、そこの村で明日祭があるんだって」

「祭ですかー。それはいいですねえ」

「でしょお? きっとおいしーもんがいっぱい出るよ」

「……シモラーシャ、あなたはいつもそうですねえ」


 マリーはフィドルの演奏を止めると、はーっとため息をついた。

 だが、それが彼女らしいとわかっているので、あえてそれ以上は何も言わなかった。その代わりぶつぶつと呟いてはいたが。


「まったく……食べ物と僕とどちらか選べと言われたらどうするんでしょうかねえ……やめとこう、何を選ぶかわかりすぎるほどわかっているから、落ち込みそうだ」

「え? なんか言った?」

「あ、いえいえ、なーんにも?」

「あ、ジューク!」


 そこへもう一人若者がやってきた。

 白い長衣を身に着けた優しげな雰囲気の青年で、だが、マリーの優しさとはまた違った眼差しで少女を見つめている。

 どちらかというと肉親に対するものといったところか。


「お祭……ですか」

「そーなのよー、ジュークも一緒にいこ?」

「それは楽しそうですね。はい、私も連れて行ってください」

「やった♪」


 二人の様子をおもしろくないといった表情で見つめるマリーであった。

 そんな彼に、ジュークは銀色の長い髪を揺らして、何もかもわかっていますよ、といった黒い瞳で笑いかける。


(むかつく)


 とっさにメラメラと嫉妬の炎を燃やす。

 わかってはいる。

 この神の使者である光輝神官ジュークは、シモラーシャを女として愛することはないと。

 マリーはそれくらいのことはわかっているつもりだった。

 だが、男とは時として愛する女の全てを束縛してしまいたいと思うものだ。

 そして、悲しいほどに彼マリーは感情的な男だった。


 シモラーシャを愛している。


 かつて彼女に抱いていた屈折した想いが解放された瞬間、それ以来マリーは己の心に忠実に生きようと思ったのだ。

 このさい、ジュークの気持ちは関係なかった。

 シモラーシャが自分以外の男と楽しそうにしているのが嫌なのだ。

 今まではずっと二人だけで旅をしてきた。

 それがどうしてもジュークと旅をしなくてはならなくなってしまった。

 それは、どうしても彼の能力が必要だから。

 他人を癒す力が。

 自分では彼女が傷ついたときに癒すことができない。

 かすり傷程度ならどうということもない。

 だが、瀕死の重傷になった場合、マリーには彼女の傷を癒すことはできない。

 それをできるのは魔法士といわれる者たちだけなのだ。

 だが、ジュークは魔法士ではない。

 しかし、彼は魔法士と同じ能力を持っているのだ。


 シモラーシャを死なせることはできない。


(僕の太陽)

(僕の大切な人)

(自分の命さえも差し出してもかまわないほどに……)


「愛してる………」


 つい、言葉に出してしまった。小さな囁きだったが。


「え? なんか言った?」

「ああ…いえ……」

「大丈夫? なんか最近独り言が多いよ?」

「…………」


 マリーは感動していた。

 シモラーシャが自分を心配している。

 こんなことはあまりないことなので、胸が高鳴った。

 そして、そんな自分に苦笑した。


(恐怖の楽音の神と恐れられたこの僕が……情けないな)


 だが、彼はまったく嫌な気持ちではなかった。

 彼女に対する溢れんばかりの気持ちだけで、彼は幸せを感じていた。



「なんかね、ドリュー村では夏のこの時期に開かれる祭で、これと思った相手に告白してキスまでこぎつけたら一生二人は離れることはないっていう言い伝えがあるんだって」


 シモラーシャは瞳をうるうるさせながらジュークを見つめた。

 マリーがチッと舌打ちしたことは言うまでもない。

 だが、当のジュークは何を考えているのか、にこにこ微笑んでいるだけである。

 すると、そんなジュークが言った。


「お祭といえば……」

「食べ物だよねっ?」


 すかさずシモラーシャが言った。


「あ、ええ、それもありますけど」


 シモラーシャの言葉ににっこり微笑みながらジュークは続けた。


「お祭といえば、花火なのですよ」

「ハナビ…?」

「ええ、花の火です」

「はな…の、ひ?」


 三人は先ほどマリーがフィドルを奏でていた湖畔に座っていた。


「私の故郷では火薬というものを使って、夜空に大輪の花を咲かせるということを夏のお祭でしていたのです」

「わー、すごおい、空に花を咲かせるの?」


 シモラーシャが喜んで手を叩いた。


「あ、でもカヤクって何?」

「こちらの地方ではあまり見ないものだと思いますが、確かサレック、ドレック大陸では既に火薬というものが使われていると聞きました」

「わー、あんな未知な大陸、ジュークは行ったことあるの?」

「直接に行ったわけではありません。しかし、調べようと思えば調べることはできますので」

「すごーい」


 ますます尊敬の眼差しで見つめるシモラーシャであった。


「それで、私の故郷では、その花火が上がっている間に恋人とキスをするとその二人は永遠に結ばれるという伝説があるのですよ」

「へー、ジュークの故郷の伝説とドリュー村の言い伝えって似てるねー」

「ええ、そうですね」


「…………」


 シモラーシャとジュークが微笑みあっているのにも関わらず、マリーはジュークのその話を聞いて一人考え込んでいた。


(そうか…ならその花火を上げて、無理やりにでもキスしてしまえば……)


 本気でそんなことを考えている、おバカなマリーであった。

 そして、そんな彼をにこにこ笑顔で見つめるジューク。

 まるで「私は何もかもわかっていますよ」と言っているかのように。

 幸いマリーは気づかなかったようだが。



 その夜。

 シモラーシャが寝入った後で、マリーはジュークの元にやってきた。

 湖面に月が映り、あたりは仄かな輝きに満ちていた。なんとも幻想的な眺めである。


「いらっしゃると思っていました、マリーさん」

「不本意なんだけどね。僕は花火の存在を知っていても、花火を作る知識はないものでね。それに材料だってわからないし」

「ええ、わかっています。もちろん、教えて差し上げますよ。材料はもうすでに用意してあります。ですから一緒に作りましょう」

「……ありがとう……」


 こんなにあたりは静かなのだが、誰にも聞こえないほどに小さな声だった。

 だが、ジュークは何もかも承知したといった表情で頷いて見せた。


「本当は、一日で作れるものではないのですが、そこのところは私がどうにでもいたしますから」


 そう言ってにーっこりと微笑んだジュークを、なぜか一瞬怖いなと思ったマリーであった。




「わー、あんなとこにうまそーな食べ物がー、やー、あんなところにもー、何から食べようかなあー?」


 シモラーシャの嬉々とした叫び声が響く。

 祭が始まったのだ。

 朝から村の者全てが仕事を休み、飲んでは歌い踊りと日頃の忙しさを忘れて楽しむのだ。

 そして、真夜中の祭の最後には湖のほとりで若者たちの儀式が始まる。

 熱い抱擁と口づけの儀式が。

 永遠を願う儀式が。


「……………」


 はしゃいで手当たり次第に食べ物にぱくついているシモラーシャを、マリーはニヤつきながら見ていた。

 その真夜中に湖では取っておきの花火を打ち上げる用意を、すでに彼はしていたからだ。


「途中で私は抜けますね。火付けは私がやります。時間にはちゃんと湖にシモラーシャさんを連れてきましょうね」


 前の晩、対岸で打ち上げ筒を設置しているときに、ジュークがそう言った。

 小さな湖といっても短時間で対岸に行けるはずもないのだが、そこは彼らのこと。瞬間移動という手がある。

 ジュークは夜も更けた頃に二人から離れ、急いで花火を打ち上げる準備に向かうことになっていた。


「頑張ってくださいね」

「…………」


 何だか素直に喜べなかったマリーであった。


 そうこうしているうちに、どんどん時間は過ぎていき、あっという間に真夜中近くになってしまった。

 高鳴るマリーの心臓。

 ジュークに手伝ってもらったとはいえ、自分で造った花火玉である。

 しかも、ジュークの話によれば、珍しい形の花火になるそうだ。


「私の故郷でもあまり見られない形だと思います。大丈夫です。私がきちんと計算して設計したものですから。任せてください」


 そう自信たっぶりにジュークは言っていたが、いまひとつ信じきれていないマリーであった。

 とにかく、造っている最中もいろいろあった。

 ああ見えてジュークはかなり厳しいのである。

 罵声は飛んではこないが、容赦なく作業を進めさせようとする。あの馬鹿丁寧な言葉遣いで。

 マリーは、日頃からずっと思い続けてきたのだが、ジュークのあの丁寧な言葉を聞いていると、自分がずいぶんと馬鹿な存在なのではないかと思ってしまうのであった。


「ああ、違いますよ、マリーさん。その星と呼ばれるものは花火の中でも命とまで言われているものなのです。ですから、慎重にきっちりと決められた場所に入れてくださいね、台無しになってしまいますからね」


「最後の仕上げは玉貼りです。これも大切ですよ。この張り具合で、花火が開いたときの盆の大きさや星が拡がるスピードが決定しますからね。それが終ったらゴロがけです。転がせて空気を抜くのです」


 何となくむかつく、とマリーは思ったのだった。

 だが、彼は気づいていない。

 自分自身もそういう喋り方をしているということに。


 そんなことをぼんやりと考えていたら、いつのまにかあたりが静かになっているのに気づいた。

 きょろきょろと見回して見ると、すでに人々はまばらになっており、若い者たちがほとんど姿を消していた。


「シモラーシャ?」


 彼女の姿も見えない。

 マリーは慌てた。

 彼女はどこに行った?

 これでは計画が台無しだ。


「シモラーシャ!!」

「ぬああに?」

「!!」


 急に後ろから彼女の声がした。

 振り向いてみると両手いっぱいに菓子やら肉やらを抱えている。

 見れば、口の中にまで肉を突っ込んでいるらしく、口から骨が出ていた。


「…………」


 思わず大きな溜息を出しかけたマリーだったが、ぐっとこらえて、にっこり笑った。


「あのですねえ、シモラーシャ……」

「はれえ?? ひゅーくはああ?」

「ジュークですかあ? 彼は疲れたから宿屋で休むといって戻ってしまいました」

「ふぉんなああああ?」

「とにかく、たまには僕に付き合ってくださいよ」

「はによ、ろこにふきはふのひょ」

「…………」


 お願いだから、口に物を入れて喋らないで欲しいと思った、かわいそうなマリーであった。



「えー、マリーとするのお??」

「嫌なんですか?」

「だってえー……」


 ということで、ようやく全ての食べ物を食べ終わったシモラーシャを、マリーは湖のほとりに連れてきた。

 すでにラブラブムードな恋人たちが、そこかしこで口づけを交し合っていた。

 さすがのマリーも、居心地が悪くなったので、若者たちのいるところから離れた場所にシモラーシャを連れていったのである。


「ジュークとしよーかと思ったのにー」

「む………」


 マリーはプーッと膨れた。

 すると、それを見たシモラーシャがブッと吹き出し、キャラキャラと大笑いした。

 ますます膨れるマリー。


「そんなに僕が嫌いですか?」


 いつになく真面目な顔と声になってマリーは言った。

 一瞬真顔になるシモラーシャ。

 だが、すぐににっこり笑うと「そんなことないよ」と言った。

 それでも、声の調子はそれほど真剣そうな感じではない。

 すると───


「あたしはね、マリー……」



───ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………


「えっ?」


 何か動物が鳴いているような音がしたかと思ったとたん。


───どどどぉぉぉぉーーーん!!


「ああっ、花だ!! 空に光の花が!!」


 シモラーシャがびっくりして空を見上げた。

 離れた場所にいる村の若者たちの間にも歓声が上がっていた。

 綺麗な花びらの形をした花火が上がったのを、マリーは満足そうに見つめた。

 すると、それを見たシモラーシャは得心がいったという表情をした。

 優しく微笑むと、夜空を見上げているマリーにそっと近付いていく。

 それに気づかないマリー。


 そして───


───ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………


───どどどぉぉぉぉーーーん!!


 空に虹色の掛け橋が架かった。

 虹色に輝く光の橋である。

 それを感動して見つめるマリー。

 ああ、なんて自分はいい仕事をしたんだと。

 その瞬間。

 自分の唇に柔らかいものが重なり、身体を強く抱きしめるものがあった。

 驚いた彼は、自分の胸に己の愛する女がぴったりと寄り添っていることを知った。

 彼は迷わず彼女を両腕で抱きしめた。

 強く、優しく。誰にも渡さないぞと心で呟きながら。


 そんなふたりをいつまでも消えぬ夜空の虹の掛け橋は、キラキラと七色に輝きながら、見守っていた。永遠の愛を約束された恋人達を。




「そういえば……」


 その頃、対岸ではススで真っ黒になりながら、最後の取っておきの花火を打ち上げたジュークが首をかしげていた。


「花火が上がっている間にキスではなくて、日没の瞬間に橋の上でキスをすると永遠に結ばれる……ではなかったでしょうか?………でも、まあ、橋には違いないですから、良しとしましょうか」


 そう言うと、ジュークはにっこり微笑みながら手で顔を拭いた。

 さらに彼の顔は真っ黒になってしまった。

 シモラーシャが見たらなんと言うだろうか。


「おや、マリーさんのフィドルの音色と歌声が……」


 湖の向こうから微かに聴こえてくる、それは間違いなくマリーのフィドルであった。

 それを聴き、ジュークは満足そうに頷いた。 




 星が降り注ぎ

 月が歌う

 今宵は愛しい人と共に

 歌おう

 踊ろう

 抱き合おう


 星が輝く夜空に

 大輪の花が咲き乱れ

 恋人たちを祝福する


 見よ空を

 青空に架かる橋のように

 虹が夜空を渡るとき

 さあ捉えよ

 愛しい者の唇を


 虹色の橋のたもと

 愛する者と口づけを

 さすれば

 永遠に二人を別つものはなし



        初出2003年7月1日

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