聖バレンタインデー
「バレンタインデー?」
「そうです」
首を傾げるマリーにジュークはにっこり笑ってみせた。
彼は手のひらにのせた豆を差し出す。
「これはカカオ豆といいまして、ドレック大陸でしか取れないものです。これを材料にして作られたものをチョコレートといいます。それをバレンタインデーに好きな人に贈って告白するというお祭りが、この時期に私の故郷では行われていたのですよ」
「好きな人に……」
マリーは、神妙な目つきでジュークの手のひらを見つめた。
それをにこやかな眼差しで見守るジューク。
しばらくしてやっとマリーは言った。
「仕方ないですねぇ。シモラーシャは珍しい食べ物に目がないから。ま、告白だのなんだのっていうのは置いといて、ちょっと彼女のために作って差し上げましょうか。もちろん作り方は教えてくださるのでしょうねぇ?」
「ええ、もちろんです」
ジュークはより一層深く微笑んだ。
「まず、カカオ豆の皮をとります。そして、それをすり潰して粉糖とカカオバターを混ぜ合わせて固めるのです」
「カカオバター?」
「ええ。これは特殊な方法でカカオから脂肪を搾り出すのですが、こちらは私がやっておきましたので、材料を混ぜ合わせればできあがりです。簡単でしょう?」
「ずいぶんと用意いいんですねぇ?」
「お褒めに預かりまして光栄です」
首をかたむけてにっこりと微笑むジュークを、マリーは胡散臭そうな表情でうかがった。
「さ、早く作って差し上げてください。シモラーシャさんの喜ぶお顔がご覧になりたいでしょう?」
「…………」
マリーは不承不承頷くと、ジュークの言う通りに作業を始めた。
それからほどなくして、固める前までは材料が整った。
そこで、一気に冷やせばすぐにでも固まるだろうということで、マリーは奥の手を使った。
型に流しこんだものを抱えてある場所まで瞬間移動したのである。
そう、氷の大陸コーランドだ。
そこは氷点下の世界。
すべてを凍らせる極寒の地。
マリーの手に持たれたものも、あっというまに固まってしまった。
「よし、できた」
マリーはにっこりと微笑む。
これを食べた愛する人の喜ぶ姿でも脳裏に浮かんだのだろうか、その笑顔はとても幸せそうだ。
「きっとシモラーシャさんも喜びますよ」
出来映えを見ようと、マリーの瞬間移動で一緒についてきていたジュークも太鼓判を押す。
だが、マリーはすでにそんな彼の言葉も耳に入ってはいないようだった。
ひたすら、その後はこのお返しに何かもらえないだろうかと、そんな打算的なことを思い描いていたからである。
(身体を求めたら……よそう、殴られそうだ……)
その心を見透かしているのかどうかわからないところだが、ジュークは不思議な目つきで傍らの友人を見つめるばかりであった。
「え───!! なに、これぇ───??」
シモラーシャは渡されたハート型の茶色の物体を両手で持ち、大声で叫んだ。
そして、おもむろに顔を近づけて匂いをかいだ。
「すごぉぉぉ───い!! おいしそーなにおい───!!」
「えっとですねぇ、シモラーシャ。今日は何の日か知ってますかぁ?」
マリーはコホンと咳払いをひとつすると、訳知り顔でそう言った。
ジュークはというと、二人の邪魔をしてはいけないとどこかに雲隠れしてしまって、今はマリーとシモラーシャの二人っきりである。
「え? なになに? なんの日なの?」
「えーっとですねぇ。今日はバレンタインデーというお祭りの日なんです」
「へ? ばれんたいんでぇ?」
「バレンタインデー」
ちっちと人差し指を振りながら言い直すマリー。
それから、さも何でも知っているとでも言いたそうな表情で喋り始めた。
「バレンタインデーとは愛する人にこのチョコレートというものを差し上げる日なんですよ。このお菓子はですねぇ、ここいらでは手に入らない材料で作られているのですよ。僕は今まで世界各国を旅してきて、たまたまこの材料を持っていたのですが、貴女のために──愛する貴女に食べて頂きたくて精魂こめて作って差し上げたんです」
「わー、すごぉーい、マリーってば。あたしのために珍しいお菓子を作ってくれたんだー」
シモラーシャは素直に感激している。
それを一瞥したマリーは「これはいける!」とほくそえむ。
「さ、食べてみてくださいよぉ」
「うん! ありがとーね、マリー。すごい嬉しい! このお礼は何がいいかなぁ」
そう言いつつ、シモラーシャはパクリとかぶりついた。
「おっいしぃぃぃぃ───!!」
一気にバクバクと食べるシモラーシャ。
かなりの大きさだったチョコレートだったが、たちまちのうちに彼女のお腹に消えてしまった。
「ひゃー、こーんな甘くておいしいもの初めて食べた!!」
口のまわりを茶色にしてにーっこり笑うシモラーシャ。
マリーは思わず抱きしめたくなる──が、ここはこらえて。
「あのぉ…何かお礼をしてくださるって言ってましたけどぉ……」
はやる気持ちを押し殺して、搾り出すようにそう言った。
「うん! あたしもマリーにあげるものがあるんだ!」
「え?」
あっけに取られるマリー。
その目の前に、シモラーシャはあるものを差し出した。
「え…これ……」
彼女が差し出したのは、濃い紫色の上品な色合いのマントだった。
「実はね、ジュークからあたしも聞いてたんだ、バレンタインのこと」
「え??」
「女の子にとっては、日頃からお世話になっている人に贈り物をする日なんだって。だから、マリーにはいつも助けられてるでしょ。あたしからの感謝のしるしってことで、このマントあげる」
「…………」
マリーはマントを受け取ると、しみじみそれを見つめた。
「あ、あんまりじっくり見ないでね。実はそれ、あたしが縫ったんだ」
「え……貴女が…?」
そう言われてみてマリーは彼女の手に目を向けた。
指のあちこちに傷ができている。
「シモラーシャ……」
へへへ、と笑う彼女の顔を、マリーは泣きそうな表情で見つめた。
何だろう──この心に湧き起こる愛しさは。
今までに感じたことのない、カーッとするようなこの熱い滾りはいったい何だろう───
「それとね……これはあたしからのサーヴィス♪」
「!!」
マリーは心臓が止まるかと思った。
なぜなら───
シモラーシャが自分から口付けをしてきたからだ。
それはもちろん恋人たちがするような濃厚なものではなく、軽くついばむような憎らしくなるほど爽やかなキスだったが。
だが、今のマリーにとって、これは何より嬉しいプレゼントだった。
(まるで…まるで若造の恋心みたいだ……)
多少なりとも自尊心が──と思った彼であったが、それでもなぜか嫌な気持ちはしなかった。
「これからもずっとよろしくね♪」
シモラーシャの笑顔が何よりも愛しい。
彼女のすべては自分のものだと、改めて思うマリーであった。
そして、自分の唇についた、彼女の名残であるチョコレートをペロリと舐め取った。
その頃ジュークはというと───
一人森の泉のほとりに座って水面を見つめていた。
「……そういえば、バレンタインデーには女性が好きな男性にチョコレートをあげて告白するというのではなかったでしょうか……もうずいぶんと前のことでしたから、少し覚え違いをしていたかもしれませんね」
彼はぶつぶつとひとりで呟いていた。
「まあ、いいでしょう。ようは愛する者同士が良い雰囲気になればいいのですから………」
そう言いつつ、彼は木々の間を縫って見える青空を見つめた。
「そうですよね……トミー……」
彼の黒く煙る瞳に映るその人物は、未来永劫彼の心から消えることはない。
いつの日か、彼女の待つその場所──常盤の彼方──に辿りつくことを願いつつ、ジュークは今の仲間たちのことに思いを馳せるのだった。
光の乙女と神の声を持つ友人に───
初出 2002年2月14日
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