頼田書文の一日

 僕の名前は頼田書文よりた かきふみ。先月から高校一年生だ。

 高校に入学して周囲の環境は変わったけど、僕自身は大して変わることはない。

 俗に言う高校デビューをすることもなく、中学生のころから変わらない髪型とメガネを掛けた鏡像の僕を横目に家を出る。

「行ってきます」


 外は夏がそこまで来てるかのように、さんさんと太陽が輝いていた。

 徹夜明けの身にはきつい。


 しばらく歩くとY字路の合流地点に出る。その先にあるのが僕が先月から通っている高校だ。

 そういえば入学初日に、ここらへんで誰かにぶつかったっけ。

 あの時は二徹して朦朧としていたから、記憶が曖昧だ。


 下駄箱を開けて上履きを取り出すと、中から画びょうが出てきた。

 ちょうど切らしていたので助かる。


 教室に入ると、僕の机の上に置かれたチューリップの一輪挿しが視界に入る。

 殺風景な教室に花を添えるのはいい考えだが、机の上に置かれては物を書くときに邪魔で仕方がない。

 一輪挿しを後ろのロッカーの上に移して、僕は席につく。




 板書を左手でノートに書きなぐりながら、まったく動かなくなった原稿用紙の上のボールペンを握った右手を僕は睨みつづける。

 入学前夜から構想して、やっと先週から執筆に取り掛かった今作も、いつも通り難産だ。

(ええい動け! 動けよ僕の右手! 左手を見ろよ、あんなに早く動いているんだぞ!お前もちょっとは見習って動け!)

 僕の無声の叱咤激励に右手が奮い立つことなく、チャイムが午前の授業の終わりを告げた。


 羊子ようこさんが作ってくれたサンドイッチをかじりながら、学校最上階角部屋の文芸部室に向かう。

 文芸部は部員の大半が幽霊部員の零細クラブだ。

 ガラッと戸を開けると、まともに活動している数少ない部員、部長が弁当を食べていた。

「あ、頼田くん、こんにちは。入部用紙を取りにきたのかな?」

 棚から用紙を取り出す手を制しながら、僕は言う。

「前にも言ったけど僕は屋上に用があってを来ただけです。入部の意思はありません。ほら、早く梯子を下ろしてくださいよ」

「えぇっ、でも前にも言ったけどこの上は文芸部員しか入れないから、この紙に記入してくれないと…」

「下ろしてください!!」

「はいぃぃ!!」

 ちょっとでかい声を出したたけで、この部長という男はなんでも言うことを聞いてしまう。

 気がちっちゃいからか、背も低く見えるから不思議だ。僕より頭二つでかいのに。


 天井の隠しはしごを上ると、屋上につづく屋根裏部屋のような空間があり、更にその先の梯子を上ると屋上に出る。

 屋上には柔らかな正午の太陽の光が満ちていた。昼寝にはもってこいだ。

 設置しておいたロッカーからタオルケットと枕を取り出し、横になる…。



 ---帽子を目深に被り口が描かれたバンダナを巻いた何かが目の前に浮かんでいる…

『オマエハ、オメデタイヤツダナ!』

 バンダナに描かれた口が動いて、生物が出せなさそうな声を出している。

 僕のことを言っているのだろうか

『イッテンシカミテイナイイキカタ、オモシロイ!オマエノサクヒンモオモシロイ!ハヤクツヅキカケ!」

 続き?書きたいのはやまやまだけど、右手が動かないんだ

『ソウゾウダケジャゲンカイガアル!マワリヲミロ!ヒントハコロガリマクッテルゾ!」

 へぇ、そんなら目を回してみるか

『メヲマワスマエニサマセ!」---



「…田くん…頼田くん。起きて、昼休みは終わりだよ」

 部長に軽くゆすられながら僕は昼寝から目覚める。

「あぁ部長、おはようございます。おこしてくれてありがとうございます」

「チャイムがなったから早く教室に戻るんだよ」

 気が利く人だ。いや、お人好しって言うんだな。この人の場合は。

「…一応用紙ください、気が変わったら入部するかもしれないんで」

 そういうと部長の顔はパアッと明るくなった。起こしてくれた礼代わりにはなっただろう。



 教室に戻り席に着くと、机にラクガキが書かれていることに気がついた。

【死ね】【キモイ】【消えろ】【バカ】【根暗野郎】【小説家気どりのカス】などと書かれている。語彙力が無いなあ、誰が書いたんだろう。

 教室を見回すとみんな目を背けている。しかし右端の席の派手なグループは何やらひそひそと笑いあっている。あそこが怪しいな。聞いてみようか...

                ガラッ

「はーい!お腹も膨れて眠いだろうけど、午後もバリバリ勉強しよー!」

 声を掛けようとしたところでテンションの高い担任が入ってきた。

 まぁ教科書とか広げたら見えないからいいか。それより小説の続きを書こう。



           キーンコーンカーンコーン

 帰りの時刻を告げるチャイムが鳴り響く。

 結局続きは書けなかった。ただ原稿用紙を睨めつけるだけで下校時間になってしまった。


 下駄箱を開けると僕の靴がなかった。

 仕方がない、運動部の人の靴を拝借しよう。彼らには運動用の靴があるのだから大丈夫だろう。


 帰り道を小説の今後の展開を考えながら歩いていた。

(少女がキャラ変をしたが今まで自分がいた世界とノリが違いすぎて、徐々にボロが出てくるとこまでは書けた。問題はそいつがいじめられる描写だ。ナマのいじめを僕は知らないからどうしてもチープな描写になってしまう。くそっ、いじめられてるやつが僕の近くにいれば!)

 思案をめぐらせながら歩いていると、後ろから誰かに声をかけられた。

「ちょっと!そこのあんた!」

 振り返ると、いかにもイケてるJKってかんじの二つ結びの女の子がいた。どっかで見たことがあるような気がする。

「僕になんか用かい」

「あんたさ、大丈夫なの?」

「大丈夫?全然大丈夫じゃないよ。朝から一文字も進んでないんだぞ。カンペキにスランプ状態だ」

「いや、そういうんじゃなくて…。悲しいとか、辛いとかそういう感じのはないの?」

「まさに今がそういう感じだよ。筆が進まない自分の文章力の無さに悲しくなってるし、思うように表現ができなくて辛くてたまらない」

「そーじゃなくて!ああもう!」

 この子は何にイライラしているんだ?

「あたしに何か思うこととかないの!」

 ほとんど初対面の人にこの子は何を聞いているんだ?とりあえず女の子は褒めておけってなんかの雑誌で読んだから、褒めておくか。

「あー…かわいい顔ですね、読モとかしてたりしてますか?」

 そう言うと女の子の顔がみるみるうちに赤くなっていった。

「ば、バカっ!もう知らない!」

 そして僕とは違う方のY字路に走り去っていった。

 なんだったんだ?


 家に帰ると食欲をくすぐられるスパイシィな香りがした。

「ただいま、羊子さん今日はカレーですか。」

「おかえりなさい、書文くん。今日はシーフードカレーだよ」

「やりぃ!羊子さんのシーフードカレーは絶品だから楽しみだ!」


 絶品シーフードカレーを食べて栄養もばっちり補給したが、僕の右手は動かない。


 今夜も眠れない…

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