第2話 マッキーペンで稲妻模様

「…36時間、VRとしての故人と触れ合えるサービスです。

 その間、伝えておきたかったお話ややり残したこと、

 36時間という短いお時間ですが素敵なお引継ぎができるよう心からお祈りしております」

 私は、そうか今はそういうものがあるのか。と瞬時に飲み込んだ上で既に焦りだしていた。

「もう36時間は始まっているの?まだ?ちょっと考えて明日からとか?できるの?あ、例えば一年後に36時間会えるとかは?」

「36時間はまだ始まっていません。まずご安心ください」

 その言葉は的確に私を落ち着かせた。

 弟は立ったまま壁にもたれ話を聞いているのか聞いていないのか…家に帰ってしばらくたつがそういえばコートも着たままだった。

 足元に投げ出された高校のスクールバッグにマッキーペンで稲妻模様が描かれている。

 そして父は恐らく何も信じていない、男の話以前の、母が死んだことからだ。

「何を馬鹿な」「全く」

 ぶつぶつと呟く。

 だが父は母の死体と対峙している葬儀場での現実も信じたくないため、ここにいるのだ。

「…ただですね」

 男が話を続ける。私は少しだけ余裕をもって聴くことができるようになったし、私が聴かなければいけないと思う。

「魂。といいますかそれを私どものVRがとらえるのには時間に限りがありまして。それが明日や明後日、来年になると魂をとらえられない。という事になるのです。

 ならいつから?となりますと契約が決まりまして、30分後…今から30分後…13時12分ですか、では少しサービスしましょう、13時半からのスタートです。それまでに私から簡単に説明を…」

 いつ契約が決まったのか、でもまあいい、と私は思ったし、混乱と悲しみから覚めずすべてを私に委ねている父と弟に少し苛つきもしていた。

 男は鞄から冊子を出す。

【VRと過ごす36時間 素敵なお引継ぎを】

 見たことはないが宝くじの高額当選者が貰えるという冊子のようだと思う。

 サービス?12分で30分スタートという事は13時06分や08分ならもっと得していた?いや起動時間は同じでこの男の説明が長くなるだけか、多分、大したことではない。ああ、私、時々こんなケチくさいところがあるなあ。

 冊子をめくる。20ページもないB5版で

 おばあちゃんに最後にありがとうっていえたよ! 斎田まこと 5才

 わだかまりが解けた姑との36時間 N.U 53才

 という体験談や

 36時間にやっておきたい!コレやった?チェックシート36項目

 □印鑑や通帳どこにある?

 □お葬式にはだれを呼ぶ?

 □残す遺品はこの品誰に?

 …

 □最後はハグでお別れを!

 とレ点を入れられるのを待つ36の項目

 詳しく操作も簡単なアプリはこちら→とQRコードまで載っていた。

【いらすとや】のイラストは本当に万能だな、と感心しながらQRコードを読み込む。

「ま、このアプリいろいろと便利ではありますが、それより36時間の間は本人と向き合うことが大切ですからね。

 ただ重要なのはアラーム機能です。時間を忘れるというのは命取り…失礼、ちょっとした時間のずれで最後の言葉を伝えられないまま『さようなら』では相続に支障が出たり、VRを使わずして亡くなるよりも心残りになったり…」

「ええダウンロードしました。割とうちの家族時間にルーズなところがあるので、」

 母も。と続けようとして飲み込んだ。それだけでこみ上げてくるものがあった。今はまだ。まだ。


「30分になったらお母様の魂をとらえたVRが起動します。姿やお母様の記憶、そのものだと思って頂いて結構です。始めの2.3分は突然目が覚めたような混乱がありますが、直にご自身の状況を理解します。この理解というのは亡くなった悲しさや悔しさなどよりもただ、まず理解する。自身がVR…VRという名前は知らなくとも生身ではないものになった理解といいますか…」

ちらりと時計を見た。13時22分。クレームを受けている途中絶対時計を見るなと言われたのは何のバイトの研修だっけ?

「そして36時間自由にお過ごしいただきますが、最初のアラームは終了1時間前…サンプルをお聞きになりますか?」

「いえ。時間がそろそろ30分に…」

この男の話で36時間が削られるなんて許せない。私はまた焦りだした。

「おっとそうですね。次に10分前にアラームがなり、7分後には…つまり3分前ですね、透明率と通過率が上がり始め…そうそう、VRといえども本当の意味で触れ合えるのが驚きですよね。もちろん物を持ったりなどもできますし。ま。それが薄くなっていき完全に消えます」

ま。消えます。って!ぅおい!雑!サービスとのたまった時間ももう…苛つきが指を震わせたが私の指から男の指に視線を移すと

男の指は㍶の上を滑り何かしらの操作をもう始めていた。

もう『魂をとらえる』のだろうか?

焦り、落ち着き、苛つき、期待し…感情の起伏が早く、激しい。私も混乱しているのだ。

「それからは24時間以内にアプリでVR終了のお手続きに沿って頂ければ完了です。と。よし」

ひゅん。

何か、空気が変わった

猫がいたら虚無に威嚇し、魚がいたら飛びはねたかもしれない。飼っていないが。


そして男は言った

「ではこれから36時間となります。

 有意義な時間をお過ごし下さい。

 素敵なお引継ぎを!」

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