少女にして少年
「はっ・・・何書いてるんだわたし」
気がつくと小説投稿サイトにこんな文章を書いて更新しそうになっていた。
ピアノの天才にして人間の奇才・さきさんから、プリンスの「If I was your girlfriend」という曲を教えてもらった。
クラシックだけでなくジャズピアニストでもあるさきさんはロックナンバーをも奏でる。
このプリンスの曲は、その歌詞を見る限りはかなりきわどく微妙で繊細で、人によっては生理的に拒否反応を起こす可能性のある歌だと思うけれども、わたしはこの曲からこんな感情を得てしまった。
恵当に対してのこんな感情を。
‘If I was your boyfriend’
ううん、もっとだよ。
‘If I was you’
もしもわたしが恵当だったならば。
12歳なのにあんなことのできる恵当の思考が知りたい。
ココロが知りたい。
言葉で伝えられるだけじゃ我慢できない。
恵当そのものになって恵当の行動の源泉を知りたい。
そして、恵当になって、恵当がわたしに今までしてくれた全ての行いを、わたし自身がわたしに対してやってみたい。
ああ。
「
わたしが仰向けで天井を見てるロフトの階下から祖母が声をかけてきた。
「聞こえたかい? 今日は小学生の子たちが立て込んで教室のピアノ2台ともふさがるから」
「はい」
秋風がそろそろ皮膚を通り抜けて体温を奪い始める土曜の午後。
雨だ。
祖母がピアノ教室のテナントビルに出かけたあと、わたしは彼女の部屋に入ってスタンドピアノの蓋を開け、恵当のレッスン用の楽譜を立てかけた。
そういえば、誰もいないんだな。
インターフォンで来訪を告げた恵当を玄関まで迎えに行く。
「いらっしゃい。お昼、食べた?」
「ううん。まだ」
レッスンの前に、わたしはキッチンで恵当のためにスパゲティを茹でた。
昨夜作ったアヒージョが残っていたので、少しだけオリーブオイルを足してペペロンチーノのように仕立てた。
「どうぞ」
「いただきます」
お腹がすいてない。
テーブルで恵当の斜め前の席に座り、彼がパスタを皿の端でくるくるとフォークに巻きつけて口に運ぶ様子を頬杖をついてずっと見ていた。
「嶺紗。恥ずかしいよ」
わたしはこの一言で胸がきゅーっ、と締め付けられた。
無言で椅子を立ち、恵当の隣の席に座る。
「嶺紗?」
「ねえ、恵当。眼を、見せて」
「え」
返事を待たずに恵当の黒目を焦点を合わせずにぼんやりと見つめる。
間違いない。わたしが映っている。
もしもわたしが恵当だったなら。
この眼に写っているのは恵当なのに。
どうすればいいんだろう。
どうして、泣きたいんだろう。
わたしの彼氏が目の前にいるのに、どうしてこんなに切ないんだろう。
わたしは自分の顔にほんの少し角度をつける。唇を重ねやすいように。
『唇の先が触れたら、きっとわたしは恵当になれる』
そして恵当になったわたしは、わたしのしたいようにわたしを愛するんだ。
「嶺紗、やめて」
恵当はわたしに眼を閉じて唇を向けるんじゃなくって、伏し目の横顔を向けた。拒否の意思をはっきりと示した。
「僕は、そんなんじゃない」
この世に取り返しのつかないことがひとつだけあるとしたら。
今、わたしはそれをやってしまった。
「あ」
その後の言葉が、続かない。
出ない。
「帰る」
止めなきゃ。
でも、何も、言えない。
彼はドアの音も立てずに外へ出て行った。
土砂降りなのに。
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