理想主義者にして武士
結果的には「社長は不在です」というコメントでお茶を濁された。
「ではその次席の方を」
すると今度は専務も常務もいないという。
「ならば総務部長を」
恵当がそこまで告げて、ようやく伝書鳩役を務めていた男性社員が自らの意思で口を開いた。
「なんだか知らんが帰ってくれないか。子供が、しかも制服で。仕事で忙しいんだ」
「わたしは
ずっと黙っていたわたしがそう言うと男性社員は、う、という目に切り替わる。
「ちょっと待ってて」
言い残して奥へと小走りで歩いて行った。
「どうぞ」
と通された部屋の天井には監視カメラが設置されてあった。おそらく音声も拾えるのだろう。
「総務課長の近江です。町東君とは同期でね」
わたしの父親は課長補佐だ。ならば近江さんの方が一コ上席ということなんだろう。彼はわたしに質問してきた。
「それで? 町東君のお嬢さんが何の御用でしょうか? というか、彼からもう自己都合での退職願いも私は受け取っている。当社との関係は薄いと思うが」
「ほんとに自己都合なんですか?」
恵当が鋭く一言放つ。
「なんだキミは」
「有塚くんはわたしが依頼した
「この中学生が?」
ふ、ふ、と近江さんは笑う。けれども恵当は一向に怯まない。
なぜなら恵当はこれから、わたしの小説のキャラである、『アツい戦国武将』を演じるからだ。
「笑わないでください。僕は真剣です」
「ああ、ごめんごめん」
笑いをやめた代わりに近江は足を組んだ。そして腕も組む。
隣に座るさっきの男性社員も同じように両方組んだ。
近江が語調を変える。
「で?」
「義を貫きに来ました。具体的には御社でのパワハラを糾弾したい」
「誰の誰への」
「近江さんの嶺紗のお父さんへの」
「おい。根拠もないことを言うと名誉棄損で訴えるぞ」
「証拠は、ある」
眉をピクリと動かす相手2人。
「この応接室での録画データがあります」
「はは。そんなもん、毎日上書きされて残ってないさ」
「嶺紗のお父さんは、データを取っておいた」
「・・・だったらなんだ」
「密室で、貴方達2人が嶺紗のお父さんにパワハラをしている現場だ」
「はは。仮にそのデータがあったとして、それは職務上の指導の一環だ。不甲斐ない社員に指導することもいけないのかね?」
「娘もいる大の大人を呼び捨てで怒鳴りつけることが?」
「それに課長補佐でしかない町東が無断でデータを拾っていたのだとしたら重大なコンプラ違反だ」
「コンプラ? 何が根拠の」
「法令遵守を知らんのか」
「それは最低限の
「な、なにを!?」
「人間ならば、こうあるべきではないんですか?」
恵当はゆっくりとソファから立ち上がった。
そして、左手を腰に当て、右拳を軽く握り、胸のあたりで構える。
姿勢は仁王立ち。
「およそ人間と生まれたからには男女の別なく卑怯な振る舞いはすべきではない。近江さん、この世で一番卑怯な行為とは?」
「知るか」
「なら、お聞きなさい。この世で一番の卑怯者は我が身の危険もないのに他者を虐げる輩です」
「だからなんだ」
「もしも戦国の世で、一国の武将が仲間の武士たちを意味なく虐げていたならば高貴な尊敬の念なきその国は滅びる。分かりますか?」
「今は戦国じゃない」
「ぬるい。だから御社は顧客から見放されるんだ」
「なんだと!?」
「よぉく聞けっ! 真の武士は男女の別なく油断しない。油断しないとは相手を決して身分や地位で区別せず、常に礼節を持って接することを言うのだ。近江さん、貴方は武士ではないッ!」
「は。だからなんだ」
「武士ではない」
「・・・このガキが。ならお前はなんだ」
「僕はこうして義を貫きに来た。本日ただいま元服した。これを境に武士として生きる!」
握った拳の甲をギリギリと相手に向ける恵当。
わたしには見える。
恵当は美しい白の甲冑を装備し、大小の太刀を帯びている。
はっきりと、ひとりの精悍な若武者がわたしの目の前に立っている。
「労基に行くつもりか?」
「知るか。ご自分で考えなさい」
・・・・・・・・・・・・
父親の会社を出ると、まだアブラゼミが鳴いていた。
「恵当。ありがとう・・・」
「嶺紗。ごめん。なんの解決にもなってない。お父さんのために、何もできてない」
「ううん。そんなことない。絶対そんなことないよ」
いけないことだと知っていながら、高校の制服のまま、わたしは中学の制服の恵当の、腕を組んで歩いた。
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