ランナーにしてロードレーサー
ロードレーサー。
なんとも美しい響きだと思う。
いつかわたしの小説に是非とも登場させたいアイテムだ。
そんな風に思ってたら、
「
「四六時中転換してるけど」
「ふ。自転車屋さん行かない?」
「ん?」
わたしがイメージしたのは通学用のママチャリのパンク修理をしたり「貸してー」と頼んだら空気入れを無料で使わせてくれるそこらの個店だったんだけれども、恵当のそれは違った。
「うわー。カッコいー」
床面積はそんなに広くないけど、ショッピング・モールの目立つエリアにドン、とある感じのサイクルショップだった。ロードレーサー。クロスバイク。美しい機能美を備え合わせたマシンが仕立てのよい衣服のように店内に配列されている。
「叔父さん、こんにちは」
「おー、恵当久しぶり。その人が?」
「うん。僕の彼女」
うわ。
親戚にも堂々と。
ってことはご両親にもわたしのこと言ってたりするのかも。
恵当の叔父さんとお互い自己紹介した。
もちろんわたしは「恵当の彼女です」と名乗った。
「で、今日は試乗したいと」
「うん。嶺紗はWEBに小説を投稿してて。そのネタにしたいから」
「WEB小説か。俺も時々読むよ。売ってる小説と遜色ないね。いや、むしろ実生活の裏付けがある分、真に迫ってるかもな」
なるほど。嬉しいこと言ってくれちゃって。
「さて。おふたりさん、スポーツサイクルに乗ったことは?」
恵当とわたしと2人揃って首を振った。
「よし。ならば俺が見立ててあげるから。2人ともちゃんと運動できる服にシューズで来てるな。えらいえらい」
ちなみに今はロードレーサーという呼び名よりもロードバイクという言い方をすることの方が多いらしい。でもなんとなくわたしは『レーサー』っていう語感に惹かれるな。
叔父さんはきちんとわたしたちの身長や股下なんかを計測した上でマシンを選んでくれた。恵当のは体格に合わせてやや小型のタイプに見える。
叔父さんがわたしに言った。
「嶺紗さん、背高いね。えーと」
「すみません。何センチかは言わないでください」
実はわたしの身長は169cm。気にしてる恵当のためにも伏せてもらった。
でも恵当。
キミはまだまだ伸び盛り。伸びろ伸びろ、って毎日わたしは祈ってるからね。
「僕は赤。嶺紗はブルー・・・いや、濃紺だね。叔父さん。ちなみにいくら?」
「聞かない方がいいぞ」
「聞きたい。値段も含めて小説のネタだから」
「そうか。じゃあ、恵当のが50万円」
「え」
「嶺紗さんのが60万円。2人合わせて110万円だ」
やっぱり聞かなきゃよかった。
・・・・・・・・・・・
店内でローラー使って乗り方は一通り教えて貰った。
だけど、街中を走って万が一クラッシュでもしようものなら自分たちの命よりも高価そうな(そんなことないけど)この美しいロードレーサーに申し訳ない。
だから、川べりの土手に続くきちんと舗装されたサイクリングロードを走ることにした。
距離にして往復20km。初心者とすれば負荷もそれなりにあり、無理ないコースだろう。
「じゃあ、最初は僕が前を走るね」
横並びで走るのは他のサイクリストたちに迷惑だし、川風が相当強いので、縦列で風除けの役割を交代しながら走る方が体力の消耗が少ないのだ。
と、叔父さんから指導があった。
「うーん。スムース!」
まるでブラックコンテンポラリーの歌詞のように叫んで走るわたし。
実際、スムースなのだ、この自転車のペダリングは。
生まれてから今まで乗って来た自転車とは異次元の乗り物のよう。トゥーストラップで固定したペダルを回転させると、平地をそのまま走るだけならば、なんのストレスもなく、魔法のような加速が得られる。
わたしは前を走る恵当にも声をかける。
「さすがバドミントン部。いいケツの筋肉してますなー」
「嶺紗。セクハラだよ」
走っている内に何台ものロードレーサーに抜かれた。わたしたちは初心者らしくその都度端に寄せて、
『お先どーぞ』
と抜いてもらう。
マイペースマイペース。
ああ。
風が気持ちいいな。
河川敷の雑草すら匂い立つようで可憐な気がする。
あ。
また誰か抜いて行くな。
恵当も気配を感じて端に寄せる。わたしも合わせる。
けれども、なんだかこれまでと感じが違う。
チェーンの微かな音すらしないのだ。
無音でなんだか塊だけが近づいて来るような。
「えっ」
わたしがそれを見送ると、ほぼ同じタイミングで恵当も「えっ」と呟いた。
人間、なのだ。
いや、ロードレーサーだって人間が乗ってるわけだけれども、生身の人間の男性なのだ。
いやいやいや。言い方がまだおかしかった。つまり、自転車に乗るのではない、ランニングシューズを履いてその二本の足を大きなストライドでもって自分の足の筋肉のみで走行する、ランナーなのだ。
マラソンランナーなのだろうか。
男性で、よくテレビのマラソン中継で見るような、ガチのランニングウエアをまとい、サングラスで太陽の直射を跳ね返している。
なんというのだろう。
恵当とわたしが縦に並んで走行するその真横を、上下の運動がほぼない、まるで常に地上からホバリングしているような。いや、電磁力で浮いたリニアモーターカーのような、掛け値のない純粋な水平移動で、追い抜いて行った。
呆然と見送ると、シューズのソールが完全にこちらに見えるような、まるで踵がそのまま太ももにくっつくぐらいに蹴り上げられているダイナミックなフォームで、さらに加速していくようだ。
「お、追うよっ!」
「え! ちょっと、嶺紗!」
わたしが先導交代と勢い込んで恵当の前に走り出ると、しょうがないなあ、というような感じで恵当もついてくる。
「まさかまさかまさか。そんなバカなっ!」
心の中で思っているつもりが、わたしは声に出して目の前の現実を否定しようとしていた。
けれども、スピードを上げる毎に徐々に張ってくるわたしのハムストリングスと、心肺の苦しさが現実でないわけがない。
なんとそのランナーは、わたしたちを追い抜いて行ったロードレーサーすら照準に捉えていた。
わたしたちの先輩たるロードレーサーたちも、二足走行のランナーを見て信じられないという表情をサングラスの奥に見せている。
ランナーが難なく彼らを抜いた。
「すみません!」
そう言ってわたしたちも彼らを抜いた。
初心者のわたしたちが抜けたことに関しては、ある程度説明はつくのだろう。
ひとつはわたしの体格。
恵当に関しては、現役中学生の運動部としての膨大なるトレーニングの賜物。
それから、もっと間違い無いのは、50万円と60万円、締めて110万円という価格に見合ったマシンの完璧な性能。
「じゃあ、あのランナーはなんなの?」
いくらわたしたちがマシンの性能におんぶに抱っこの初心者だからって、負けちゃあダメだろう。
このマシンに賭けて!
「うっわ、苦しーっ!」
こう声を出さないとやってられないぐらいの負荷が体にかかり始めている。
わたしはようやく悟った。
マシンが高性能であればあるほど、わたしの筋肉の限界を簡単に超える運動量が実現されてしまうのだと。
わたしらが壊れちゃうよ!
「嶺紗! どいて!」
後ろから恵当に怒鳴られて、わたしは思わず道を開けた。
恵当がまるで競輪選手のようなダッシュでランナーに迫る。
多分100mは差をつけられていたであろうランナーとの距離をじわじわと詰めていく。
「恵当、がんばれ!」
わたしはもはや上がらないスピードをせめて維持して彼らのチェイスを見守った。
いや、多分ランナーにしたらこっちが勝手に追いすがってくるだけでえらく迷惑かもしれないけれど。
そんなことを考えてる内に、恵当がとうとうランナーに追いついた。
一瞬だけ、タイヤの先っぽがランナーの前に出たようだ。
でも、そこまでだった。
スタミナが尽きたのだろう、恵当のマシンはそのまま減速する。
ランナーはそれこそ超高速のマイペースを維持したまま遥か彼方へ消え去った。
ゆっくりと恵当に追いつくわたし。
ぜはっ、ぜはっ、と喘ぎながら恵当は振り絞った。
「か、勝った!」
いや、勝ってはいないと思うよ、恵当。
・・・・・・・・・・・
一週間後、家族揃ってテレビでニュースを見てたら、見覚えのあるシルエットとフォームが目に飛び込んできた。
「海外の国際大会で市民ランナーの星、
がたっ、とキッチンの椅子から立ち上がるわたし。
そのままわたしは両手を高々と上げ、ガッツポーズをした。
「な、なに、嶺紗!?」
「いや、勝ったからさ。恵当が」
「・・・誰に?」
「川縁選手に」
家族は無言で食事を続けた。
家族にはスルーされたけれども、わたしはこのネタをモチーフに、コンテスト用の小説エピソードとして10,000文字をわずか1時間で叩き込んで投稿した。反応はまずまず。
ただ、啓吾からのコメントは途絶えたままだけれども・・・
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