第5話 バレンタインデー

 2月14日の学校。


 男子たちが期待に胸をふるわせ、そわそわとしている。ごめんよ、私がチョコを渡したいのは一人だけだから。それに、私から義理チョコもらったって嬉しくないでしょ。


 その日は、朝から授業に身に入らなかった。先生、ごめん。

 お弁当も何を食べたのか記憶にない。おかあさん、ごめん。


 そして、運命の放課後を迎えた。


 深海さんを見ると、顔が緊張している。あの、深海さんでも緊張するんだ。そりゃそうだよね。さすがに、女の子から渡されたチョコを受け取らない男子はいないだろうけど、付き合ってくれるかどうかはわからない。それが、学くんならなおさらだ。


 他人のことは言えない。私も緊張してきた。ただの幼なじみから、変われるかどうか。断られたら、かなりきまずい。今までのようには、いかないだろう。


 深海さんが席を立った。

 そして、学くんのところに歩いていく。

 一大イベントにクラス中が注目する。


「秋本くん、これ受け取ってくれない」

 深海さんが、チョコを差し出した。


 あっ!、『セルモン』だ。今年、表参道に出店したベルギーの有名店。今まで、海外には出店したことがなかったのに、日本の事業者が熱心に口説いて、なんとか出店してもらった店だ。トップパティシエのカルダンが、本国から来て直接指導し、ベルギー本店の味を超えたっていう人もいる。

 でも、あの店は……。


「ありがとう」

 学くんがチョコを受け取り、食べ始めた。味おんちの学くんがどんな反応を見せるか、皆固唾をのんで見守っている。


「これは、うまい!」

 ウォー。クラス中で歓声があがる。あの味おんちでさえ、おいしいと思わせるとは、いったい、どれだけうまいのか。もしかして、ひょっとしてまずいのか、いやいや、そんなことはないだろう。


「私と付き合ってくれない」

深海さんが言った。とうとう言った。

「えーと、あのー、僕は……」

学くんが、ちらっとこっちを見た。


「ほら、お前もさっさと渡してこい」

小林くんが、私の背中を押す。私は、覚悟を決めて、学くんのもとへと行った。


「これ、よかったら」

勇気を出して、学くんにチョコを渡した。

「ありがとう」

学くんは、私のチョコを食べた。そして、言った。

「う、うまい。うますぎる! なんだこのチョコは。むちゃくちゃうまい!」


「えっ」

私は、本当なら喜ぶべきころを、とまどった。なんでそんなこと言うの。


「深海のと、どっちがうまいんだ」

無神経に聞く声が聞こえた。


「深海さんのもおいしいけど、恵のほうが、ずっとおいしい。こんなうまいチョコは初めてだ!」

学くんも、無神経に答えた。


「いくら高級品でも、買ったやつより手作りチョコの方が心がこもっているからな」

小林くん、いい加減にして。


 深海さんが、無表情な顔で、学くんに向き合った

「君みたいな味おんちに、チョコをあげた私がバカだったわ。ちょっと、あなたおかしんじゃない。味覚だけじゃなくて、きっと他の感覚もおかしいのね。あなたには、あの子の方がお似合いよ」

そう言って、クラスから出ていった。


「何だあれは。金で楽しようとするから、駄目なんだろ」

そう言った小林くんを、私は張り倒した。


「何すんだ!」

文句を言う小林くんに、私は言い返す。

「何勝手なこと言ってんのよ! あの店はね、お金があっても買えないんだよ! 予約もできなくて、当日並んで手に入れるしかないの。深海さんは、雪の中、一日中並んで買ったんだよ!」

「そんなこと、俺知らなくて、」

言い訳する小林くんを遮って、私は学くんに向き合った。


「学くんも学くんだよ。なんで、私のチョコの方がおいしいとか言うんだよ」

「いや、実際にうまいから、」

「そんなわけないでしょうが。気持ちがこもってる? そりゃ、気持ちを受け取ってくれるのはうれしいよ。でも、さすがに『セルモン』より、おいしいとか、いくらなんでもありえないじゃん。おいしいものを作るのがどれだけたいへんか、あんたたちにわかる? みんな、ものすごい努力してんだよ。さすがに、そこまで言われると、バカにされてるようにしか聞こえないんだけど」

「でも、本当にうまかったんだ、」


 私は、自分でも何を言っているのか、よくわからない状態で、泣きながら教室から出ていった。

 苦労して作ったチョコを、好きな人から、おいしいって言われたのに、素直によろこべずに逆ギレした。

 私のバレンタインデーは、最悪の結果に終わった。

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