第12話
誠が入院したと知って、修一は見舞いに駆けつけてきてくれた。はじめこそ一人で来たが、その時に真紀と居合わせて以来、真紀と連れだって見舞いに訪れる。看護師に誠の父親と間違えられたのを気にしての行動なのだと、真紀からこっそり打ち明けられた。誠の父親に間違えられた件についてはその場で笑い話として流したはずだが、修一は涼子の体面を気遣っているという話だった。
熱が下がってくると、誠はベッドの上でじっとしていられなくなった。家から持ってきたおもちゃで遊んでもらうが、そうそう涼子も相手をしていられない。そんな時に修一が見舞いに来てくれて誠の相手をしてくれると助かった。その間、病院内の喫茶店で真紀とお茶を飲んで息抜きをしたり、買い物しに外出したりした。
家から持ってきた物や、真紀と修一からの差し入れもあって、誠の枕元にはたくさんのおもちゃや絵本が積み上げられている。だが、誠が飽きもせずに気に入って遊んでいるのは、修一からもらったラジコンのダンプカーだ。家にいた時は庭の土を入れて遊んでいたが、病室ではそうはいかない。仕方なく、これも修一からもらった積木を荷台に乗せては降ろすを繰り返して遊んでいた。他にはけん玉だとかヨーヨー、トランプ遊びなどを一緒になってしている姿は、仲のいい親子にしか見えない。
ふらりと見舞いに訪れた雅弘が出くわしたのは、まさに修一が誠と楽しそうに遊んでいる場面だった。
「中学時代の同級生の、都筑くんと広田さん」
ふたりを雅弘に紹介し、雅弘については誠の父親だと紹介した。
「遠藤です」
ふたりにむかって軽く会釈をし、雅弘は見舞いだと言って膨らんだ紙袋を涼子に渡した。中身は絵本と子ども向けのDVDだった。
「わざわざ、ありがとう」
涼子が紙袋を誠の枕元近くの床に置いている間、修一の目は誠の手にしたオレンジのダンプカーに注がれていた。ついさっきまで修一と遊んでいたおもちゃだ。
「それじゃ、私たちはこれで失礼します。行こう、都筑くん」
真紀に促され、修一は帰り支度を始めた。
「もう帰るの? もっとあしょんで」
誠が修一のジャケットの裾をつかんで引き止めた。今にも泣き出しそうなほど顔が赤かった。誠の頭を軽く撫で、修一は
「また来るからな」
と言い残し、病室を後にした。
「誠、元気にしてたか?」
半べそをかいたまま、誠は頷いてみせた。
「退屈してるだろうと思って、パパ、いっぱいDVDを持ってきたぞ」
雅弘はそう言って、紙袋からDVDを取り出し、携帯してきたポータブル再生機にディスクを差しこんだ。たちまちアニメのテーマソングが流れだす。画面が見えやすいよう、雅弘は再生機を持ってベッドの脇に腰かけた。
ダンプカーを胸に抱いたまま、しばらく画面を見つめていた誠だったが、そのうちに船を漕ぎ出したかと思うと、ダンプカーを枕に寝入ってしまった。誠を起こさないよう、ダンプカーを枕と取りかえ、涼子は肩まで毛布をかけてやった。
「DVD、消してくれる?」
涼子に言われ、雅弘はポータブル再生機を閉じた。
「この間の話、考えてくれたか」
やはり復縁の話をしに来たのかと涼子は身を固くした。ゆっくり考えてくれと言われたのに甘えて返事は延ばしていた。頭ではどうするのが一番なのかわかっていながら、行動に移ることができないでいる。
「いい返事がもらえないでいるのは、あの男のせいか」
「……」
「付き合っているのか」
「ただの友だちよ」
涼子は小さいため息をついた。克弥も、涼子と修一の仲を疑ってかかった。だが、克弥も雅弘も見当違いもいいところだ。過去の恋心を打ち明けられたものの、修一とは何もない。
「それにしちゃ、誠がえらく懐いているじゃないか。あの男、お前に気があるんじゃないか。将を得んと欲せば馬を射よって言ってだな。誠に取り入ってお前をものにするつもりじゃないのか」
「仮にそうだとして、だったら何だっていうの」
涼子は苛立ちを覚えた。余計な詮索をする雅弘に対してもだが、修一の友人として節度のある態度にも腹が立った。雅弘の言う通りだとするならば、修一はもっとはっきりした好意を示していてもいいはずだ。
「お前もまんざらでもないんだな。だから、俺との復縁を迷っているんだ」
「……」
「気があるんだな」
今度は雅弘が苛立つ番だった。両手を頭にやったり、時々は天井を見上げたりなどして、雅弘は仕切りのカーテンと誠の寝ているベッドの間を行ったり来たりを繰り返していた。しばらくそうしていたかと思うと、立ち止った雅弘は指の関節が白くなるほど強くベッドの鉄柵を握りしめ、涼子に迫った。
「子どもが大変な思いをしているって時に、恋愛している場合か!」
「私は独身よ。したい時に恋愛するわ。それに、そのつもりがなくても恋には落ちてしまうものだわ」
涼子は雅弘の強い視線を受けても目を逸らさなかった。
「母親なんだぞ!」
「母親が恋してはいけないっていうの?」
「女である前に母親なんだから、子どもの事を一番に考えるのは当たり前だろうが!」
「あなたは父親なのに、子どもの事を一番に考えたりしなかったわ。私の事もね。私が誠を妊娠中に浮気して、男であることを優先したあなたにとやかく言われたくはない」
デジャブだった。離婚前に繰り返された、誠を起こさないように声を押し殺しての諍い。浮気を謝ろうとは決してしなかった雅弘に対し、涼子は子どもじみた頑固さで抵抗するしかなかった。
「もういい。よくわかった」
鉄柵越しに乗り出していた身を、雅弘は引いた。怒りで真っ赤になっていた顔が急に冷静さを取り戻しつつあった。
「お前には誠を任せられない。男にかまけて誠の面倒をみなくなりそうだからな。誠は俺が引き取る。お前は恋愛でも何でも勝手にしてろ」
雅弘はまるで汚いものでも見るようにして、椅子に座っている涼子を文字通り見下して言った。
「冗談じゃないわ、誠はあなたには渡さない! あなただけには渡さない。あなたみたいな父親失格な人間にだけは!」
椅子から立ち上がった涼子は雅弘の目の前に立ちはだかった。
「俺はいい父親だっただろうが! 誠を風呂にも入れてやったし、ミルクだってあげてただろ」
「それは子育てじゃない。ただ、赤ん坊の世話をしたというだけ。それも自分のしたいことだけをね。汚いからと言ってオムツは絶対に替えてくれなかったし、自分が眠たいからってさっさと寝て、誠の寝かしつけは手伝ってくれなかった。そう、毎日夜遅かったものね。仕事じゃなくて、女の所に通っていたから遅くなっていたわけだけど。
あなたに誠は任せられない。自分のしたい事だけを押し付けるような人間が、誠の気持ちをくみとったり、考えを尊重して子育てができるとは思えないもの」
「俺はいつだって誠を大事にしてきたぞ」
「そうかしら」
そう言って涼子はベッドの上のポータブル再生機を指さした。
「誠はね、誰かと一緒に何かをするのが好きなの。絵本を読むのも好きだけど、読んでくれる人と一緒に声を出して読むことが好きなの。一方的に映像をみせられるだけのビデオは好きじゃないの。ビデオさえ見せておけばおとなしくしているだろうと考えるあなたにとっては都合のいいものだろうけど。
自分の都合ばかりを優先するあなたは決して父親にはなれない人よ」
雅弘と涼子とはむかいあったまま、身じろぎひとつしなかった。口では雅弘にかなわなかった。何かと言い返されてしまってばかりだったが、目の前に立ち尽くす雅弘は、見たこともない涼子の剣幕に驚いて硬直していた。
胸につかえていた気持ちをすべて言葉にして吐きだした今、涼子はようやく雅弘に笑顔をむけることができた。
「私たち、縁がなかったのよ」
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