第5話

同窓会に行くと言って出かけた先で涼子が会っていたのは、広田真紀だった。真紀とは中学からの幼なじみで、同じ高校に進学した仲だった。とある事情で真紀が高校一年で中退して以来、疎遠になってしまっていたが、実家に戻るとなった時、思い切って連絡を取って、それからは何かと会って話すようになった。何か資格の勉強をしたらどうかと言って涼子の背中を押したのは真紀だった。真紀もまた、シングルマザーだ。

「デートか何かのつもり?」

 涼子を一目見るなり、真紀は目をむいた。涼子が、カジュアルなレストランには似つかわしくない、ブルーのアンサンブルを着ていたからだった。真紀は、スキニージーンズにざっくりとしたセーターをあわせただけのラフな格好だった。すっぴんの真紀に対し、涼子はフルメイクだった。

「同窓会に行くって出てきた手前、それなりの格好しないといけなかったのよ」

 席につくなり、涼子はテーブルにあったナプキンで口紅をぬぐった。

「何で同窓会に行くなんて嘘ついたの。そうでもしないと外に出してもらえなかったの?」

 注文を取った店員がテーブルを去るのを待って真紀が口を開いた。

「母が、同窓会には行けってうるさくて」

 就職のコネ作りのためにうんぬんと、涼子は真紀に説明して聞かせた。腕組みした両手をテーブルの上に起き、真紀は時折うなずきながら話に聞き入っていた。

「お母さんの言う通りね」

 腕組みをほどき、真紀はグラスに手をのばした。

「真紀もそう思う?」

「涼子だって、わかってはいるんでしょ?」

 注文した料理をもって店員がテーブルにやってきたので、会話は中断された。

「それで、就職、こっちでするの?」

 店員が去るのを待ちかねたように真紀が身を乗り出して尋ねた。

「わからない。まだ考えてなくて」

「今から考えておいた方がいいよ。二年なんてあっという間だから」

「わかってる」

 同じことを言われるのでも、真紀からだと身の引き締まる思いがする。

「真紀は、どうしてこっちで就職したの?」

 高校を中退したため、真紀は高校卒業認定資格(真紀が受けた当時は大卒検定資格)を得て看護学校に進学、今は隣県の県庁所在地にある総合病院で看護師として働いている。

「浩介のことがあったからかなあ」

 考えるように首を傾げていてあらぬ方向を見ていた真紀はそう言って涼子の方に向き直った。

 真紀は十六歳で浩介を産んだ。父親は涼子たちの高校に教育実習生としてきていた男だった。真紀は退学を余儀なくされ、地元に居づらくなった真紀たち一家は隣県へと引っ越していった。

「子どもってね、ちょっとしたことで体調崩したりするのよ。そのたびに親が呼び出されるんだけど、仕事してたら、簡単には抜けられないでしょ。学校でさえ、なかなか抜けられなかったのに、仕事ならもっとシビアだなと思ったら、浩介の面倒は親に見てもらうしかない、親の近くにいた方がいいなあって」

「親は何て? 子どもの面倒を見るのは嫌だって言われなかった?」

「妊娠した時は散々怒られたり泣かれたりしたけど、生まれてみれば孫は可愛いのよね。東京あたりで仕事探して親子ふたりで暮らしていくって言ったら、涼子のお母さんみたいに反対したかも」

「反対されているわけじゃないわよ。こっちで就職したら、っていうプレッシャーをかけてきている程度」

「涼子がひとりで苦労するのが見えているからじゃない」

「真紀にも、私が苦労する将来が見えるわけね」

「まあ、そうだね」

 涼子はグラスを両手で握りしめた。未来を映し出す水晶の玉でなくても、親元を離れては誠を抱えて苦労する将来がくっきりと浮かんで見える。

「同窓会、出るべきだったのかな……」

 聞き取れるか取れないかほどの細い声で涼子は呟いた。

「でも、出たくなかったんだよね」

 真紀の言葉に涼子はうなずいた。

「気持ちはわかるよ。こっちに戻ってきたこと、いろいろ聞かれるだろうから」

「真紀もいろいろ聞かれた?」

「私? 私は同窓会なんか一度も出たことないから。案内だけはくるんだけどね。出たら、根掘り葉掘り聞かれただろうな。相手の男のこととか、どうしてそうなったとか、なんで結婚しなかったんだとか。まあ、私が出席したらしたで、みんなの方が扱いに困っただろうけど。何を話していいか分からないだろうしね。未婚の母の話をしないとしたら、する話ないもの。高校は中退してるわけだし、子育てもさっさと終わってるし。こっちは十五歳の子どもがいるっていうのに、周りは結婚もしてないんだから、共通の話題なんかないわよ」

「真紀は物凄いスピードで人生のトラックの何周も先を行ってるのよ」

 人生をトラック競争に喩ると、面白いわねと真紀は笑った。

「結婚といえば、タッちゃん、今度結婚するんだって」

「恐るべし、田舎の情報網!」

 真紀はそう言って耳ざとい涼子をからかった。

「母から聞いたの」

「田舎のおばちゃんたちの情報網ってすごいよね。何でも知ってるもの。私が妊娠した時もいろいろ、あることないこと言いふらしてくれたっけ」

 真紀はからりと笑ったが、当時は笑えなかったはずだ。他人だった涼子ですら、真紀に対する勝手な噂を耳にして不愉快に感じたのから、本人なら腸が煮えくり返るような思いがしただろう。無責任な噂に追い立てられるようにして、真紀たちは隣県へと引っ越していかざるを得なくなってしまった。

「私がこっちに戻っていること、いろいろ言われているのかな……」

「少なくとも、離婚については知られていると思う」

「そうだよね、たぶん、タッちゃんのおばさんからタッちゃん本人に伝わって、こっちに残ってる人には知られてるよね」

「別に知られてもいいじゃない。それならそれで、開き直って、『シングルマザーです、仕事紹介してください』って言いやすくなるんだから」

 真紀は店員を手招き、グラスワインを注文した。

「涼子が同窓会に出たくなかったのはさ、他にも理由があるんじゃない」

「他にって何?」

「山下大輔」

 ワイングラスを手にしたまま、真紀は涼子にむかって人差し指を突き出してみせた。

「彼に会って幻滅したくないとか、そんなとこじゃない?」

「そんなことないわよ」

 そんなことはあった。同窓会に出る気がしなかったのは、もしかしたら山下大輔も来るかもしれないと思ったからだった。彼にどんな顔をして会えばいいのだろう。離婚し、子どもをつれて故郷に戻ってきた自分を彼はどう思うだろう。

 山下大輔は、涼子が初めて付き合った相手だった。中学三年の春から夏休みまで、付き合うといっても、登下校を一緒にするといった程度で終わった関係だった。それだけに、かえって清らかな思い出だけが残っている。大輔との初恋の思い出を壊したくはなかった。彼の思い出の中の、幼い少女だった自分の姿を上書きしてしまうのも嫌だった。せめて、誰かの思い出の中にだけでも美しく存在していたかった。

「大丈夫、彼なら今海外だから」

「海外?」

「えっと、どこの国って言ってたかな? 聞いたけど忘れた。青年海外協力隊に参加しているんだって」

「真紀の情報網も捨てたものじゃないわね!」

「彼のお祖母ちゃんが、私の働いている病院に入院したことがあって、その時、聞かされたのよ。同部屋の患者さんたちにも話していたから、私が孫の同級生ってわかってて話していたわけではないみたいだったけど」

 思い出は無事に守られた。山下大輔の知る涼子も中学三年の初々しい少女のままでいられる。遠い日に思いを寄せ、涼子は目を細めてワイングラスの底をみつめていた。

「都筑くんは涼子が来なくてがっかりしているかもしれないけどね」

「誰?」

 顔をしかめてみせた涼子に、真紀はぐっと顔を近づけてきた。

「都筑修一。覚えてないの?」

 ツヅキシュウイチ、ツヅキ……涼子は口の中で名前を何度も繰り返したが、そうすることでたぐりよせられるはずの記憶そのものが存在していない。

「同じクラスだった?」

「呆れた、ホントに覚えてないのね!」

 どうやら涼子がとぼけているとうたぐっていたらしい真紀は、勢いよく身を引いた。

「金魚のフンみたいに、山下くんにひっついてたじゃないの。いつも三人一緒で、涼子と山下くんがデートする時もくっついてきたって言ってたのに、なあに、全然覚えていないの?」

「三人一緒で……」

 塗りこめていた記憶の漆喰がぽろりと剥がれ落ちた。その下に、若い男の顔の一部がのぞいてみえた。短く刈り込んだ髪、鼻筋の通ったやや大きめの鼻、美しい形の唇。

 ツヅキ、ツヅキ……念仏のように名前を唱えながら、涼子は記憶の漆喰を剥がし始めた。くっきりとした眉の下の大きな瞳……見覚えのある眼差しだ。大きな瞳から発せられる力強い視線を浴びた経験がある。だとすれば中学時代だが、そんな昔ではない気もする。

「なんか、思い出してきたかも。いつも山下くんと一緒で、私のこと嫌いなのか何なのか、すごい目で睨んでいたっけ」

 記憶は完全によみがえった。と同時に、都筑修一に睨みつけられて嫌な思いをしていた当時の感情もこみあげてきた。何も言わず、大輔の隣から涼子をただただ睨みつけるだけの都筑修一は不気味で、大輔と二人きりになろうとするのを邪魔する憎たらしい存在だった。

「私や山下くんの気づいていないところで、私のこと、じっと見てたの。初めは気づかないふりで無視してたんだけど、段々気持ち悪くなったの、覚えてる。というか、今思い出した。真紀のせいで、嫌なこと思い出しちゃったじゃない」

 顔をしかめてみせる涼子にむかって、真紀が口を大きく開けて笑ってみせた。

「知らぬは本人ばかりなり、ね」

「何よ、いきなり」

「都筑くんはね、涼子のことが好きだったんだよ」



 誠を起こさないよう、涼子はそっと押入れから段ボールに入っていた中学校の卒業アルバムを取り出した。ページをめくって「都筑修一」の名前のある顔写真を探す。体育祭や修学旅行などの写真につい見入ってしまいながらも、ようやくクラス写真の中に都筑修一の写真を発見した。

 アルバムの見開き中央付近に、都筑修一の写真はあった。紺のブレザーの制服姿の上半身で、正面を向いている。青いネクタイがやや右に曲がっていた。くっきりとした眉のすぐ下の大きな目がカメラにむかって強い視線を投げかけている。意思の強さを見て取れるその顔つきは大人びていて、とても十五歳には見えない。三十歳だと言われても違和感のない貫禄のせいで、都筑修一は「おやじ」というあだ名をつけられていたと、涼子は思い出した。三十を過ぎた今も顔は変わっていなかった。都筑修一は、バックミラー越しに涼子を見つめていたあのバスの運転手だった。

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