『海を愛する』



-君を失った僕がどうなってしまうのか

-神様しか知らない


「God Only Knows」The beach boys(1966)




 高校3年の初夏。

 防波堤の上に足を投げ出して座り、ビーチボーイズのコンパクト・ディスクをポータブル・プレイヤーに入れて再生ボタンを押した。2005年のことだ。当時はまだ音楽をディスクで持ち運ぶのが一般的な時代だった。

 潮騒の中に優しいフレンチホルンの音色が混ざり、眼前に広がる夕刻の海辺に溶け込んでいく。

 高校生活も残り半年あまりとなり、僕には多くの考えるべきことがあった。そして努力したり、あるいは決定したりしなければならないことがあった。しかし、それらと向き合おうとすると、僕の心は決まって厭世的な牢獄に閉じ込められた。叫びをあげることが許されぬ世界で、幽閉された壁が少しずつ迫ってくる。やがてそれは、この牢獄ごと壊して僕を潰してしまうだろう。

 その恐ろしい絶望から僕を救ってくれたのは、海だった。

 大きな海の前では、人は地位も名誉も関係なく、その寛大な姿に僕はいつしか心を奪われていた。


***


 高校3年の夏、僕は海を愛し、潮風を愛し、防波堤を愛した。


***


 それから毎日、僕は防波堤で海を眺めた。

 秋がその存在を人々に気付かせるようになった頃、当時の僕にとって重要な出来事が起きる。防波堤が立ち入り禁止となったのだ。

 当時の僕には詳細を調べる能力も気力もなかったから、詳しいところは分からないが、おそらく何らかの海難事故が影響しているらしかった。

 防波堤に立ち入ることが出来なくなったことで、僕は海との接点を失うこととなった。

 もちろん海をただ見るだけであれば他の場所に行けば良かったのだけれど、僕が望んでいたのは海との繋がりであり、防波堤での海との交渉だった。それは、他の場所では決して望めないことだった。

 一度試しに別の場所に行って、渚をしばらく見続けたことがある。しかし、どれほどの時が過ぎようとも、僕の心が癒されることはなかった。


***


「それで?」と彼女が話の続きを促した。

「これでお終い。僕はその後、防波堤に行くことはなかったし海に行くこともなかった」

 僕は答えながら、あれから10年の時が過ぎてしまったことを改めて考えていた。僕は28歳になり、引っ越しをして地元を離れ、とある会社で営業の仕事をしていた。

「どうして、防波堤だったの?」

 僕の返事に納得がいかなかったのか、彼女は再び質問をする。

「きっと、海と個人的な繋がりを持てる場所だったからだと思う」

「ふうん」

 彼女は諦めたように声を漏らし「あのさ、繰り返して聞くようで悪いんだけど」と言った。

「今のは初恋のエピソードなんだよね」

 僕は頷いた。僕らはお互いの初恋についての話をしていた。

「そうだよ。今のが初恋の話」

「今の話のどこに恋の要素があったのか、私には分からなかった」

 彼女は不満そうにそう言った。

 僕はそれに対して何かしらの抗弁をすべきだった。しかし、僕は何も言い返すことが出来なかった。

 結局、彼女とはお互いの理解を得られずに別れることとなった。僕は彼女のことを愛していた。そしてそれと同じくらい、今も海を愛していた。


***


 その日の夜、僕は車を走らせて地元に帰った。

 帰省することは誰にも伝えなかった。田舎の夜道をひたすら走り、堤防で車を停車させると、車から夜の世界へ降りる。

 僕は立ち入り禁止の看板で塞がれた区域に、看板を乗り越えて無理やり侵入した。

 そうして、夜の海に伸びる防波堤と再会した。

 僕は先端まで歩いて行きそこで腰を下ろし、缶ビールを開けて飲んだ。頭の中では、God Only Knowsのメロディが繰り返し流れていた。

「色々あったんだ」

 僕はそう報告した。

「でも、僕はやっぱり君が好きだ。君が僕を望まなくとも、僕は君を望んでいる。それだけ、伝えたくてね」

 

Fin.


<追記>

God Only KnowsとThe Beach Boysに敬意を表して。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨミキリ小説 ワタリヅキ @Watariduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ