『消しゴムが鳴らす恋』

 騒がしい休み時間の教室の中、ケイタは消しゴムを手に持ったまま立ち尽くしていた。

 床に落ちていた消しゴムには、フウカの名前が書かれていた。クラスメイトの女子の名だ。

 彼はその消しゴムを拾って、彼女の席の近くまで歩いてきたところだった。

 この消しゴム、床に落ちてたよ。その一言と共に持ち主へ返してあげれば良いだけの話なのだが、奥手な彼にとってそれはとてもハードルが高かった。

 ようやく、意を決してフウカに声を掛けようとした時、

「ケイタ、どうかしたのか」

 同級生のタカシがいつの間にか隣に立っていて、不思議そうにケイタを見ていたのだった。そして、ケイタの右手の消しゴムに気がつくと「あっ、その消しゴム、フウカのだろ」と言って彼からそれを取り上げた。

「あっ」

「いいよ、俺から渡しといてやるよ」

 悪意のない無邪気な声でそう言ったタカシは、次の瞬間には難なくフウカに話しかけて消しゴムを渡していた。

 ケイタは束の間呆気に取られてしまっていたが、二人がその後も笑顔で仲良さそうに話をしている様子を見て、何故かそこに居られなくなってしまった。

 タカシが何かを言ってフウカが笑う。ケイタは自席に戻ってからも、気にしないように自分に言い聞かせていたが、二人の会話が気になって仕方がなかった。そして、消しゴムを自分が渡せなかったこと、二人の会話に入っていけなかったシャイな自分にやるせなさを覚えていた。

 もし、と彼は思う。もし、また消しゴムが落ちるようなことがあれば、次に拾ったらちゃんと自分で渡してあげよう。そして自分の言葉を彼女に届けよう。彼はそう決意したのだった。


***


 消しゴムを落としたのは、わざとだった。

 同じクラスの平凡な同級生、見た目も性格もいまいちパッとしないの男の子。彼の第一印象はそれだった。

 ただ、ある時気づいた。彼はもしかして自分を意識しているのかもしれない。

 それは直感のようなもので、もちろん勘違いの可能性もあった。彼とはこれまで話したこともなかったし、特に関わることはなかった。でも、ふとした時に目線が合ったり、なんとなく彼がこっちを見ているような気がするのだ。

 消しゴムを落としたのは、それを試すためだった。

 彼女の読み通り、彼は落ちた消しゴムにちゃんと気付いて拾ってくれた。

 よし、彼女は心の中で呟いていた。

 消しゴムを拾ってくれた。

 会話をするきっかけが生まれる、フウカは自分でも気づかないうちに心嬉しくなっていた。別に私は彼に対して特別な感情なんてないと思っている。しかし、なぜか彼のことが気になってしまっている自分がいる。

 この矛盾は何なのだろう。

 彼女はケイタと話をすることで、その正体を知りたいと思っていたのだった。


***


 フウカの様子がここ最近変わったと、タカシは気付いていた。

 最初は気のせいかと思っていたが、彼女はなぜかケイタを意識して見ているような気がしたのだった。

 例えば、授業中に先生がケイタを指名した時、フウカは他の生徒だったら特に何の反応もないのに、ケイタの時だけは彼の方を見ていて、彼の発言を気にしているのだった。

 いや、ケイタの方も彼女のことを意識しているのではないか。そう考えてみると、ケイタもフウカのことを目で追っているような素振りを見せる時がある。

 タカシはそんな二人の距離が縮まることに危機感を抱いていた。

 だから、ケイタがフウカの消しゴムを拾って立っているのを見た時、偶然を装って彼に話しかけて、彼の持っていた消しゴムを取り上げてしまったのだった。

 性格が悪い行為だとは彼自身自覚はあったが、彼はフウカを好きである以上、引くわけにはいかなかったのだ。


***

 

 次の休憩時間、一人の女子生徒の机から、またしても消しゴムは落ちていった。

 それが床に落ちた小さな優しい音は、3人の鼓膜にしっかりと届き、そしてそれは何かの始まりを告げているようだった。


 Fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る