4月8日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで豊田四郎監督の「泣蟲小僧」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで豊田四郎監督の「泣蟲小僧」を観る。


1938年(昭和13年) 東京発声 80分 白黒 35mm


監督:豊田四郎

原作:林芙美子

脚色:八田尚之

撮影:小倉金弥

美術:河野鷹思

音楽:今沢将矩

出演:林文雄、若葉喜代子、栗島すみ子、逢初夢子、横山一雄、梅園竜子、市川春代、高島敏郎、一木礼司、藤井貢、山口勇、藤輪欣司、吉川英蘭


子供に軸を置いた物語にしては、過酷な内容だった。大人になってから苦労するのではなく、物覚えがついてまだまだ両親を必要とする少年でありながら、人生そのものを悲観して一生涯陰を落とすのではなく、そもそも立身出世どころか一般庶民の暮らしさえままならない天涯孤独の身になりかねない境遇で映画は終わる。


上映後に作品の説明を読んだら、林芙美子さんの同名小説の映画化とあり、納得できた。


昨日の映画と同じ豊田四郎監督という個性を感じられる作風となっており、原作選びの特徴と女心の描き方には成瀬巳喜男監督に共通する女性らしさがあった。成瀬監督ほど長回しをしないが、女特有の都合のよいお愛想と、本人は騙せていると思っているが、野性的ともいえる感受性で嘘くさい演技など見抜く子供の前で、まさに子供騙しの嘘と言い訳を平然と言う大人の態度が描かれており、観ていて呆れるほどいやらしく表れている。これら表面で取り繕い、裏でこそこそ軽口でくさす人ほど漏らしやすいもので、本人に聞こえたらどう思うかという配慮がないことを証明するように、聞こえるところで会話する不出来が付随する。


人それぞれの相性はあるだろうが、自分にしても泣いたり黙られたりするのは苦手で、大声でわめいてぶつかってくるほうが好ましく思える。この映画に登場する男の子は作品名の通りやんちゃよりも優しい心根を持っており、純朴な性格な子供ほど言い訳することなく、大切に思う人からの悪態に対して内側で我慢するのだろう。


今で言う暴力のない児童虐待で、新しい父親になびく母親に育児放棄された子供の流転の前触れとなっていて、この作品では母親の姉妹を転々とするが、映画の先では長い一生の苦難が待ち受けていることが知れる。それは尺八吹きの心優しい男性に肩車されて、アーチ形の高架橋に二両の電車が走る昔の渋谷近辺の涙ぐましいほど歴史的な家並みの屋上で、富士山を観ながら「箱根八里」を歌う姿に未来予想図があるからだろう。男は、ぐっと我慢して泣いてはいけない、一般庶民の男は我慢する事の方が多いと諭す言葉は、小さな子供の一生の指針として人生を耐えさせるのだろう。


今日は録音状態も問題なく、飲み屋の賑わしさや飲み屋街の風情も昔ながらの良さがあり、こすい顔する母親の表情は嫌になるが、実際子供と別れる時に多少の罪悪感を覚えるような面持ちもみせるところなど、ところどころのシーンで細かいニュアンスが演じられており、あまり知りたくない世知辛さが伝わってくる。


「火垂るの墓」の親戚もきつくあたっていた。それは親戚だからまだしも、実の母親から見捨てられることほど辛い事はないだろう。今の時代にもある子育ての問題は、母性が当然の状態として考えるよりも、男女の愛情が強いと簡単に打ち消されると示している。その身勝手なところが人間らしく、それでも子供はどうにか育っていくだろうと暗示するところに、小さい大きいに関わらない人間の強さもあるのだと、苦難の多いこの世界の実像における向かい方を観るようだった。

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