4月9日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで阿部豊監督の「太陽の子」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで阿部豊監督の「太陽の子」を観る。


1938年(昭和13年) 東京発声 90分 白黒 35mm


監督:阿部豊

原作:真船豊

脚色:八木保太郎

撮影:小原譲治

音楽:津川主一

出演:大日方傳、逢初夢子、原泉子、藤輪欣司、山口勇、岡田友宏、三井秀男


昨日観た豊田四郎監督の「泣蟲小僧」の続きを扱ったような作品で、北国という舞台にキリスト教に基づいた同性の集団教育を描くのは、一昨日観た「若い人」にも通じる内容だった。


更正よりも新生を主題とする作品となっており、前半は親に捨てられ非行に走ってきた子供達にスポットが当てられている。少し毛の長い坊主頭の少年青年達の生活は少年院のような様相があり、荒っぽさはやはり喧嘩を起こすのだが、そのタイマンのシーンは月夜の森の中で長々としたカメラ回しで描かれていて、道具を使わずに体で戦う姿は理想的にさえ見えてくる。


靄のかかる森の中で生徒を座らせて聖書の一節を読むシーンは厳粛な雰囲気があり、斧で木を倒すシーンは力強く、背景が自然よりも人工的なセットに見えてしまう画面もあるが、宗教観を含めてドイツの森を感じさせる。しかし三人の生徒が馬を囮に脱走すると、森を抜け出した広大な大地が果てしなく広く、それぞれの生徒に焦点を持ちながらそれほど展開しない脚本の意味が飲み込めるようだった。一人の人間から掘り出すのではなく、群像の背後にある自然環境こそ見せるところなのだろう。


ところが後半になると大日方傳さん演じる先生に劇的な変化が起きる。聖書を読み、生徒に対して真っ当な事を話す背筋の伸びた人物が、東京で腹違いの姉から女性を紹介されると、映画はポンポンポンと編集される。馴れ初めは省かれ、結婚シーン、北国への列車移動など映画らしく無駄の省かれた場面が続くと、それほど待たずに、結婚した女性が自殺しようとするのだが、その訳を問いつめるが口を開かない新妻の態度に先生は半狂乱になり、銃口を額に突きつけながら、「こうしていると、冷静に考えられるんです」のような事を言う始末だ。堕落ではないのだが、健全としていた先生がこうもたやすく女性の事で変貌するのはおかしいと思っていると、事情が開示される。そこからの演出が涙ぐましく、前半はドイツの森らしかったが、後半はキリスト教観点からの許しと救いが希望を持って語られ、ロシア的な色合いを強く出している。それはトルストイやドストエフスキーそのままのような、プロテスタントよりもロシア正教会を感じる泥臭い人間がいるのだ。


和物よりも輸入としての思想と教育が映されてはいるものの、捨てられた子供達がいかに生きるべきかが説かれており、ただ両親を憎むのではなく、貧しい環境こそがそうせざろうえない親たちを生んでいるのであって、何も考えずに子供を捨てたのではなく、親は生きるか死ぬか悩みながら子供のことを考えていたと諭す場面は、メキシコのドキュメンタリー映画でも観た今もまったく変わらない児童虐待の本質の根っこが感動的な画面から教えられていた。


編集と脚本は時に単調だったとはいえ、自然風景の素晴らしさと、長回しによるシークエンスの存在感はたしかにあり、すこしいびつでも心にぶつかってくる要素がいくつもある映画作品だった。

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