3月27日(土) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から開高健の「一日」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から開高健の「一日」を読む。


春のど真ん中の今日に、わざわざ午前の晴れ晴れを避けるように部屋に閉じこもり、茹だるような短編小説を読んだ。


釣りのイメージの強い開高健の作品に触れたことはあるようでなく、約十五ページのこの小説を読んで、釣り好きは食通であることが知れた。


厳密な構成と人物造形による小説よりも新聞記者らしい描写力を持ったルポとなっており、おそらくサイゴンだろうか、ベトナム戦争の最中における資本主義陣営の本丸らしい街の中の一個人の一日が描かれている。改行少なくびっしり文字を詰めた文体でも読点の細かい分断は読みやすく、晦渋な表現は用いずにあくまで風景描写の中で本人の心理描写が加えられている。やや重複する要素があるのはおそらくありのままペンが動いて書かれた運びによるものであろう。推敲によって削られることなく残されているところには、おそらくリフレインのような風合いが必要だったのだろうか。


北ベトナム軍のゲリラが街をいかに脅かしているか描写に富んでおり、村や郊外の戦闘による農民の避難が街のいたるところに溢れ重なり、一発のロケットによる被害をシチューをぶちまけたような様相という比喩が用いられていて、ところどころにこの作家の個性らしく感じる類稀な表現の鋭さがあり、単なる紀行文にならない小説家の視点が宿っている。


一度でもベトナムを訪れたことのある者なら誰でも体験している湿気と温度が生々しく記述されていて、そのなかにパクチーに対する日本人の好みも言及されている。イメージ通りこの小説家はパクチーが好きらしく、特派員としてバンコク経由で派遣されている若い日本人男性が“ヘコキ虫”といって好まない姿も対比されており、それがそのままこの戦争の街における立場の違いとなって表れ、それがひょんな拍子に死へとつながっている情景が深刻に描かれている。そこには一歩後ろにさがって諦観する視点ではなく、同情と共に自身の存在の危うさと偶然の命拾いが己の心境に波及して動く姿として投影されており、その中でメコンデルタらしき風景に娼婦を買い、朝をたくましく迎えて一日が終わる。


すっきりした内容よりも描写への偏重がやや感じられる内容となっており、純文学として読み手に与える文芸性よりは、事実をそのまま伝えるところに意識の状態を含ませて、視覚的な光景に足の運びを確かにみせている。


ベトナムの食の描写や説明だけでも楽しめる作品だが、戦争時における街の状態としての資料も強く、なにより文体そのものが柔ではないので、読み手を選ばない通俗性の中に深みを持つ作品だろう。

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