3月24日(水) 広島市西区横川新町にあるコジマホールディングス西区民文化センターで「桂まん我 ひとり会」を聴く。

広島市西区横川新町にあるコジマホールディングス西区民文化センターで「桂まん我 ひとり会」を聴く。


牛ほめ

仔猫

猿後家


二週間くらい前にダイレクトメールで知った「桂まん我 ひとり会」に足を運んだ。


コロナウィルスが回り始めてから失礼を言うようだが、良い意味で落語は“しぶとい”という感想を持つことが何度かある。それは春風亭一之輔さんや桂鯛蔵さんの高座よりも、桂まん我さんの姿を去年から観ているからで、それまでは横川落語会で古今亭菊志んさんや柳家小八さんを観ていたが、ホールでの寄席は中止が続き、大広間でひっそり行われるまん我さんは必ず噺に来ているからだ。


マクラではコロナの影響による苦境が毎度述べられる通り、今日も自虐らしく“不急”を抜いた“不要”という言葉で落語を評価していた。深刻な事態に直面しているのはどの業界も似たり寄ったりにしても、ウィルスの流行ってから聴いた落語家の全員が肩の力の抜けた、むしろブラックなほどの笑いへと落語の立ち位置を持ち込んでおり、まさに笑うしかない姿を演じている。ここに悲壮感は見られないが、切羽詰まっているからこその特別なユーモアがあり、この姿勢はどんな状況であっても変わらない安心感がある。


だから落語を聴きに行くのだろう。鋭い視座を持たない落語家は一人だっておらず、どの方も飄々としながら社会に鋭い眼差しを置いていて、仙人のように本質を見抜きながら一歩退いて俯瞰している。だからこその余裕があり、それがなければ落語には決してならない。


とにかく桂まん我さんが来たので、いつも通り畳の椅子に座ってくつろいだあくびを含めながら聴いていた。上方落語はほとんど知らないが、この方は連射して喋らず、やはり兵庫出身といういくぶんおっとりしたところがあるのだろうか。スピード感よりもじっくり聴く語り口となっており、鋭い変化や技巧的な演じ分けよりも、なんとなくにじみ出る登場人物がおおらかに現れている。とはいえ場面場面の人物像はもちろん存在しており、「仔猫」なら主人に貫禄が現れており、お鍋の不気味な姿は夏場の怪談話のような雰囲気で描かれていた。


「牛ほめ」は何度か聴いており、噺の内容は落語らしい聞きかじりのおかしさなのだが、今夜は今の日常には希薄となった美文としての誉め言葉の形式がおいしく感じられた。ああいった意味よりも雰囲気だけの単語の並びは、やはり伝統芸能の中で人物と共に生き残っており、一朝一夕では生まれない生活から重ねられた人々の知恵と見栄は、聴いていて溜飲が下がるような心持ちになる。


「仔猫」はぐいぐい引き込まれる物語展開がおもしろく、ただ笑うだけでないストーリー性に落ち着いた噺を聴いた。女性を重箱に例えるくだりの話っぷりにうなずくだけでなく、血なまぐさいシーンに不穏を感じ、キセルを吸いながら言いにくいことを話す演じ方など、聴きどころをそれぞれ堪能できる内容だった。


そして「猿後家」では抜かりなさそうな人物がつい抜け落ちてしまう内容が楽しく、人情話とは異なる気軽な噺に愉快な人物が登場して、似顔絵を描くコツについてのマクラそのままに、普段の生活にも応用できそうな女性心が極端におかしかった。


そんな具合に、タイミングよく高座を狙っているまん我さんの思惑通りかわからないが、今回も脱力の中でほどよく笑い、すっきりした落語だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る