3月23日(火) 広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・スタジオⅠで「作曲家を巡る旅vol.1 武満徹を聴く」を聴く。

広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・スタジオⅠで「作曲家を巡る旅vol.1 武満徹を聴く」を聴く。


ソプラノ:中川詩歩

ピアノ:吉川絢子

フルート:大林恵美


井沢満・詩、武満徹・曲:島へ

谷川俊太郎・詩、武満徹・曲:うたうだけ

武満徹・詩/曲:小さな空

武満徹・曲:雨の樹 素描Ⅰ

武満徹・曲:ヴィイス

メシアン・詩/曲:愛の星鳥

武満徹・曲:雨の樹 素描Ⅱ-オリヴィエ・メシアンの追憶に-

谷川俊太郎・詩、武満徹・曲:死んだ男の残したものは

谷川俊太郎・詩、武満徹・曲:MI・YO・TA

武満徹・詩/曲:翼

アンコール

荒木一朗・詩、武満徹・曲:めぐり逢い


自分は根暗だと思う。でなければ文章なんて書かないと思う。気力がないわけではないのに冷ややかな目でものを見ている今日は、昼のRCCラジオにフジコ・ヘミングさんが出演していて、「ラ・カンパネッラ」が演奏されると、高音部のピアノのタッチがやけに耳に届き、決して走らない悠揚とは異なるテンポが急がずに聴こえてくると、音楽に対する自分の性質が垣間見えて、夜に歌を聴けることが喜ばしく思った。


それから北風の冷たい夕方に自転車を遅く走らせながら、マーラーの「亡き子を忍ぶ歌」を聴いていた。


数日前にジャズを聴いた時に、音楽を演奏している時にリアルを感じるというピアニストの話を耳にして、とても実感のこもった内容が胸に伝わり、自分も好きな事に向かっている時は同じだろうと思ったりしたものの、生み出したものはリアルとは正反対の代物になっている。人の生み出した音楽に接する時はおそらく自分こそ偽物だろうと思いつつ、夜の演奏会に足を運んだ。


小品の並ぶプログラムは、演奏会の名前の通り武満徹さんを聴いた。ただ音楽からその存在を知るのではなく、中川さんと吉川さん、それに大林さんによる丁寧な説明によって紹介されながら曲と向き合うので、事細かに感覚が向き、音楽に興味のない人でも武満さんを必ず知れる内容となっていた。


初めにピアノの吉川さんが持つ武満さんのイメージが紹介され、次にソプラノの中川さんの持つ武満さんが話された。この対比はこの演奏会を構成するのに欠かせない配置となっていて、自分は約二週間前に武満さんのピアノ曲で眠りに陥りそうになった難解な記憶を持っていたので、歌曲のわかりやすさは新鮮だった。


谷川俊太郎さんの詩や大江健三郎さんの短編小説からのインスピレーションなど一時代を築いた名だたる人との関連に時代を感じる作品が並び、日本語の持つ豊かな情感を直に味わえる歌だけでなく、自分の持つ印象通り現代音楽らしい謎めいた響きの曲も聴けて、その人物そのものが多様であることを知れる曲の配分となっていた。


そこに武満さんの性格として、ハッピーな気分でないと創作に向かえないから、夫婦喧嘩したらその日の内に謝って解決するなどの小話もあり、それぞれの曲に明るい印象で終わる傾向があるらしく、そこに死を身近に置いていたからこそ希望を意識する人生の姿勢も説明される。それらと連関するように自然を愛した人柄も話されて、原点、自然、文学、循環、影響、残る、などのテーマで区切られた音楽はそれぞれの一致を確実に耳へ聴こえさせていた。


話だけでも感想は多く書けるが、やはり演奏会は音楽を聴くところだ。「うたうだけ」もいいのだが、「小さな空」は作詞作曲が武満さんだったので、子供の時を思い出して歌った音楽は日本語と旋律が加わって、鮮明に情景を浮かばせて涙が目ににじむほどだった。


「雨の樹 素描Ⅰ」と「ヴォイス」は難しいイメージの武満さんらしい曲だったが、このような音楽と生で接する機会を持てるのは嬉しいもので、ハワイの樹木の説明から受けた映像がそのまま頭に残り、それを提示してもらわなかったら透き通るとは異なる和音の異彩な水の響きを感じようとすることはなかっただろうし、透明に対する内面の動きの変化がいかに特殊奏法によって表現されるのか、まるで手がかりは得られなかっただろう。


さらにメシアンの歌曲も生で味わえるのだから、この演奏会は大曲もなく長い時間でもないが、各エッセンスは明確に濃くなっている。中川さんは流川教会で聴いた宗教曲とは異なるものの、声量は広島で聴く他の歌い手さんに比べても抜群にあり、透き通る声の質はオペラやロマン派の歌曲も聴いてみたいが、大ホールでのミサ曲を聴いてみたいと思わせるほどで、高い天井のスタジオを通り抜けて響きそうな透過性もあり、表現力もまるで濁ったところがない。ピアノの吉川さんはそれぞれの「雨の樹 素描」で曲を生み出す経緯の違いが伝わってくる演奏となっており、メシアンの伴奏でも大きくないがはっきりと細かい音の粒が転がされていた。フルートの大林さんはそれほど出番は多くなかったが、難易度の高そうな曲を見事に演奏していて、細川俊夫さんの主宰する室内楽で聴いた音楽を思い出し、武満さんがいかに広島で演奏される機会の多い細川さんに影響を与えているのかどことなく感じるところだった。そして最後の曲では、フルートらしい音の綺麗な響きと歌声がすっきり感じられた。


次の作曲家を巡る旅は来年らしく、まだ人物は選ばれていないらしいが、安芸区で開催される予定だそうだ。安佐南や安芸となると未知の領域となりまったく足を運んでいないから、来年のタイミングがもう懸念されてしまう。というのもこのように学べる演奏会は珍しく、親しみやすさと難しさがこうも両極端なほど質良く味わえるのは、音楽が好きな自分にとっては魅力的なのだ。


自己の存在について周囲と乖離を感じるような時は、音楽がとても染みる。親しい誰かの一声も特別な情感を生み出すが、それがなかなか得難い環境にいるような時は、やはり芸術が存在を肯定してくれる。


寒さがきっと初秋の寂しさを募らせているのだろう。落ち葉は楠ばかりだが、再び春に向かう前の芸術の季節を感じる今日の演奏会だった。

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