3月21日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・多目的スタジオで「天辺塔が描く MOVE+ACT=物語るダンス 『MOVACT vol.1[Calling]』」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・多目的スタジオで「天辺塔が描く MOVE+ACT=物語るダンス 『MOVACT vol.1[Calling]』」を観る。


作・演出:中村房絵

振付:高橋さいこ

照明:上広貢

音響:山崎信明

舞台監督:池田典弘

演出部:奈地田愛

制作:小野佳世

宣伝美術:ナカムラフサエ

出演:高橋さいこ、岩手萌子、栗栖楓、江口萌、家守陽菜、船木めぐみ


表面と内面の一体したような舞台は波の音だけでなく、冷たさと心の響きを感じる音色の含まれた音楽の使用で背景は彩られていても、華やかな内容となっていた。花盛りに向かう今の陽気が関係しているのと、上演後の女性だけの声と笑顔の印象でそんな決定をつけてしまう。


声のない踊りと演技による肉体の舞台は、口を隠すだけでなく開いてはいけない今の時代を考慮しての表現なのだろうか。それは知れないところだが、天辺塔さんの公演は一度しか観ておらず、数年前の「オイル」は自分の中で良作としていまだ根強く印象は残っている。ぜひ次も観たいと思いつつもタイミングは合わず、ようやく公演を観にいけると思っていたら、コロナよりも前にインフルエンザに罹患して年末の二日間は行けずじまいとなった。そして作品上映に喜んでいたら、別のウィルスによって閉鎖されてしまい、ようやく数年待っての天辺塔さんの舞台鑑賞となった。


演劇公演の中止同様にダンス公演も姿を消してしまい、昨年の平原慎太郎さんプロデュース公演以来の踊りの舞台だ。幾度か観た岩手さんもいて、船木さんが俳優らしい貫禄で舞台の軸を支えていた。


天井から紐でぶら下がった調度品や日曜道具などを背景に、青い薄塗りの木の椅子や薄い布が小道具として使われる舞台で、前半はダンスによる演出に、後半は無言劇として表現の主体は分かれていたようだ。登場人物は固定されているのだが、舞台前は登場人物や物語の説明を一切読まないせいか、前半の高橋さんの動きをヘンレ・ケラーと勘違いしてしまい、岩手さんが登場して演劇らしい表現に入る前の発見と解放で、すでに水の言葉を手に入れてしまったのかと思いこんでしまった。


演劇と異なりダンスは音楽によって動きが生まれやすいので、選曲が内容を大きく左右するだろう。複雑で難解な音楽の使用はなく、ピアノやストリングスの綺麗な音色は心的世界を壊すことをせず、アンビエントやノイズの使用も少なくむしろ劇的な盛り上がりを持った音楽はとっつきやすかった。個人的にはワルツの扱いや、デュカスの「魔法使いの弟子」のようなリズムを持った音楽の中での格闘が最も面白く映り、野次馬精神にくすぐられて喧嘩を見て喜ぶコロッセウムの観客の気分でいる時もあった。


台詞抜きに一時間を超える舞台を表現するとなると、間違いなく難しいものがあるだろう。それも劇団月曜会さんの素晴らしい内容で観たことのあるヘレンとサリバン先生の物語はどうしても言葉を欲してしまい、一歩間違えれば獣的な格闘ばかりの単調な内容に落ち込んでしまうだろうし、肉団子や虫を似せたコンテンポラリーダンスばかりすれば、言葉を見つけるまでの異常の物と物の闘争と苦心は素直に伝わってこないだろう。共に孤独なもがきを基本としてつながりを結ぶこの物語を表現するのに、紐の使用は大きな理解の助けとなっていた。ヘムラインの裾と薄く柔らかい生地のスカートを共に三人娘の踊りは華麗ながらも、舞台を彩る妖精として様々な働きをしており、中心の船木さんは生地とデザインの異なる通り素晴らしい存在感を発揮している。「オイル」でも魅了されたが、目や姿勢を含めた俳優としての力量は言葉を抜きに放たれていて、ロープを操り、歩いたりするだけでなく、ちょっとした食事風景の表情の変化などにもこの物語の奥深い視線が感じられるようだった。その中で目に力のある高橋さんと、赤髪と性質がキャスティングとしてヘレンにうってつけだった岩手さんが明確な登場人物を演じており、視点の定まらない潤んだ目を持ちながらも、演劇よりも身体表現としてのリズムの中で絡み合い、熱量のあるぶつかり合いよりも、無言だからこそのナイーブな、体験を伝えて発見に至るまでの象徴的なイメージが移されているようだった。


始まる前に中村さんが、好き好きに感じて欲しいと言っていたとおり集中しようとしたが、むしろ理解として伝わりやすい身体表現が多かったので、つい物語の要素を無理にはめこもうとしてしまう時間と意識があった。しかしそんな時にクラシックバレエの軽やかな踊りが登場したり、優美で滑らかな腕を含めた上半身の線が描かれれば、動きは音楽と一致してこちらは感覚に向かう。


能楽の舞台に狂言が挟まれるように、オペラの中でダンスシーンが休憩を与えるように、演劇と踊りはどちらが主体になることなく一体にあるのだろう。声のない舞台だったからこそ最後の役者達の挨拶にたやすい情感がこみ上げてきて、笑顔に目元がゆるむようだったのは、制限の中での格闘後の、なんら不自然でない解放の喜びなのだろう。

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